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第777回 株式会社ピエトロ 代表取締役社長 高橋泰行氏
update 20/03/24
株式会社ピエトロ
高橋泰行氏
株式会社ピエトロ 代表取締役社長 高橋泰行氏
生年月日 1964年12月4日
プロフィール 大学卒業後、運輸関係の企業に就職。34歳でピエトロの創業者村田邦彦氏に出会い、株式会社ピエトロに入社。社長秘書からスタートし、海外事業をはじめ、通信販売部門や食品部門で責任者を務め、役員に昇格。創業者の急逝にともない、社長に就任。
主な業態 「ピエトロ」「洋麺屋ピエトロ」「ピエトロバルコーネ」「ピエトロコルテ」「PIETRO A DAY」他
企業HP https://www.pietro.co.jp/

ピエトロ交響曲。

「頭の中がピエトロで埋め尽くされた」と笑うのは、ピエトロ代表取締役社長の高橋泰行氏である。
大学時代はボート部。その時の先輩に誘われて、運輸関係の大手企業に就職する。
「ピエトロに転職したのは34歳の時です。飲食とはまったくちがう仕事をしていましたから、まったくの畑違いの会社からの転職組なんです」。
知人を通じ、創業者である村田邦彦氏と出会う。
「当時、村田社長は59歳で、ピエトロは、創業20年。海外展開を志向されていた時です。社長の野心的な話を聞き、人柄に触れるうちに、だんだんと頭の中がピエトロばかりになってしまいました」。
転職するなら、年齢的にもこれが最後だと思ったそう。しかし、そう簡単に決断できない。「子どももまだ小さかったですしね。ただ、妻は薄々気づいていたようです」。転職の話を切りだすと、奥様はためらうことなく賛成してくれたそうだ。「でも、親の説得が大変でした。当時は今とちがって転職は稀なことでしたから。まして、畑違いの飲食業でしょう?」。
ただ、いかに反対されても、ピエトロという会社と、その創業者が指揮する「ピエトロ交響曲」は、頭から離れなかった。

創業者・村田邦彦氏の未来図。

いろいろ不安もあったとおっしゃいますが、そうはいっても高橋社長のなかには、飲食の世界で広がる未来図があったんじゃないですか?と問いかけてみた。
「もちろん、そうですね。希望観測的な…。ただし、入社まもない頃は、創業者である村田社長がつくった未来図を観ていただけかもしれませんね。なにしろ、村田社長は、最初にお会いした時から、私にとっては英雄だったんです」。
村田氏は、いうまでもなく日本を代表する経営者の1人で、いち早く、スパゲティに魅了され、その料理に可能性を見出し、さらに、レストラン生まれのドレッシングを世に送り出した人でもある。
「村田社長も私と同じサラリーマンの経験者なんです。ただ、それ以前が料理人だったんですね。ピエトロのレストラン1号店をオープンしたのは、39歳の時だったとおっしゃっていました」。
むろん、創業シェフは、村田氏本人。
始まりは、1980年。福岡市・天神に創業したパスタ専門店「洋麺屋ピエトロ」である。翌1981年には、早くもレストランで提供していた手作りのドレッシングの店頭販売を開始している。
「当時はスパゲティといえばまだミートソースかナポリタンの時代ですね。そんな時代に、高菜や明太子、納豆などの「和」の具材で、「洋」のスパゲティにチャレンジしていきます。当初から海外にも目を向けていました。海外1号店は、ホノルルにオープンした『アンジェロピエトロホノルル店』。1992年のことです」。
高橋氏が転職したのは、34歳の時、1999年のこと。企業力はあったが、まだ、東証二部上場も果たしていない。
「それでも、村田社長の頭のなかには、壮大なスケールの絵があったんです」。
むろん、当時、村田氏に惹かれたのは高橋氏だけではないだろう。店舗や工場で仕事をするスタッフたちも、きっと、そうであったはずだ。

創業者の宿題。

「私は、社長の秘書として、ピエトロに入社しました。出張がある度に、ご一緒させていただきました。正直にいうと不安もありましたが、昔から一度、心が動いてしまうともう止まりません」。
高橋氏をそこまで動かしたのはなんだったんだろう? 改めて聞いてみた。
「事業の将来性とかそういうのもありましたが、何より英雄の下で仕事ができることですね。村田社長に心をわしづかみにされ、動かされてしまったわけです」。
時代を切り開く、英雄。立身出世という言葉が適切かどうかわからないが、村田氏もまた一介の料理人から経営者となり、日本を動かした人である。その英雄の下で、高橋氏は仕事の喜びを見出したにちがいない。村田氏の発想は、空を駆けた。それを、高橋氏が追う。
「怒られることばかりだった」と高橋氏は、当時のことを懐かしそうに語る。
「秘書からスタートして、まずは海外事業、それから通信販売部門や食品部門、製造部門の役員なども経験しました」。
村田氏による英才教育?
「う〜ん、そうかもしれませんが…」。
それから、社長ですか?
「そうですね。村田社長が急逝されて、会長と、専務と私の3人が代表取締役となり、私が社長に就任します。村田社長が現役の時に、東証二部から一部に上がったのは大きな喜びだったと思います。ずっと望んでいらっしゃいましたから」。
村田氏はどんな人だったんですか?
「創業者ですからね。パワフルだし、厳しかった。でも、スタッフをことのほかかわいがった。私も、かわいがっていただきました」。
ところで、社長に就任されてからレストラン部門を立て直されていますね。
「ドレッシングなどの食品部門は好調だったんですが、レストラン部門は、赤字が続いていました。レストラン事業は、我々の創業事業ですし、そこから商品開発など食品事業にフィードバックされることも少なくない。だから、この部門が元気でなきゃいけないんです」。
村田氏が残された宿題かもしれませんね? そういうと高橋氏は、「そうかもしれませんね。社長として出席した最初の株主総会では、株主のみなさんに『もう少し時間をください』と言いましたしね」といって笑う。
創業者の宿題ともいえるレストラン部門の再生に向けて、スタッフと一丸となって動き始め、手応えをつかんでいる。社長に就任した翌々年には6期ぶりに黒字化となった。
2019年3月期の短信では、レストラン事業のセグメント利益は32百万円。前期は、72百万円の損失だったからV字回復だ。

