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第622回 株式会社まんぷくむすび 代表取締役 西中拓也氏
update 18/01/09
株式会社まんぷくむすび
西中拓也氏
株式会社まんぷくむすび 代表取締役 西中拓也氏
生年月日 1990年9年13日
プロフィール 岡山県倉敷市に生まれる。中・高はスポーツに明け暮れる。高校時代、通学時間は1時間半かかったにもかかわらず、朝練も、夜の自主練も、誰よりも早く来て、誰よりも遅く帰った。しかも、無遅刻無欠席。これが一つの勲章。大東文化大学卒。卒業後も就職はせず、起業を志し、フリーター生活を開始する。大学時代、セミナーなどに参加し、出会った知り合いの1人に、とある人物を紹介される。それが、縁となり、のちに株式会社まんぷくむすびの、社長に就任する。
主な業態 「まんぷくむすび」
企業HP http://www.manpukumusubi.com/

その道は瀬戸大橋につづく。

1位「紅鮭」、2位「ツナマヨ」、3位「鶏そぼろ」。 これ、まんぷく人気ランキングの上位3傑。個人的には、「葉唐辛子味噌」「ネギ味噌」「京菜」あたりにも食指がうごく。
今回、ご登場いただくのは、株式会社まんぷくむすび、代表取締役、西中拓也氏。1990年生まれだから、このインタビュー時には、まだ27歳。若き経営者の1人である。西中氏が生まれたのは、岡山県倉敷市の児島という町だ。「瀬戸大橋線」が走っていて、上空から観れば、やがて高速道路と一つになり、まっすぐ四国までつづいている。
「うちも、海には車で10分程度でした。ただ、父が、山が大好きで(笑)」。なんでも、週末になると、夏でも海ではなく山に登ったそうだ。「冬はスキーですね。ボーイスカウトにも入っていました」。
西中氏の姉弟は3人。4つと2つ離れた姉がいる。「そういう環境で育ったからでしょうか。同年代より、年上や先輩のほうが、自然体で話せるんです」。たぶんに、負けず嫌いも、影響しているかもしれない。同年代には、負けたくない、と。
「とにかく、負けず嫌いでした。中学はバレーで県3位に。高校からバスケットを始め、こちらは全国でベスト8まで進みます。とにかく練習量では負けたくなくって、朝4時に起き、帰宅は23時。そんな生活を送っていました」。通学にかかったのは1時間半。それでも3年間、無遅刻無欠席。一度だけ電車をのがしてしまった時には、母に頼み、高速道路を走り、連れていってもらったそうだ。
「中学も、それなりにたいへんでしたが、やっぱり高校ですね。辛いこともあったし、楽しいこともあった。でも、やり抜いたという思いがいちばん大きいし、いまの自信にもなっています」。

岡山から東京へ。大東文化大学、入学。

岡山から東京まで距離は、800キロ程度だろうか。もっとも西中氏は、父親の仕事の関係で小学2年〜5年までを群馬県で過ごしているから、それほど遠い町ではなかったかもしれない。
「指定校推薦で大東文化大学に進学します。3〜4年は板橋にあるキャンパスなんですが、1〜2年は埼玉の東松山です。電車は東武東上線。ぼくは、川越で独り暮らしです」。
最初は、バスケットボールのサークルに。2年の終わりからは、ダンスサークルに所属した。「ロックダンスって知っていますか?」と逆に問われ、まったくわからないので、調べてみると、ストリートダンスで、名前のロック (Lock) は錠を意味し、激しい動きから突然静止し、ポーズを取る(ロックする)スタイルが特徴とあった。なるほど、これならみたことがある。
「けっこうハマりましたね。大学時代は、このサークルとアルバイトです」。
「アルバイトは1年の時から、3年まで同じレストランで仕事をしていました。ただ、3年の時に閉店されることになって」。
高校時代のイメージ、そのままにアルバイトにもまじめに精をだす。3年間で、生活費以外で100万円以上貯蓄もしている。「奨学金とバイト代で生活をしていました。仕送りはなかったです。ぼくからいらないといったんです」。
父親はだれもが知る学生服メーカーの、関連会社とはいえ社長をされている。経済的には、恵まれているはずだ。「とにかく、ぼくが決めたことをさせてくれる、そういう両親でした」。
ところで、バイト先が閉店する。西中氏にとっても大事件だ。「そうですね。それで、『スターバックス』のバイト募集を観て面接に行くんですが…」。

