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第660回 株式会社BE FREE 代表取締役 林 卓氏
update 18/10/09
株式会社BE FREE
林 卓氏
株式会社BE FREE 代表取締役 林 卓氏
生年月日 1977年6月25日
プロフィール 三重県出身。音楽でデビューするため、14歳で1人大阪に旅立つ。中華料理店などでキッチンのアルバイトを行い、生活資金を稼ぎつつ、バンド活動に精をだす。19歳、レコードデビューを目指し、東京へ。イタリアンレストランなどで勤務。その店で、1人の客が、林氏の天性の才能を見抜いた。
主な業態 「カムラッド」「ドーノ」「ビストロ アスリート」「畑の匠」
企業HP http://be-comrade.com/

14歳、旅のはじまり。

ある年の夏。三重県の伊賀上野市にある、近鉄線の駅のホームで1人の少年が電車を待っていた。「中学2年の夏のことです」。向かうのは、終着駅でもある「近鉄難波」駅。
「夏休みですから、旅行者だと思う人もいたと思いますが、ぜんぜんちがいます。大阪で暮らそうと思っていたんです。ハイ。あては何もありませんでした/笑」。
貼り紙でみつけた中華料理店に住み込みでやとってもらった。
「正体は、薄々、気づいていらしたようですが、黙認してくださったようです。仕事はホールじゃなく、キッチンでした」。この時から、料理の世界に入るのだが、それは、たまたまの話。異なる貼り紙をみつけていたら、違う仕事をしていたかもしれない。
「私が大阪に来たのは、音楽がしたかったからです。小さな頃は野球が好きで、小学3年くらいからは、四番でエース。実は、中学でも評価していただいて、1年の時から四番で、エース。スカウトの目にもふれていたようです。私自身も、プロ野球選手にって思っていたんですが/笑」。
何気なく観ていたテレビで、「X JAPAN」を観る。それが、すべてのはじまりだった。「YOSHIKIさんを観て、突然、何かが弾けて。まだ、野球もつづけていましたが、小学6年生からドラムも独学ではじめます。音楽への思いが、だんだん大きくなって」。
その思いを抑えきれなくなったのが、中学2年の時。
「このまま『伊賀上野』ではあかんだろうと、大阪に出るんです」。
それが、14歳。旅のはじまりである。

14歳の、ドラマー。

中学2年。ご両親も、よく許してくれたものだ。
「長男ですからね。私も反対されると思っていたんですが、ぜんぜんOKでした。ほんまにええんか?ってこっちが心配になるほどでした。でも、『行くからには、一切援助しない。ぜんぶ1人でやれ』と言われました」。
きびしくされたのは、息子の覚悟を大事にしたかったからだろう。その一方で、一度、言い出したら聞かない性格も、わかっていらっしゃったはずだ。
「学校には、時々、顔をだしました。ええ、先生も公認です。無事、卒業はできて、卒業証書は郵送されてきました。もちろん、高校なんて考えません」。
肝心の音楽のほうはどうだったんだろう。
「こっちもライブハウスの貼り紙でメンバーを募集しているところをみつけて。そうですね。特定のファンの方はいらっしゃいましたが。まぁ、そんな感じだったですね。なんといっても、大阪ですから、音楽の世界ではローカルです。メジャーなんて話になるには、やっぱり東京だと、19歳の時に1人、新幹線に乗りました」。
当時のメンバーは5人いたそうだ。全員18歳、オーバー。
年下の14歳の林氏をみんなが、かわいがってくれた。林氏のパートは、ドラムと、ボーカルだったそう。練習は、真夜中から朝まで。「独学ですね。楽譜を買うお金もなかったですから、耳で聴いて、それで楽譜をつくって」。

メジャーデビューをめざして、上京。

せっかく出会ったメンバーと別れてまで、上京する。それが、19歳の時の覚悟。
「まず、新宿ですね。もともと大阪でも、中華以外に少しだけイタリアンをやっていたもんですから、新宿のウエディングイタリアンのレストランで。そうですね、1年半くらいはたらきます。1年もいると東京のこともわかってきて、そりゃ、やっぱり渋谷だろう、と、渋谷のイタリアンカフェに移ります。ここで、すべてがかわりました」。
どういうことだろう。
「あくまで仕事は音楽のためです。ただ、その一方で、料理が好きになっていきます。14歳から中華でしょ。そして、イタリアンです。キャリアも、それなりにあるわけですから、自信も少しばかり出てきます」。
そんなある日のことだったそう。
「1人のお客さんが、『このパスタをつくったのは、だれだって』って凄い剣幕でキッチンまでずかずかやってくるんです。もう、怖くって。渋谷っていうのは、こういう怖い客がいるんかって/笑」。
ただ、すぐにわかったことだが、林氏が「客」といったのは、そのカフェを経営する会社の部長で、2代目社長候補だった。しかも、その会社は、林氏いわく「でかい会社」で、実際、日本の食に大きな影響力をもつ食品会社だった。
「こわごわ、『ハイ』っていうと。『そうか。ちょっとうえに行って話そうか』と言われて」。
一口のパスタが、林氏の、もう一つの人生の、はじまりだった。「その部長さんは、なんでも私のいうことを聞いてくれました。音楽のことにも理解を示してくれて。そのうえで、いろんな便宜を図ってくださいました。1人ではいけない高級なディナーを食べに連れてくれたり。いや、とんでもない待遇でした」。

