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第702回 株式会社move 代表取締役、河井俊輔氏
update 19/04/23
株式会社move
河井俊輔氏
株式会社move 代表取締役、河井俊輔氏
生年月日 1979年2月17日
プロフィール 獨協大学卒。新入社員として、呉服関連の商社に就職したが、2年で退職し、2年間、日本で言えば短大のようなアメリカのコミュニティーカレッジに留学する。帰国後、2度目の転職で、飲食関連の展示会などを主催する会社に就職。仕事で、様々な飲食経営者と会い、そのなかの1人、田所商店の田所史之氏に惹かれ、飲食の本道を進み始める。
主な業態 「麺場壱歩」
企業HP https://move-move.co.jp/

小学3年。スネ夫、返上。

今回、ご登場いただいた株式会社moveの代表取締役、河井俊輔氏は1979年2月17日に池袋に生まれている。河井氏の父方の祖父は、自転車店からスタートし、自動車の整備工場を経営するなど、当時では、先端の仕事をされていた。
「当時、町には整備工場は、祖父の工場しかなかったそうです」と河井氏。
その祖父の次男が河井氏の父親。
次男だからだろう。父親は、会社をつぐことなく、一部上場企業に就職されている。昭和を代表するようなサラリーマン戦士だったそうだ。
「私は、親父の会社の、池袋の社宅で生まれます。それから、練馬に移り住みました」。
のちに埼玉の西武球場のちかくに住む。それもあって、ライオンズファン。
河井氏は、「1つ上の姉は、まじめで優秀だった」と笑う。一方、自身は大人しく、自己主張するタイプでもなかったそう。「まるで、ドラえもんの『スネ夫』のようなイメージ」と語っている。
それが、小学3年までつづく。
しかし、小学3年生になって練馬に引っ越すと状況はいっぺんする。
「何かがわかったわけではないんですが…、突然、足が速くなって」と河井氏。
相対的なものだろう。
「そうですね。池袋ではぜんぜんだめだったのが、練馬に転校したとたんトップクラスです/笑」。
「すごい奴がやってきた」と噂が広がった。周りの観る目が異なった。
いうまでもなく、スネ夫、返上である。

サーフィンとアメリカ留学と。

「中学は受験して、獨協大学付属に進みます。おかげさまで、大学まで、エスカレーターで一直線です/笑」。受験も、成績も、気にしなくていい。中学では「高校生の」、高校では「大学生の」生活を先取りした。とくに高校時代はコンパに明け暮れる。
「大学に行くまで、たいていのことはしたんで/笑」と河井氏。
「ふつうの人は、大学でデビューしたりするじゃないですか。でも、もう、いろんなことを経験済だから、醒めていたんですね」。
では、どうしたんだろう。
「それで、実は、いままでやったことがないサーフィンです/笑」。
この「飲食の戦士たち」でも、サーフィン大好きな経営者を数多くご紹介してきた。やらない人間からすれば、「何が楽しくてそこまで」となるのだが、かれらはへっちゃらだ。河井氏もまた、まだ朝が明けきらないうちにエンジンをかけ、埼玉から千葉まで2時間かけてでかけている。もちろん、夏も、冬も、関係なし。
「お金がなかったから、バリ島専門ですが、海外にもけっこう波を追いかけてでかけました。私の大学時代は、バイトとサーフィン。この2つで、充分、語れます/笑」。
就職したのは、呉服の卸などを行う呉服関係の商社。
「採用してもらった会社には悪いんですが、『これ』って会社がぜんぜんなくって、まったく適当な選択です。案の定、2年で退職してしまいました」。
2年で早すぎる退職。ただ、今思えば、正解だったかもしれない。
「実は、そのあとアメリカに行っているんです。2年でだいたい200万円くらいお金を貯めていたんで、そのお金で日本の短大のような、コミュイティーカレッジに留学します。英語が学べるインターンシップのようなプログラムに惹かれたんです」。
もっとも、こちらも、熟慮の末だったわけではない。
営業の途中、ふらりと立ち寄った本屋でみつけた「留学プログラム」。それに乗っかった。ただ、思い付きのようなこの留学で、人生が広がるから不思議だ。何より「行動」が大事という証だろう。

河井氏の心を打った経営者。

留学したカレッジを2年で卒業し、帰国。
「留学を経験したことで、人生に対する意識はかわりましたが、だからって、何を仕事にしたいかというのは、都合よく生まれません。ひとまず、エージェントを通して、ある外資系商社に就職しますが、やはり長続きしなかったですね。わずか1年です」。
 大学時代は、サーフィンに熱中した。社会では、熱くなれるものがない。いったん、熱中という尺度を持つと、それが足かせとなってしまうケースも少なくない。
燃えない仕事はつまらないのだ。
「そして、その次に勤めたのが、飲食関連の展示会を主催する会社です。これが、飲食との再会です。ただし、今度は正社員です」。
「実は、」と河井氏。
「実は、私も、飲食店の社長さんたちに『なんで独立していたんですか?』なんてインタビューしていたんです」。そうか、そういう意味ではご同業だったわけだ。
当然、ネットワークが広がる。しかも、相手は、多くの場合、社長。
そんななか1人の社長が、河井氏を虜にする。

田所氏との出合いと、暖簾わけ。

「いまうちは、『蔵出し味噌 麺場壱歩』というラーメン店を出店しているんですが、この店、実は、田所商店という人気のラーメン店の暖簾わけなんです。店名が違うんで、わからないと思うんですが」。
 きっけかは、社長さんとの出会いですか?
「ええ、さきほどもいったように、前職ではいろんな経営者にお会いするんですが、そのうちのお1人、株式会社トライ・インターナショナルの田所史之代表にすっかり魅了されてしまうんです。実は、田所さんからもお誘いを受けて。最初は社員として田所商店に入社して、新たに出店するニューヨークで勤務する予定だったんです」。
当時、早々と海外にも目を向けていた「田所商店」は、すでにブラジルにも進出したいたという。しかし、なんの経験もない人材をいきなり、責任者として送り込むことはできない。
「それで、半年間の修業がスタートします」。
包丁すらもったことがなかったそう。まして、中華鍋なんて、さわったこともない。
「でも、それが、だんだんと面白くなっていくんですね。わぁ、こんなことができるんだって。毎日、発見です。そのうち半年ってことも忘れて。そう、サーフィンの時のように、料理にハマってしまうんです。とにかく、突っ走るタイプですから、いったんハマっちゃうと止まりません。思考は、独立まで一直線です/笑」。
田所氏には、謝った。怒らずに逆に背中を押してくれたそうだ。心の広い人である。河井氏が魅了されたのも頷ける。

仕事にハマる幸せ。

「私が独立したのは、2011年です。それから、7年ですね。おかげさまで、「武蔵村山店」「東久留米店」「入間店」「所沢店」「東大和店」と計5店舗を出店させてもらっています。
ただ、これで終わるつもりはないだろう。
「そうですね。いま、オリジナルの居酒屋業態をリリースしようと計画しています」。
そういう河井氏は、心底、楽しそうな表情をしている。
ラーメンと居酒屋。どう結びつけるか。それも楽しみ、海外へ、という選択肢もいずれでてくるに違いない。いずれにしても、仕事にハマる幸せを教えてくれる経営者である。

思い出のアルバム
 

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