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第761回 株式会社大和フーズ 代表取締役社長 相川和大氏
update 19/12/17
株式会社大和フーズ
相川和大氏
株式会社大和フーズ 代表取締役社長 相川和大氏
生年月日 1985年12月2日
プロフィール 1985年、千葉県に生まれる。以来、千葉をホームに育ち、現在も千葉エリアを中心に事業を拡大する。2019年現在で34歳。新進気鋭の敏腕経営者だ。
主な業態 「焼肉DINING 大和」「肉バルYAMATO」
企業HP https://yamatofoods.co.jp/

サッカー少年、高校3年の冬までボールを追いかける。

大正9年からつづく、肉卸の会社。今回、登場いただいた相川和大氏で、4代目となる。
「そちらでは専務です。大和フーズは私が27歳の時に起業した別会社です」。むろん、精肉卸直営店の肉の質は、大和フーズの絶対的な強みとなっている。
「そりゃそうですよね。肉のプロなんですから。そのうえ、うちは30ヵ月以上かけて飼育した雌の黒毛和牛を中心に一頭買しています。肉の質はもちろんですが、値段もかなり破格だと思います」。
たしかに、国産の黒毛和牛が中心のメニューで客単価3000円代前半は、安い。しかも、肉質がちがう。ちかくにあれば、だれもが行きたいと思うような設定だ。
3代目の父は、素朴な職人タイプの人だった。4代目の相川氏は、いつごろからビジネスに目覚めたんだろうか?
「私は千葉の館山で生まれ育ちます。サッカー少年で、千葉国際高校(現 翔凜高校)に進みます」。なんでも1年生の夏休みには1ヵ月ブラジルへサッカー留学するのが決まりだったそう。
「サッカー漬けですね。学校は君津市にありましたから、毎日5時くらいには起床していました。夜は9時くらいまで練習です」。相当、強いチームだったんだろう。
「でも、千葉には強豪校がたくさんありますからね。大会で優勝はできませんでした」。
サッカーの一方で、将来はどう考えていたんだろう。実家の仕事を継ぐことは考えていたんだろうか?
「それはないですね。サッカーのことばっかりでしたから。プロに行きたかったですが…。できる奴との差は歴然でしたからね。とくに、ブラジルで、現実をみたような/笑」。
それでも、ひたむきにボールを追いかけた。頭のなかは、それだけ。「3年生の11月までサッカー、一本でした。だから、正直、進路どころじゃない。その時になって『どうする?』って言ったってね。正直、何も思いつきません/笑」。
父がアドバイスを送る。
「父の勧めで肉の専門学校に進みます。この時、全国各地から集まった同志との交流をきっかけに、仕事について色々話し合いました。同期は年齢がバラバラで刺激的でした。このころですかね、商売について真剣に考え始めたのは。こちらを卒業したあと、人形町今半で3年修業を積ませていただきます」。
人形町今半。いうまでもなく、名店中の名店だ。

人形町今半の3年間と、「焼肉DINING大和 館山店」のオープン。

「人形町今半での3年は、いうまでもなく私にとっていちばん大事な時間だったと思います」。
厳しくはなかったですか?とたずねると、ニンマリと笑い「昔はね」と一言。「ただ、いい意味で、厳しくしてくださったおかげで、今があるのも事実です」。
3年ということは、今半を離れたのは22歳の時だろう。
「それから、父の会社に入ります。肉の専門学校に入学した頃からの、いったら既定路線ですね。ただ、私はいつか、精肉の卸だけではなく、新たなビジネスもやってみたいと思っていました。それが、いまの大和フーズです」。
BtoBからBtoCへ。消費者によりちかづくということだろうか。
「そうです。もちろん、今も本業は肉の卸だと思っています。ただ、肉のプロだから、できることは別にもある、と。それにも挑戦すべきだと思っていたんです」。
当初は、30歳を目標にしていたそうだ。しかし、3年、早くなる。
「銀行さんから、ご紹介いただいたんです。かなり古かったので内装は一新しましたが、もともと焼肉店だったので、設備が利用できたんです。これならコストも少なくて済むから『やってみよう』と。これが、27歳の時です」。
店名は「焼肉DINING大和 館山店」。オープンは2013年3月。さて、どうなっていくんだろう。

