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第482回 株式会社酒菜企画 代表取締役 西牧重雄氏
update 15/05/12
株式会社酒菜企画
西牧重雄氏
株式会社酒菜企画 代表取締役 西牧重雄氏
生年月日 1962年10月8日
プロフィール 大学卒業後、ニッカウヰスキー株式会社に就職。飲食店との付き合いが深まるなか、自身も飲食店での独立を決意。1995年4月3日、一号店をオープン。「顧客主義」をモットーにした、斬新な店舗は人々の目を引き、たちまち人気店となる。現在、<「酒・菜 おかず」「酒・喰〜sake・cuisine うお・みっつ」>などの人気店を10店舗、経営。売上よりも、人を大事にする経営者である。
主な業態 「酒・菜 おかず」「酒・喰〜sake・cuisine うお・みっつ」「はらから hara-kara」「無花果 -ichijiku-」
企業HP http://sakana-kikaku.co.jp/

杉並区生まれ。

東京都杉並区に西牧が生まれたのは、1962年(昭和37年)。戦後の復興を遂げ、欧米列国を目標に、ふたたび日本経済がちから強く動き始めた頃である。
西牧の父は、浅草橋と信州・松本でミシンの製造・販売の会社を経営していた。
「当時は、右肩上がりでしょ。父親の会社も業績は良かったはずです。兄弟は2つ離れた弟が1人。母は専業主婦。父はというと、たまに帰ってくるんですが『厳格』という言葉通りの人で、私たち子どもにとっては怖い存在でした」。
戦後、誰しも仕事に追われていた。勤め人ではなかったが、西牧の父もまた仕事に追われた1人だったのだろう。父が仕事に没頭する一方、母は、教育熱心な人だった。西牧は母に勧められるまま、野球や柔道を始め、水泳教室、学習塾にも通った。当時ではまだ珍しい中学受験も経験している。
「いまはもう塾に行かない子のほうが少ないと思いますが、当時は限られていました。だから、みんなと遊んでいても私1人、『塾があるから』と先に帰っていた記憶があります。もっとも強制されていたわけじゃないし、そういうのが当たり前だとも思っていたんでしょうね」。<ぼくは、みんなとは違う。父さんの跡を継ぐためには、勉強して偉くならなくっちゃ>。少年、西牧はそう思っていたのかもしれない。
ちなみに小学校から始めた塾通いは中学になっても続けている。中学生になると塾通いが「楽しくてならなかった」そうだ。
「私が進学したのは男子校だったんです。塾に行けば、女の子もいるでしょ」と西牧は笑う。もっとも本当の理由は「成績が上がったから」だそうだ。
「中学から通ったのは英語塾だったんですが、不思議なほど英語の成績が良くって。するとほかの教科も上がっていくんですね。いつの間にか学年でも上位に入るようになっていました」。

大学進学。

高校に進学してからも、成績は優秀だった。優秀だから、大学も推薦で決まった。
「当時は語学が大好きでね。大学に進学してからも英語はできたし、第二外国語も得意だった。でも、だんだんと勉強とは距離が離れていってしまうんです。学生だから仕方がない(笑)」と西牧。ただ、西牧は「大学ってこの程度なのかと落胆した」とも言っている。「大学に進学したもののドライブがかからない」と表現すればいいのだろうか。
話は少し戻る。西牧が飲食と出会った話。高校2年の時のことである。
「うちはけっして貧乏じゃなかったんですが、とにかく小遣いが少なかったんです。高校といえば、異性とも付き合いたくなるじゃないですか。でも、小遣いがないからなんにもできない」。小遣いの額は月/3000円だったそうである。
「服も学ランしかないわけで。まさか学ランでデートというわけにはいかないから、お小遣いで服を買う。するともう残金がないんです。デートどころじゃないでしょ(笑)。で、『バイトをしたい』と言って、許しがでたのが母の親戚の鰻屋さんだったんです」。
「とにかく楽しかった」と西牧はいう。いままで会ったことのない人との出会い。まるで人種が違うような人との出会いを西牧は楽しんだ。社会を覗く窓になったのかもしれない。
「私は、小さい頃から親の勧めに従うような子どもでした。バイトも母の勧めで母の親戚でやるわけですから。ただし、縛られていたわけではない。割と自由にさせてもらったことのほうが多かった気もします。しかし、その一方で、いずれ父の跡を継ぐというのは暗黙の了解だったかもしれません」。
暗黙の了解を、両親が口にしたことがある。大学進学時の話だ。
「元々、行きたい大学があったんです。水産関係の大学です。私はだいたい人嫌いなんです。だから、商売するより研究とかのほうが向いていると思って。それで、サカナを研究するから『○○水産大学に行かせてくれ』って両親に頼んだんですが、猛反対されました。ハッキリとは口にしなかったですが、両親の頭にはいずれ会社を継ぐ息子の姿があったのかもしれません。だから、サカナを研究してどうするんだ、と(笑)」。
「水産大学」。「小さな頃から魚釣りが好きだったから」と志望の理由を上げる。しかし、反対を受け、断念した。という経緯があり、推薦で合格した大学の話に再度、つながっていく。

