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第631回 VIVO PRODUCTION TOKYO株式会社 代表取締役 鈴木健太郎氏
update 18/03/13
VIVO PRODUCTION TOKYO株式会社
鈴木健太郎氏
VIVO PRODUCTION TOKYO株式会社 代表取締役 鈴木健太郎氏
生年月日 1973年10月12日
プロフィール 三重県四日市出身。京都産業大学卒。カルチャー・コンビニエンス・クラブを皮切りに、3社を経験し、28歳の時に、まったく畑違いの飲食に進み、「vivo daily stand」をオープンする。出店を積み重ね、2017年現在22店舗。50年後という想定だが、単一ブランドで、600店舗の出店を果たすつもりでいる。
主な業態 「vivo daily stand」
企業HP http://www.vivo.tokyo/

三重県出身。

愛知県の伊良湖岬に、いいホテルがあった。中学までは、毎年、家族で泊まった。父は工務店を経営していたから、どちらかといえば裕福だった。鈴木氏は、小学校ではサッカー少年団に入り、中・高は、ハンドボール部に入った。「できたばかりだったので弱かったですね」と笑う。
高校は、三重県でも進学校の県立「川越高校」に進んでいる。「あの頃は、将来、飲食事業をしているイメージはまったくなかったですね」。
「1ミリもなかった」そう。
大学は「京都産業大学」に進んだ。住まいは、銀閣寺のそばに決めた。最初は4万円のマンションだったが、「もったい」と1万円の風呂なしの木造アパートに移り住む。
大学時代の思い出はアルバイトと旅行。

中国と旅のご褒美。

写真を観て、中国にひかれた。高校時代の話である。「大学生になったら行こうって、その時から決めていました」。京都産業大学に進み、独り暮らしをはじめる一方で、中国に向かう準備も整えた。もっとも、所持金は10万円。夏までに資金がたまり、長い休みに突入すると、すぐに船に乗った。
「神戸港から、天津に向かいます」。天津は、渤海を奥深く入ったところにある都市だ。「天津から北京に進み、電車でパキスタンとの国境にあるウイグルまで行きました」。
2ヵ月。バックパッカーだ。宿泊するのは、1泊100円の宿。「食べ物ですか、まぁ、いけましたね。ただ、毎日、下痢です。下痢が常態化しているっていうか(笑)」。
翌年もまた中国に向かった。今度は、上海から入った。チベットまで行って、ヒマラヤを超えてネパールに入り、インドまで向かったそうだ。
「アジアは物価が安いから、学生にとってはいちばんいいんです」。中国は、漢民族がたいはんを占めているが、少数民族が多数存在していることでも知られている。
「少数民族系の料理も食べました。日本料理とは、ぜんぜん違うわけですが、抵抗はなかったですね」。好奇心も旺盛だ。中国だけではなく、ヨーロッパへも向かった。
「この大学の時の旅を通じて、やりたいことが明確になりました。一つは、日本のマンガや音楽などのコンテンツを海外に向け、輸出すること。そしてもう一つは、スペインでみたバールですね。あれを、日本でやりたいと思ったんです」。
この2つのプランは、旅がくれたご褒美かもしれない。

日本のコンテンツを世界へ。

「就職したのはカルチャー・コンビニエンス・クラブです」。いわゆる「TSUTAYA」である。「大学時代に、コンテンツの輸出をしようと思っていたもんですから、私には最良の選択だったと思います。ただ、ちょうど上場準備の時と重なって、IPOのプロジェクトに参加することになるんです。すごくいい勉強はできましたが、コンテンツの輸出はできませんでした」。
IPOを果たしたあとは、渋谷にオープンする「TSUTAYA」の立ち上げを担当した。「そうですね。そういう意味では、とても貴重な体験をさせてもらった4年間でした」。
鈴木氏が言う通り、CCC時代は4年で幕を下ろす。
「それからひとつ会社を経て、D2Cという電通とNTTが共同出資した広告代理店に転職しました。昔は30名程度だったんですが、いまはでかくなっていますよね。そちらで4年です」。
28歳。鈴木氏は、会社を離れ、温めていたもう一つのプランを実現するために行動を開始する。スペインで観た「バール」のオープンである。

「vivo daily stand」オープン。

「最初は、私1人です。でも、料理ができないから、料理人を公募して2人でオープンしました」。
大学時代、ジャズバーで勤務していた。だから、ある程度は、仕事を理解できた。オープンしたのは、中野駅の南口。繁華街の北口とは違って、静かな住宅街だ。
「駅からは2分です。家賃は22万円で、8.7坪。席数は14〜15でした」。損益分岐点は、一般的に家賃の10倍と言われているが、初月から、10倍は軽くオーバーした。いい時には月商300万円にもなったそうだ。
「規模が大きくないので、大儲けはできないんですが、赤字になりにくいし。そうですね。いまFCを含め22店舗出店していますが、悪くても採算ベースには乗っていると思います」。
少し先走ったが、今(2017年11月)現在、鈴木氏は、FC店を含め22店舗を経営している。スペインでみたバールが日本で受け入れられた証である。
「1号店の中野から、2号店の代々木まで、出店するのに2年かかりました。そこから出店を重ねて現在の22店舗に至ります。目標は、600店舗です。かなり先の目標ですが(笑)」。
たしかに、かなり先。50年後の目標らしい。しかし、着実に近づいている。今年は5店舗。セントラルキッチンを強化して、来年は10店舗の出店をもくろんでいる。
600店、全店が「単一業態・単一ブランドだ」という。つまり、全店「vivo daily stand」の看板を掲げる。単店でみれば小さなスケールだが、600店舗ともなれば、壮観なながめになるだろう。
バールで600店というスケールはいまだ聞いたことがない。
三重から出発した鈴木氏の旅は、思いも寄らなかった飲食にたどりつき、だれも目標としなかったような壮大な目標に向け、突き進んでいる。旅からはじまったもう一つの旅。先はまだまだ長いが、一歩一歩、進みつづければいずれ目的地にはきっとたどりつく。それが旅というものでもあるからだ。その時が待ち遠しい。

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