大学卒業。就活せず。

「スターバックス」。かっこいいな、と思っていた。しかし、いきなり「入社したら、あなたは何ができますか?」と問われるとは思ってもいなかった。「だから、頭が真っ白になってしまって」。
かろうじて『やってみないとわからない』と答えたが、面接官の表情には、すでに不合格のサインが灯っていた。「そのことがあって、改めて、『ぼくという人間を見詰め直そう』と、そういう思いに駆られるんです」。
幸い、貯蓄したお金もあったし、奨学金もあったから、バイトはせずとも暮らしていけた。
「そうですね。それからぼくがやったのは、経営者とお会いすることですね。セミナーとかにともかく参加して。ネットワークを広げて。年上の人のほうが、自然体で話ができるといいましたが、そういう性格も役立ったかもしれません」。
尊敬できる人が何人もできる。「起業」の二文字は、当然のようにして頭に浮かぶ。「だからぼくは、就活っていうのをやってないんです。経営者にたくさんお会いしていたこともあって、どこかで、『俺は違う』とうそぶいていました」。大学を卒業してからは、『無印良品』でアルバイトを開始。
「1年目の契約更新が済んだ翌日に、羽毛田と出会いました」。
ここで、西中氏が、「羽毛田」というのは、「健康」をテーマに事業を展開されているラーフオーバーフロー株式会社の代表取締役である羽毛田昌寛氏のことである。「株式会社まんぷくむすび」は、2017年1月、このラーフオーバーフロー株式会社から分社独立して誕生している。
「まんぷくむすび」の創業は2009年。創業者は、むろん、羽毛田氏。羽毛田氏はなにかにつけ、西中氏を、高く評価している。それが、分社後の社長就任につながったのだろう。
ところで、羽毛田氏とはどんな縁で結ばれたんだろう。

「おむすび」と「笑顔」と。

「共通の知人がいて、その知人の紹介で、羽毛田と最初にお会いして、いきなりですね。みせられたというか。前日、無印良品で契約更新の手続きをしたところなのに、その日にもう、羽毛田といっしょにはたらこうと決めました。羽毛田は整骨院も経営しているんですが、ぼくは無資格でできない。だから、こっちの飲食に配属されたんです」。
「どこではたらくか」ではなく「だれとはたらくか」。そちらの選択肢のほうが、大事な時もある。「おむすび」が結んだ縁ならなおさらだ。
「とにかく、がむしゃらにやってきました。社長になったからっていっても、おんなじですね」。「24時間営業はたいへんですね」、と水を向けると、そういう回答だった。
「いま目指しているのは、何ですか?」と伺うと、「『おむすびのデリバリー』でナンバー1になること」と即答。負けず嫌いの一面が、顔をだす。
ところで、「おむすび」のマーケットはどれくらいあるのだろう。
自宅で「おにぎり」を握り持参する以外では、「コンビニ」があり、こちらが一般的な「おにぎり」の入手方法だ。デリバリーで「おにぎり」を頼むという発想はそうないし、24時間対応している店があることも実はしらなかった。
むろん、「おにぎり」ではなく「おむすび」なのだが。
しかし、いったん「おむすびのデリバリー」という選択肢を知れば、どうだろう。しかも、旨いし、種類も多い。
そう考えれば、ニーズも少なくない、と思う。実際、TV局などからのオーダーも途切れず入っているそうだ。
「おむすび」だけではなく、「高級おむすび弁当」というのもあって、こちらには、「おむすび2個」のほかに、「ハンバーグ」や「唐揚げ」などのおかずが入っている。
そういえば、運動会になるとおむすび弁当の出番である。
おむすびと、ウインナーや玉子焼き、鮭や唐揚げがつまった重箱を開けると、歓声があがった。おむすびにぱくつけば、塩味と海苔の風味で、心が満たされ、自然と笑顔になる。
そういうシーンだけではないが、「おむすび」には、「笑顔」という言葉がよく似合う。「笑顔」を運ぶ、デリバリー。「おむすび」のデリバリーは、きっとそんな幸せの素まで運んでいる。

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