ニッカウヰスキーに就職。

「人嫌い」。いまの西牧からはまるでイメージできない言葉である。もちろん、西牧は、誰ともすぐに打ち解け合うようなタイプには思えない。だからといって、「人嫌い」ではなく「人好き」といったほうがしっくりくる。
「大学では最初、そう1、2年は英語もできて、勉強もできたんですが、勉強しなくてもいい点数が取れる大学ってところに、興味が持てなくなってきたんです。それで、だんだんマージャンなどをするようになって。テニスやサーフィンと、何でもござれのサークルで、青春をエンジョイするようになるんです(笑)」。
とはいえ、地方出身者とは違い杉並区である。大学も親許から通っている。半自立といったところだろうか。
「いろんな人と接するなかで、私のなかから会社を継ぐという選択肢はなくなっていきました。社会という仕組みが少しずつ明らかになっていくわけです。4年生になって、両親に継ぐつもりがないと言いました。当時、業績もそれほど良くなかったんでしょうね。父も、母も、反対しなかった。それで、晴れて自由の身となった私は、就職活動を開始します。私は文系。でも、人嫌いです(笑)。営業がダメだから事務系しかないんですね。販売系ももちろんだめですから」。
「しかし、そんな時に丁度、ある洋酒メーカーに怒り心頭になるんです。就職人気ランキングでは断トツの会社なんですが、調べてみてがっかりしてしまうんですね。メーカーなのにモノづくりを舐めている。なんだか裏切られた気がして。それで、ぶっ潰してやろうと思ってライバルでもあるニッカウヰスキーに就職。幸いにも事務系に配属していただいたんですが、それではだめだ、と。ライバル企業をぶっ潰さないといけないですからね。『とにかく営業に』と食い下がったんです」。
営業職になるなど当初は念頭になかったが、ガリバー企業をぶっ潰すという目標が優先した。やつらの客を奪ってやる。とはいっても、もともと口が立つほうでもない。勇んで営業を開始したが、「ニッカです」という声もうわずるばかりだった。
「同期はみんなできそうな奴ばっかりでした。さわやかで、お客様にもすぐ気に入られそうな、ね。成績も、もちろんふるいません。奴らと比べたら、全然だめでした。でも、3年経ち、5年経ったらどうなったと思います。全く引けを取らない営業になっていましたよ。彼らは苦労せずできたわけでしょ。だから、油断しちゃったっていうか、努力しなかったんでしょうね。私は全然、できなかったから、どうすればいいか、毎日考えた。嫌われるのも承知で、客先には何度も伺った。それしかできないからね。でも、そうやって不細工な方法でしたけれど、一つひとつお客さんとつながっていった。それが結果になったんだと思います。」
できる同期ができない同期になったわけではない。順位でいえば、西牧が大外から一気に巻き上げていったのだ。

独立へ。最短記録。

いい成績は残したが、だんだんと会社との距離が離れていった。「とにかく、会議でも言いたいことを言うんですよね。どうして? なぜですか? 疑問に思ったら食い下がった。私のせいで会議がのびたこともしょっちゅうでした。そんなある時、文句ばっかりのジブンを、何なんだこいつは! と思うようになるんです。それほど文句を言うのなら、ジブンでやってみろって。それが独立のきっかけで、さらに結婚が、背中を押してくれました」。
朝から終電まで。寝る間もないくらい仕事に没頭していたから、結婚しても妻と過ごす時間はまるでなかった。申し訳ないと思ったが、かといって簡単に辞めることもできなかった。
「偶然ですね。お客様に紹介した物件があって、その方は、気に入られなかった様子で断られたんですが、私には、どうしても『いい』としか思えない。それが、引き金ですね。妻に相談したら、あっけなく『いいよ、私も手伝うよ』って(笑)」。
「会社には引き止めていただきましたが、もう決めたことでしたから。料理ですか? 独学です。ただし、知り合いの店で一週間、修業しました。調理器具とかが違うでしょ。そういうのを経験したかったんです」。
西牧の妻も修業した。もっともこちらも弁当店で1ヵ月だけ。
しかし、修業期間がわずか1週間とは。この「飲食の戦士たち」でも、最短記録かもしれない。
ともあれ、会社を辞めてしばらくした春の日。青山に、西牧の店の、一号店がオープンした。

