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第704回 RIZE株式会社 代表取締役 大間謙一郎氏
update 19/05/07
RIZE株式会社
大間謙一郎氏
RIZE株式会社 代表取締役 大間謙一郎氏
生年月日 1975年9月15日
プロフィール 千葉県君津市出身。高校中退。16歳から東京の名店で修業。7〜8店舗を渡り歩き、2004年、独立。千葉県君津市出身の経営者は、地域のイベントにも積極参加。富津市の「天羽漁業協同組合」から鮮魚を直接、買い付けるなど、地域の産業とも結びついている。
主な業態 「煖」「木更津商店」他
企業HP http://rize.main.jp/

日常に、暗雲がたち込める。

君津市は「新日鐵住金 君津製鐵所」で知られている。ネットで調べれば、1960年君津製鐵所の操業により人口が急増したとある。今回、ご登場いただいたRIZE株式会社の代表である大間氏のご両親が、九州から君津に移られたのも、その頃だ。
ご両親は、製鐵所ではたらく人々の胃袋をみたす飲食店を開始された。最盛期には同時に3店舗、結果的には7〜8店舗出店していた。「玄界灘」と言えば、君津ではかなりの有名店だったそうである。
「私は1975年に君津で生まれます。ハイ、根っからの君津っ子です。父の店が最盛期だったのはバブルの頃でしたから、私が中学になる頃ですね。当時、シーマって車があったんですが、父は千葉で2番目の購入者だと威張っていました。それだけ、羽振りがいい時代だったんですね」。
ところが、だんだん雲行きが怪しくなる。「だんだん、親父の車のグレードが下がっていくんです」。それでも、うちにはお金があると思っていたそう。「だって、生活はなにも変わりませんでしたし…」。
まだ、中学生。知らないで当然だ。しかし、雲は、だんだんとあつくなる。

韋駄天。高校から走り去る。

小学校の頃から駆けっこが、はやかった。サッカーも巧く、運動神経は抜群。ただ、才能に溺れず、練習もした。「からだを痛めれば、それだけ巧くなれると信じていたんです」。
中学2年になると、3年も含め、大間氏の先を走る生徒はいなくなった。タイムを聞くと、100メートル11秒台。そりゃ、敵わないはずだ。
「女の子にもモテましたね。ええ、挫折なんて知りません。勉強だって、やればできるほうでしから。ただ、勉強はもちろんですが、サッカーや陸上にものめり込むことはできなかった。高校も、すぐに退学してしまったんです」。
高校に進んだはいいが、留年が1年の夏に早々と決定。2年になる前に高校を中退した。16歳。むろん、何もやることはない。

選択肢は2つ。東京か、アメリカか。

「うちから店まで、そう離れてはなかったんですが、当時は妹が私のごはんをつくってくれていました。私たちは3人きょうだいで、年の離れた弟がいます。まだ医大に進んでいます」。自慢の弟である。
「私は、16歳で高校を中退し、父親の紹介で東京にある割烹に就職します。就職といっても『小僧』の就職です。でも、いま私があるのは、その店のおかげです」。
「飲食の道に進もうと思っている」と打ち明けた大間氏に、父親は2つの選択肢を用意した。一つはアメリカ、もう一つは東京。「アメリカっていうのは、ステーキハウスの『紅花』でした。ただ、アメリカで仕事をするなんて想像もできないから、東京を選択します」。
小僧の修業は、たいへんだった。しかし、たいへんな道を進むのは、スポーツとおなじ。甘い仕事より、大間氏には向いていた。

日が昇れば、思うこと。「今日で、絶対、辞めてやる」。

「ただ、たいへんと言っても、当時から、理不尽なことは一切許さない店主でしたし、教育も合理的です。店主は、のちに内閣総理大臣賞も受賞されるような人でしたから、料理のセンスも抜群です」。
もっとも、毎日のように「辞めてやる」と思っていたそう。だが、その暮らしは、4年も積み重なった。
「4年で卒業して、それから様々なお店を経験するんですが、おかげで恥ずかしい思いをしたことは一度もない」。料理も、それ以外も、全部ハイレベルだった証である。
「感謝ですね。それしかない。兄弟子たちの仕事を観ているでしょ。だから、職人の基準を測れるようにもなった」。むろん、大間氏もちからをつけた。
その一方で、父親の店は、閉店に追い込まれる。「親父は、いうならば私の反面教師ですね。うちは、全員、やりたいようにやる性格で、親父も昔はやりたい放題でしたから」。
大間氏はそういうが、料理の腕も、経営のセンスも群を抜かれていたのはたしかだろう。それらは、いま大間氏に受け継がれている。これは、間違いがない。

兄弟愛が、店の愛。

飲食の戦士たちにも登場されていますが、『一幸』さんに行き、独立します。ターニングポイントは、グローバルダイニングさんのホームページです。なんかこう、『飲食の、その先』を観た気がしたんです」。
大間氏も決意を固め、今の、その先へと進む。2004年、独立。1号店である「炭焼 煖」を開業する。2007年には、「木更津の煖」をオープン。翌2008年に法人化。その後も出店を重ね、現在4店舗を運営している。
店舗数はけっして多くはないが、その運営力には驚かされる。当初から「社会保険」を完備するなど、企業人としての常識をもとに、会社を運営されていたからだ。むろん、そればかりではない。週休2日制の導入なども進めている。
チェーン展開をめざすのもいいが、それ以上に一つひとつの店を育て、社員を育てる。社員にとって、ハッピーな会社はどちらか。案外、答えは明白な気がする。
「反抗期の真っただ中で、うちを飛び出したもんですから、実は、家族愛っていうのがぴんと来ないんです。でも、うちの店の子とは、きょうだいのようにつながっています。彼、彼女らは、私にとって弟、妹です。不幸になんて、できません」。
兄弟愛。
兄はもちろん、いちばんたいへんだ。そういう意味では、昔と同じように、いちばんたいへんな道を選んで進んでいる。

思い出のアルバム
 

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