悪口を言わない。

「私が取り組んだのは。ヒアリングですね。全店舗を、そう、2回ずつ回りました。1回目は、社員です。2回目は、アルバイトやパートさんたち。彼らが、どんな思いで仕事をしているのかといったような、そういう声をヒアリングして回ったんです」。 社員より、アルバイトやパートさんの声が参考になったそう。
「みなさん、ストレートですからね/笑。でもそれがありがたいです」。
雨漏りがあると聞いたのもパートさんから。「社員は、費用がかかるからと口をつぐんでいたようですね。レストラン事業の業績も知っているから言いだせないんです。それをパートさんが教えてくれる」。
話の端々から、アルバイトやパートさんへの思いがうかがえる。ただ、アルバイト・パートといった人たちが「会社のため」と、口を開いてくれるのもめずらしいことだ。しかも、相手は社長。怖いし、言いにくい。この事実一つからも、高橋氏が、いかにスタッフに信頼されているかが想像できる。
「ピエトロに入社してから、人の悪口は言わないよう心がけています。それが、今思えば信頼っていうか、こいつなら言っても大丈夫だろうってことになったのかも知れないですね。村田社長が、ある社員を指して、『あいつはどうなんだ』って怒ったりした時も、『どうですかねぇ?』って、ごまかしていたほどです。だって『そうですね』と言えば、悪口になっちゃうかもしれないでしょ」。
ところで、ピエトロに就職するにあたり、高橋氏は東京から福岡に奥様と一緒に引っ越してきた。
「妻には迷惑をかけたな、と思います。だから、頭が上がらない」。
「引っ越してきた頃は子どもが小さかったし、周りに知人もいないわけです。だから、大変だったと思います。それでも、ちゃんと頑張ってくれて。ええ、今では私たち夫婦も子どもも、みんな福岡が大好き。それも妻のおかげですね」。

高橋流、ピエトロの未来をつくるレシピ。

いまからは?というと、「スープ事業などにも力を入れていきたいですね」と高橋氏。2019年4月に立ち上げた新ブランド「PIETRO A DAY(ピエトロ ア デイ)」のスープをメインにしたカフェをオープンしていく予定もあるそうだ。
パスタ関連商品にも注力している。
「辛味ソースも、たのしみなアイテムの一つですね。村田社長が自社グループの農園で唐辛子を育てていまして、昔から、そこで収穫した唐辛子を使って製品化していたんですが…」。
なかなかスーパーに置いてもらえなかったそうだが、パッケージを替えて自社レストランの店頭に置いたところ大好評なんだそう。
「それともう一つ」と高橋氏。
「『アネージ』というイタリアで長い歴史を持つパスタブランドがあるんですね。村田社長もぞっこんで、ピエトロレストランでは22年前からずっとこのパスタを使用しています」。
アネージのパスタは、イタリア国内でも有名で、ものづくりの姿勢がピエトロと似ているという。
「2019年10月から、ピエトロが販売代理店として初めてイタリア国外で『100%イタリア産デュラム小麦』を使ったパスタを扱うことになって…。ええ、自社レストランと通販、一般流通でも販売しています。弾むようなのどごしと、長く続くアルデンテの食感をぜひ実感していただきたい」と語る高橋氏自身が嬉しそうだ。
村田氏は、経営者であると同時に料理人だった。だから、パスタへの愛情も人一倍だったのだろう。アネージの心を動かしたのは、そういう愛情ではなかったか。
そして、今やその愛情は、高橋氏にも受け継がれている。
「おいしいパスタとドレッシングを中心に、新しいスープ事業を含め、社員やパート、アルバイトの1人1人がそれぞれの持ち場でいい役割を演じて…。そうすることで、今までの継承を大切にしながら、新しいピエトロをつくっていくことができると思うんです」。
それは、いうならばピエトロの未来をつくるレシピかもしれないですね?
そういうと、高橋氏は力強くうなずいた。
その姿をみて、もう一人の英雄が、いま目の前に現れた気がした。

思い出のアルバム
 
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