音楽から、料理へ。新たな旅のはじまり。

林氏自身がとまどうほどだった。部長だけではなく、当時、専務だった人にも目をかけられた。その部長は現在、社長となっている。「ずっと私の横にいろ」と言われたのは、いつ頃だったろうか。
「だんだん、私自身も音楽ではなく、料理のほうに重きを置きつつありました。とくに、このお2人に評価いただいたのが、大きかった。期待を裏切れない、という思いもありました」。
年齢でいえば20歳、ちょっと。髪はオレンジ。そんな若者をいろんな経営者が、受け入れた。「社長や専務にいろんな方をご紹介いただくんです。当時は、ぜんぜんわからなかったですが、今では、顔がひきつります。当時の会長が、あるパーティかなにかで、『ちょっと来い、こいつがうちの…』と相手をそう呼びつけ、私に紹介してくれたのは、なんと」。
名前を聞いて、びっくりした。
「急に『ニューヨークに行ってこい』っていうのもありました。当時は、食費はすべて会社持ちです。ぜんぶ、『領収書を切っていいから、食べ歩け』と」。
それだけ優遇された理由の一つは、林氏の料理のセンスだったことは間違いない。ただ、それだけではなかった。林氏は、おおげさにいえば、神の舌をもっていた。
「少し食べただけで何が入っているのか、だいたいわかるんです/笑」
音楽の、絶対音感のようなものだろうか。だから、若くして、大企業の開発部門の長になる。

東京のオヤジたち。

「どうして…」と、みんなが首をひねったらしい。「だって、だれもがうらやむような最高の環境ですからね。でも、私のなかでは、もうどうしても自分でやりたい、と。そういう思いが抑えきれなくなっていたんです」。まるで、14歳の時とおなじ。今度も、理解者はいた。
「社長も、専務も、東京のオヤジみたいな存在です。専務なんかは、朝から晩までいっしょでしょ。だから、ぜんぶお見通しでした。『いつか、そういうと思っていた』って。『ついていくのが、10名くらいいるだろう。そいつらも連れていっていい』と」。
破格を通り越している。いままで、いくらの投資をしてきたことか。しかし、一言も、そんなことを言わない。円満退社。この一つの事実だけでも、林氏への思いが伝わってくる。ともかく、26歳で、林氏は、独立し、「カムラッド調布店」をオープンする。

神の舌を持つ男。

いまも、林氏は、社長や専務とはもちろん、彼らが紹介してくれた経営者たちと、交流を持っている。その一方、独自のネットワークも広がった。
「芸人さんたちですね。うちの店には、芸人さんが『料理を教えて』といらっしゃるんです。ええ、まだYOSHIKIさんまでは私の名前はとどいていないんですが、いつか出会えることを楽しみにしています/笑」。
ただ、それだけではない。
いまや、林氏のまわりには、たくさんの生産者たちが顔をそろえる。「もともと、京野菜を使っていたんですね。でも、東京までもってくるとやっぱり値が張ります。で、どうしようかって思っている時に、東京の農家さんを紹介してもらうんです」。
「ブロッコリーを食べてみろ」と言われたそうだ。住宅街にある小さな畑。「泥を落として、ぱっと洗って。一口かじったんです。そしたら」。
神の舌が、感応した。
「こう言ってはなんですが、東京で育てている野菜なんて、排ガスまみれだろってね、そう思っていたんです。でも、ぜんぜん、ちがう。農薬だって、使ってないんです。『だって、おめぇ、こんな小学校も、住宅もあるところで、農薬なんて使えるか』って」。
食べたばかりのブロッコリーと、農家の主人の一言が頭で、一つの解をだす。「使うなら、東京の野菜だ」。
「ただ、畑の面積が小さいから、みんな専門農家さんなんです。アスパラなら、アスパラだけ。キャベツなら、キャベツだけ」。だから、端から端まで回った。さらに県境を超え、新潟や、生まれ故郷の三重にも。
「いまは、日本中を回っています。それが、仕事といえば仕事ですね。うちのいまのコンセプトは、産食レストラン。だから産地直送にこだわっているんです」。
神の舌をごまかすことができない。逆に、いままで誰にも気づかれていなかった食材が、神の舌によってデビューすることもあるだろう。それが、楽しみでもある。
 ちなみに、ぜんぶを紹介できないので、URLだけ貼り付けておく。
http://be-comrade.com/company/
こちらに、林氏の経歴が載っている。大手企業とコラボして、開発された商品の数々も。なるほど、神の舌だと感心いただけることに、疑いはない。

思い出のアルバム
 

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