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第409回 株式会社エクシオジャパン 代表取締役
カフェ・カイラ・ジャパン 代表 佐伯 猛氏
update 13/11/19
株式会社エクシオジャパン
佐伯 猛氏
株式会社エクシオジャパン 代表取締役
カフェ・カイラ・ジャパン 代表 佐伯 猛氏
生年月日 1968年5月13日
プロフィール 大分県大分市生まれ。明治大学卒業後、大手生命保険会社にてトップセールスマンとして活躍。25歳で独立。保険の代理店事業をはじめ、結婚相手紹介サービス事業など多彩な事業を展開。「カフェ・カイラ」もそのいち事業である。
主な業態 「カフェ・カイラ」
企業HP http://www.cafe-kaila.com/
早朝から店内は溢れんばかりの人でにぎわっている。「最初にオープンした店は、朝4時から行列ができてしまって近隣に配慮してたたむほかなかった」という言葉にも頷ける。表参道に出店してからも人気は沸騰するばかりで、多くの商業施設からのオファーもひっきりなしという話である。今回は、<焼きたてパンケーキのお店「カフェ・カイラ」>、その代表である佐伯 猛氏に話を伺った。

大分県大分市。

佐伯が生まれたのは、1968年の大分市である。父は大工。無口で頑固者で、昭和の親父のイメージにぴったりだったそうだ。7つ下の妹をふくめ、4人家族。もの心がつくと、佐伯には一つの役割が与えられた。
「うちは、五右衛門風呂だったんです。それで、風呂を沸かす役目が私に回ってきたんです。この風呂当番のおかげで、友だちと遊んでいても1人だけ早く帰らなければなりませんでした(笑)」。
父親が大工だったから薪には苦労しなかった。新聞紙を火のタネにして、空気が流れ込む隙間を確保しつつ、薪を交互につっこむ。赤々とした火のいろは、少年になにを語ったのか。とにかく、風呂当番は少年の大事な仕事の一つだった。
そんな少年、佐伯は大空にも憧れた。
「父が空港に連れていってくれたことがあって。いつかあの空の上にと、パイロットを志望しました」。
別府まで車で30分。家族で温泉に良く出かけたそうだ。ともかく、そういう少年時代を過ごした佐伯は、中学になり勉強に目覚める。

休日になれば1日14〜16時間。

「そんなに頭がいいわけじゃない」と佐伯。とはいえ、中学の成績は常にトップで、わざわざ兵庫県の進学校に進んでいる。
それでも佐伯は、「一つのことを何度も繰り返して覚えたから合格できたにすぎない」と謙そんする。どれぐらい勉強したのか、とたずねると「平日なら7時間、土・日なら14〜16時間」とサラリと答えた。
「スポーツではサッカーをしていました。高校でもサッカーはつづけました。サッカーは相対的にうまくなりましたが(笑)、勉強はそれほどできなくなってしまいます」。
猛勉強の結果、大分県でもいちばんの進学校に合格した。だが、佐伯はもう一つ上をめざし、兵庫県にある名門「白陵高校」を選択する。毎年、東大合格者を何人も輩出するエリート校だ。こちらの学校にもなんなく合格することができた。賞賛に価する。
だが、進学してからは佐伯がいうように思い通りの結果が出せなくなってしまった。

小さな挫折と、つぎの始まり。

「全員ではないですが、私のように地方から出てきた生徒は寮生活です。寮での生活は制限がきびしく、思ったように勉強時間が取れないんです」
「もともとひとより多く勉強して、それで結果を残してきたわけですから、限られた時間では周りの秀才たちに太刀打ちできません」。
成績が悪くトイレで泣いたこともあるという。
「わかっていたことですが、一つの挫折です」。
中学生時代、「あいつは東大に行くんじゃないか、いくんだろうな」と囁かれていた言葉が少年の耳にこだましたことだろう。
一つ、歯車がかみ合わなくなると、結果もついてこなくなる。大学受験失敗。
「父親は、『もう大学はいい。もどって跡を継げ』というのですが、私にはなんとかもう1度という思いがあって。『浪人させて欲しい』と頼みました。そして、父は私に10万円をくれたんです(笑)」。「高校生活はきびしくって、小遣いももらったことがないでしょ。だから、10万円でも嬉しかったんです」。
10万円もあれば何でもできる、という思いになっていた。羽田行のチケットを買い、乗り込んだ。東京。怖いことなんて何もなかった。挫折が生んだ、もう一つの始まり。

新聞、青年。

「羽田に降り立って、anを買ってマクドナルドでバイトをする、のが唯一のプランでした。その通りanを買ったんですが、住み込みのバイトが載っていて『こっちがいいや』と、羽田の公衆電話から、とある新聞配達所に電話を入れたんです」。
いわゆる新聞奨学生というのだろう。佐伯の場合、予備校だったが予備校の学費も全額だしてもらえた。しかも、部屋もある。いうことはなにもなかった。
「でも、朝が早い分、すぐに眠くなるんですね。夕刊の配達もあったし。それで、予備校は2日行っただけでした(笑)」。
早朝から新聞を配って、それから眠ってまた夕刊を配って遊びに行く。いつしかこれが少年の日課になっていた。「さすがに秋になって、これはまずいぞと、頭を坊主にしました。坊主にすれば恥ずかしくって電車に乗れない。つまり、遊びに行けないんです(笑)」。
東京に来て数ヵ月、羽目を外した。都会の生活が無垢な田舎の少年を変貌させたとも言えるし、もともとそういう気質を持っていたということもできる。ただし、自らブレーキを踏めたことは、ある意味、凄い。ただし、若干、遅すぎたというべきか。希望校には合格できず、明治大学に進むことになった。