一号店、オープン。

「どんどん帰っていくんです」と西牧は苦笑する。オープン当日の話である。「懸念していた通り、スピードがついていかない(笑)。だから、『料理がでない』『おそい』とお客様が帰られてしまうんです。当時は、妻と2人、最初の1週間だけ知り合いに手伝ってもらいました」。
ただし、「帰っていく」というのは、「入るから」である。怒って帰る人もいたが、予定していた以上の売上は上がった。
28席。昼6万円。夜4万円を見込んでいたそうである。しばらくすると、夜だけで10万円に届くようになる。とにかくバタついたが、客は、入った。たどたどしい店主をみて、苦笑した客もいただろう。応援したくなるな、と思った人もいるかもしれない。時間はかかったが、店主がつくる料理は悪くはなかったから。
しかし、素人である。どうして、期待通りの結果をもたらすことができたんだろう。一つは立地。それは、西牧の目が正しかったことを意味している。むろんそれだけではない。料理も独学だが、それだけではなかった。設計図面も自分で描いている。店のコンセプトも自分流だ。
「私がその時、思って、いまも大事にしているのは、『ジブンだったらどうだろう』って視点なんです」。「ジブンだったら?」「そうです。うちの店は、一号店から全席、掘り炬燵です。昔は、珍しかった。でも、ジブンだったら、断然、楽ちんなんですね。だから、掘り炬燵です。オープンキッチンもそう。誰がつくっているかもわからない料理って食べたくない。だから、ちゃんと顔をみせようと考えたんです」。
素人だから、制御するスイッチもなかった。それが、逆に功を奏したとも言える。「顧客主義」だと西牧は言う。失礼な言い方ではあるが、素人の西牧には、それだけが正しい指標だったに違いない。
オペレーションが上手くいくようになると、ますます客の心をとらえるようになった。「あまりに忙しくって。これじゃ、もたないと思って5月の連休は全休です(笑)。もう1ヵ月、走りつづけてきましたから。で、連休の間に頭もリフレッシュして、価格を下げました。妻は、『何でたくさんお客さんが入っているのに』といいましたが、私はあぐらをかいていてはいけないと思ったんです。だから、価格を下げるんだと」。
休みが明けて行ってみたら、値段が下がっていた。客にとっては、大歓迎の発想である。

利益は減っても、得ることは大きい。

「結果的に大きくなれば、いい」と西牧はいう。現在、西牧は<「酒・菜 おかず」「酒・喰〜sake・cuisine うお・みっつ」>など人気店を10店舗、経営している。
驚くのは、その経営方針である。
「うちは、チェーン店ではない。それぞれの店長にすべて任せていますから、店長によって店の個性も違うんです。もちろん、店長によって個性が異なるぶん、売上も違ってきます。私のミッションはそういう店長をサポートし、売上を上げることです」。
店舗に、権限を委譲している。ただし、驚くのはそこではない。社員は全員料理人。料理人が接客まで行っている。むろん、これも珍しい。でも、いちばん驚かされたのは、休日に対する考えかたである。
西牧の店では、全店、完全週休2日制。なんと土日祝休みである。さすがに「予約があれば、やる」ともいうが、スタッフが「うん」ということが条件である。「休日に予約があった時には、いったん電話を切らしてもらって、スタッフに『やる?』と聞くんです。で、『やる』と言ったら、電話をかけ直して、承りましたと」。
その日は、売上を店とスタッフで折半するんだという。10万円売上げれば、数時間で5万円が臨時手当のように彼らに支給される。もちろん、西牧が、それを推奨しているわけではない。西牧は、休めと言う。「もちろん、土日祝に店を開ければ儲かるのは判っています。でも、店をやる意味はそれだけじゃないでしょ」。
きれいごとならいくらでも言える。ただし、実践が伴っているケースは、案外、少ない。だから、西牧の一言は重みが違う。
昭和37年生まれだから、2015年で53歳になる。後進に道を譲る準備に入る頃といえば、怒られてしまうだろうか。
「いまいちばん悩んでいるのは、ね。後3年、5年先ですよ。みみんないい歳になっていくでしょ。どうしてやればいいかってことです」。真剣に悩んでいるのが、その表情から読み取れる。
「本人にとっては独立したほうがいい。だから、独立したいってい言えば、それはもう真剣にサポートしますよ」。独立の実績も少なくない。
しかし、ずっといっしょにとなれば、どうしてあげればいいんだろう。嬉しい反面、悩みは尽きない。
しかしそう心配することはないだろう。西牧なら、また新たな解をみちびくはずだ。その答えも、ひょっとすれば旧態然とした飲食店にとっては、衝撃的な答えとなるかもしれない。

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