1日6時間の営業で、月商1000万円オーバー。

「初月から、予想以上でした。もともと焼肉店だったことも幸いしたかもしれません。肉質が上がり、値段は下がる。内装もおしゃれで、文字通りダイニングです」。
月商をうかがって、びっくりした。
「17時〜23時までの営業で、初月から80席で月商1000万円をオーバーします。スタッフは8名」。利益を計算するまでもないだろう。儲かっている。
「ただ、夏が終わる頃から、少し落ちていくんですね。サービスが追いついてなかったんでしょうね。それからです。はじめて経営の勉強を開始します」。
ホームページの沿革をみると、2013年3月に「焼肉DINING大和 館山店」開店。2015年7月「肉バルYAMATO千葉店」開店、同年10月「焼肉DINING大和 木更津店」開店となっている。
「私自身のこともあったんですが、スタッフの給料も上げたいという思いもあって、2015年から出店も始めます。2号店は、木更津なんですが、高校の時の、地の利がありましたから、いいだろうと。68坪、100席の大型店です。投資額は、創業店とは比べものになりません」。
不安はなかった?
「そうですね。なくはないですが、調査もお金をかけてやっていましたし、何より私自身、1日3食、焼肉を食べていましたからね」。
「いける」と舌が判断した、ということだろう。
しかし、である。
冒頭で書いた通り、30ヵ月かけ飼育した黒毛和牛だ。それだけでも貴重で、一頭買いだから、希少な部位も楽しめる。しかも、3000円代前半。失礼だが、だれが、みても流行りそうだ。ちなみに、「たれ」は質の高い和牛にマッチするようにあっさりした味。これが、またいい。

ここの肉は、旨い。

都内への進出など、今後の展開も聞いてみたところ、「都内はまだない」という返答だった。
「千葉でブランドを確立するのが、先です。ただ、将来的には直営店で200店舗は出店したいと思っていますから、当然、早いうちには…」。
「200店とは、大きな構想だ。しかし、その構想を実現するための手は着々と打たれている。その一つが、新卒の採用だ。大和フーズでは、創業から3年目となる2015年の5月から、新卒採用を開始している。いまのところ、高卒採用が主だが、大卒者にも門戸を開いている。
「彼・彼女らが、定着して、事業をリードしてくれるようになれば、いいな、と」。1期生、2期生、合わせて採用数は5名とけっして多くはないが、将来の幹部候補を目指し日々奮闘中だ。「今年も、数名採用できそうですしね。大卒者も初めて採用できるかもしれません」。
当然、中途採用と混在して育成されていくのだろうが、やはり新卒者は経営陣にとって、将来の幹部候補である。実際、彼、彼女が、やがて役員などになった企業は、強い。
「それとは異なりますが、今年、新ブランドとして鉄板もやりたいんですね。鉄板をやることで、焼肉、バル、弁当以外でのお客様への提案が可能になります。今度、1号店を千葉駅前に出店します。こちらは客単価が8000円くらいかな。ただ、いままでできなかったサービスを実現していきます」
投資額は、ハンパない。ただ、「本当に美味しい物を美味しい状態でお値打ちに提供する。勝算は高い」と相川氏。
「この鉄板のブランドを含め、これからは毎年出店していきたいですね。まず、千葉県です。業態にもよりますが、新興住宅エリアが出店候補になります」。
いよいよ200店舗へ向け、加速していくのだろうか。
「ただ、店の数だけじゃなく、うちはおいしいお肉を気軽に食べていただく、そこを忘れてはいけない、と思っています。定期的に東北や九州の生産地へ行き、飼育環境や餌などを自分たちの目で確かめます。また、お店では、お客様のために最適な焼き方を提案できるように日々トレーニングをしています。スタッフみんなが、肉のプロ。
それが、いちばんの強みになる、と思うんです」。
たしかに、そうだ。消費者からすれば、やはりそれがいちばん。
「ここのお肉は千葉でいちばん旨い」。
ピッチを駆けつづけてきた相川氏は、今、かつてとは違う声援を受けている。今の相川氏にとっては、どこまでも、走れそうな声援に違いない。
ちなみに、大和フーズの大和は、相川和大氏の名前を逆にした、ネーミングでもあるのだそうだ。
先祖に感謝し、日本の和牛の良さを更に引き出し、食肉を通じ社会に貢献したいというロマンを持った経営者だ。

思い出のアルバム
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