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第504回 有限会社坊'S 代表取締役社長 加藤大輔氏
update 15/10/20
有限会社坊'S
加藤大輔氏
有限会社坊'S 代表取締役社長 加藤大輔氏
生年月日 1977年10月6日
プロフィール 愛知県名古屋市生まれ。2人姉弟の長男。高校卒業後2年間ほどフリーター生活を送る。19歳で飲食に興味を持ち、飲食チェーン店に就職。人生の師とも出会い、薫風を受ける。トラックドライバーとなって資金をため、29歳で起業。現在、直営16店、FC9店、業務委託4店。
主な業態 「九州小町」「地鶏坊主」「鉄板坊主」「東北商店」
企業HP http://bou-zu.com/

19歳。飲食へ。軽い思いで、決断。

「赤貧」という言葉がある。特段、貧しく、何も持たないことを指す。その「赤貧にちかかった」と今回、ご登場いただく加藤氏は語る。
「私は、名古屋市で育ってきました。どちらかといえば冷めた目をした少年だったと思います。特別、スポーツにも、勉強にも熱中していませんし…」。
加藤氏が9歳の頃、サラリーマンだった父親が独立したが、失敗。1億以上の借金を抱えた。「赤貧」というのは、その頃のことを指すのだろう。
「借金の返済のために、今度は母親が会社を興して、借金までチャラにします」。
凄い、お母様である。
一方、加藤氏のほうは、高校を出てフリーター生活を開始。深夜にはコンビニスタッフ、昼は引越会社のスタッフ、夕方はラーメン店の出前係と1人3役をこなした。
多い月には40万円くらいあったというから、こちらも驚きである。
「それなりの収入があったのも事実ですが、当時は、『これだ』っていうものがなく、ただただ、その日暮らしです。19歳の時に、『飲食の道に進もう』と決意しましたが、それも、たまたま行ったある大手チェーンの店長が金髪で、『へぇ、これくらいの奴でできるんだったら、俺にもできるだろ』って。軽〜いのりで、スタートしたんです(笑)」。

恩人との出会い。

19歳。決意をすれば動きは早い。
「ある居酒屋チェーン店で、バイトを開始します。それをきっかけに3〜4ヵ月してから、名古屋でも有名な飲食グループに、今度は社員として入社するんです」。
この時、友人と2人で独立する計画も進めていたらしい。それで、一緒にその有名なグループに入社したそうだ。
「でも、私は、もう一度、もとの店にもどるんです」。
尊敬する先輩がいたのが、「その理由」だそうだ。
「当時の常務で、小池さんという人です。私にとっては父親代わり、兄代わりの存在。人も、飲食も大好きという熱い人でした」。
人生で影響を受けたのは誰か? そういう質問をすれば真っ先に小池氏の名が挙がることだろう。
ふたたび、前職の会社にもどった加藤氏はめざましい実績を残し、わずか3年で複数店舗を統括する「統括店長」に抜擢される。
むろん、そうなったのも小池氏の薫風のおかげである。
加藤氏は、誰よりも早く店に入り、その時間を利用して、真摯に教えを乞うた。打てば響くという関係だったのだろう。
やがて、加藤氏は、独立を宣言するまでになる。
「4年で独立すると言ったんですが、けっきょく、独立したのは5年目。タイミングの問題です」。
最後の半年は、「恩返し」だと半年間、休みも取らなかったそうだ。

所持金600万円。とにかくゴールテープは切った。

600万円。加藤氏は、29歳で起業する。600万円は、その時の所持金。
「資金を獲得するために、店を辞めてトラックに乗って、2年。少ない額ですが、とりあえず600万円で勝負にでました。たまたまですが、以前いた会社が一つの店をゆずってくれるという話もあったもんですから」。
家賃100万円、保証金500万円。それで、所持金は底をついたので、あとは国金に借りた。
「当時は、独立がゴールだと思っていました(笑)。だから、店をだして、ゴールテープを切ったようなもんです」。
たいてい、独立をゴールに設定してしまえば、失敗する。しかし、加藤氏は、独立後も「ラクショー」とつぶやいていた。
実際、売上は悪くない。初月に400万円、翌月には600万円を売り上げた。もと統括店長の肩書は、伊達ではなかった証明だろう。
かつての盟友も引き入れた。自らも鼓舞するように新店も出店する。
「翌年4月に、2店舗を出店。それまでの利益を全部突っ込みました。けっきょく、私の財布もからになった。新店がオープンした時には、1800円くらいしか手元に残っていませんでした(笑)」。
冷や汗ものである。ただし、今度は、借金ゼロ。
その年の10月にも、またまた新店を出店する。もちろん、借金はゼロ。今度は、どうにか1万8000円は残ったそうだ。綱渡りのような出店計画だが、人をいかすという意味では理に適っている。
結果、3店舗すべてが軌道に乗り、その年の経常利益は2000万円にも達したそうだ。

社員を社長に育て、カンパニー制をひく。みんなを幸せにしたいから。

起業から、10年が経つ現在、直営が16店、業務委託店が4店、FCが9店という陣容である。トラックに乗り蓄えたなけなしの600万円でスタートした事業は、月に1億5000万円の売上を上げるに至る。今の目標は? と問うと、「月商4億円」という返答。8年後の目標ということだ。
「店舗数でいえば、あと30店舗は出店しなければならない計算になる」と加藤氏。
そのカギを握っているのが、「社内カンパニー制」だ。いうまでもなく、社内で社長を育成することを意味している。
「社内でたくさんの社長を育て、それぞれのカンパニーをつくります。そういう風にしてみんなが楽しく働いて稼げる仕組み作りをしていきたいんです」。
起業が目標だったが、いまでは目標も、さらに大きくなった。小池氏のおかげでもあり、仲間になってくれたスタッフたちのおかげでもある。その恩に報いなければならないことも、加藤氏はちゃんと知っている。
ちなみに、加藤氏はこういうことも言っている。
「お金には執着心がないんです。私よりも、副社長のほうが、給料が多いってときもありましたし、ね。正直、月に50万円くらいあればいい」。
もちろん、社長になったいま、そうはいくまいが、加藤氏の本音はそれ。かつて薫風を受けた小池氏のように、加藤氏は人を育てることに意義を見出している。

思い出のアルバム
 

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