新聞配達と大学時代。

予備校の1年間と大学時代の4年間、佐伯はずっと新聞配達をしている。大学の学費は全額、新聞社が持ってくれた。これも奨学制度なのだろう。
とはいえ、佐伯には新聞配達の給料以外に、新聞を勧誘した時の歩合も月10万円程度あった。だから、生活にはまったく困っていなかった。3年時からは、海が好きで、配達所も茅ヶ崎に替えてもらっている。
それ以外に、いまの婚カツサービスに似たビジネスも在学中に行った。
「当時、ネルトンとかが流行っていまして、でもこちらはうまくいきませんでした。広告も、なにもしなかったからだと思います」。いまは会員数ナンバー1を誇る「結婚相手紹介サービス事業」を展開する佐伯だが、当時は、まだ思いつきのままビジネスを起こしていただけにすぎない。むろん、失敗しても痛手もない。楽しい大学時代が過ぎ、就職。大手広告代理店や銀行も視野に入れていたが、結局、大手生命保険会社に就職する。
こちらでも、営業成績は同期のなかでもつねにナンバー1。大学時代、所属していたエリアで、新聞の勧誘数ナンバー1を獲った営業力は、伊達でないことを証明する。さらに、2年後、独立。マネジメントする立場から、売る立場になった。リスクもあったが、その年収は一気に、3000万円にはね上がった。
おもしろいことに、独立後、佐伯は就職して辞めた新聞配達を再度、始めている。「リズム」ができるというのが、再度、始めた背景らしい。年間、3000万円売り上げても、辞めなかった。予備校時代から数え、就職していた2年間をのぞき計15年。佐伯は新聞を小脇に抱え、走りつづけている。ある意味、趣味か、と思いたくなるぐらいだ。
ともかく、佐伯は、継続する意味とその大事さを知っている人だ。

複眼的思考と実践。

予備校、大学時代をのぞけば10年、経営者と新聞配達員という二足のわらじを履いていたことになる。奇妙な経営者、でもある。
しかし、佐伯のことを良く知れば、案外、不思議さは消える。要は一つの観点から物事をみない人なのである。
「新聞を配達していた時も、配ること以外にも気をまわし、取りやすい位置に新聞を置いたりして、評価してもらいました。それがきっかけで、また新聞を継続してもらったり。保険会社の時も、保険をお勧めするだけではなく、人と人をつなげたりして」。
手段というには、回り道過ぎるのだが、そういうことを平気でやる。
後者は、いうまでもなくいまの基幹事業である「結婚相手紹介サービス事業」を生み出すきっかけともなっている。
むろん、事業も複眼的である。
保険代理店業はもちろん、この「結婚相手紹介サービス事業」のほか、HPをみればさまざまな事業がリストアップされている。
そのなかの一つが、飲食事業で、焼きたてパンケーキのお店「カフェ・カイラ」である。こちらの誕生秘話は、以下の通りシンプルなもの。
「当時、発行していたフリーペーパーでハワイのパンケーキを取り上げようということになって、取材に行ったんです。その時、訪れたのが、『カフェ・カイラ』。一口で惚れてしまって。どうしても日本でやりたくなって、オーナーにその旨を伝え、出店をお願いしたんです」。
多彩な事業の一つにカフェ・カイラもおさまった。
だが、すっぽり収まったわけではない。人気が沸騰し、一つの事業として片づけるには、あまりに大きな可能性を持つに至っている、といえなくもない。

チェーン化するのではなく、サービスの維持と強化を大事にする。

佐伯にとって、「カフェ・カイラ」はどういう位置づけなのだろうか。複眼的な視野で経営を行う佐伯にとっては、一事業の一ブランドといえなくもないが、ファンにすれば、この後が気になるところ。店舗展開をふくめて問うてみた。
「1号店の時は、近隣のご迷惑も考慮しましたし、手狭だったこともあって、数時間待ちが当たり前だったので、こちらに引っ越してきましたが、いまは次の店のことは考えていません。たしかに、多くの商業施設からオファーをいただいているんですが、まだまだという気がしまして。いまは、多店舗化するのではなく、『カフェ・カイラ』の商品とサービスをもっといいものに、という方向で動いています。飲食業のことはまだ良くわかりませんが、それがいちばんいいと思うんです」。
経営者の嗅覚なのだろう。時代の変化も敏感に感じ取っている。無暗な店舗展開は、味とサービスを劣化させる。ブランドが劣化するのは、案外早い。多くの企業が、この罠にはまってきた。だから、敢えていまは1店舗ということなのだろう。
私たちにとって、その選択は惜しい気がする。だが、そこは、おいしいパンケーキを食べるため、我慢しよう。カフェ・カイラは、いつまでもカフェ・カイラであって欲しいからだ。
ちなみに、佐伯は父から教えられた言葉があるとインタビューの冒頭に話してくれた。その言葉をふと思い出した。
「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」。
案外、佐伯のこれまでの歩みは、この一言を実践してきた歩みだったと言えるかもしれない。ちなみに、言葉の意味は「できそうもないことでも、その気になってやり通せばできる」ということである。

思い出のアルバム
思い出のアルバム1 思い出のアルバム2 思い出のアルバム3
サッカー部時代(赤いタスキ) 学生時代(1番右) 生命保険会社時代(真ん中)
思い出のアルバム4
Msカイラと    

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