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第785回 株式会社ハイファイブ 代表取締役 水野裕嗣氏
update 20/04/21
株式会社ハイファイブ
水野裕嗣氏
株式会社ハイファイブ 代表取締役 水野裕嗣氏
生年月日 1973年3月21日
プロフィール 愛知県名古屋市生まれ 知多市育ち。大学卒後、TV制作会社を経て、中京テレビの映像企画会社に入社。中日ドラゴンズの選手たちや、女性レスリングの吉田沙保里選手などを取材し、評価も得るが、2006年、会社を辞め渡米。アメリカでは、ニューヨークを拠点にMLBの選手などを取材。帰国後は、日本テレビ「ZIP!」の立ち上げメンバーとして特集コーナーを演出するなど、マスコミの第一線で活躍。しかし、2016年、「食」と「健康」をキーワードに、ハイファイブを設立。飲食事業をスタートする。
主な業態 「HIGH FIVE SALAD」
企業HP https://highfive.tokyo/

中京テレビの映像企画会社に入社するまで。

育った知多市は、人口が多かった。父親はカーディラーの営業マン。「父親は私と違って、決まったことをきっちりやるタイプ」と、水野氏。この言葉からも、水野氏の生き様が伺える。
 高校は、それなりに進学校に進んだが、ご本人曰く、落ちこぼれ。高校2年の冬には担任から「どこにも進学できない」とくぎを刺されてしまう。
それで、猛勉強を開始する。
「そうですね。どこにも進学できない、と断言されちゃうと、腹も立つわけで」。
ただ、やってみれば、勉強も楽しい。
「今までやってこなかったぶん、ね」と水野氏。
猛勉強の結果、南山大学に進学する。
 「大学時代は、結婚式のラウンジや、パスタが好きだったからイタリアレストランとか、家庭教師とか。アルバイトはそんな感じですね。そうそうカヌーにハマって、インストラクターになろうと真剣に考えたこともあります」。
 水野氏の経歴を知れば、マスコミに興味があったと思うのだが、そのあたりはどうだったんだろう?
「マスコミに興味が湧いたのは、じつはマスコミに入ってからなんです/笑」。
どういうことだろう?
「じつは4年で卒業出来るとは思っていなかったんですね。単位が少なくって」。
でも、出来てしまった?
「そうなんです。5年生に向けて、どうしようかと思っていたら、卒業でしょ。就職先を探し始めたのも、3月から。就職雑誌を読んで、なんとかTVの制作会社に滑り込みます」。
なるほど、マスコミを狙ったわけじゃなく、苦肉の策だったわけだ。
「そう、その時期になると、会社のほうも、来年度の採用活動でしょ。大体終わっている。そういう意味ではありがたいですね。この会社で、映像の制作などに関わり、ディレクターの仕事に興味が湧きます。結局、その会社は半年で退職して、中京テレビの映像企画会社に転職し、こちらで32歳まで勤務します」。

興味が向けば、走り出す。

ところで、飲食にも海外にも興味があると水野氏はいうのだが、いつ頃からの話なんだろう?
「高校の時です。ふだん新聞は読まないんですが、たまたま、『この道』っていうコラムにロッキー青木さんの半生を綴った記事があって、それを読んで、飲食にも海外にも惹かれたわけです」。
大きなターニングポイントだったんですね?
「そうですね。ただ、海外に行くのは、就職してから。テレビの仕事で初めて行きました。やっぱりよかったですね。それからは毎年1〜2回は、休みを取って行くようにしています」。
一番の思い出は?
「24歳の時ですね。ニューヨークに行って、『カルチャーショック』っていうのを初めてリアルに体験します。一時、向こうに住もうと思ったほどです。英語も話せないのに、ね/笑」。
どうやら、「マスコミ」と「海外」と「飲食」。これらが水野氏の人生を語る時、キーワードになりそうだ。
そのことを水野氏にいうと、「もう一つ、『スポーツ』がある」という。
「中京テレビの時に日テレの『ズームイン!!朝!』で中日ドラゴンズを担当していたんです。当然、プロ野球選手とも接しますよね。それともう一つ例を挙げれば、女子レスリングです」。
女子レスリング?
「そうです」。
話を聞いて、驚いた。水野氏は、今TVでも注目されるようになった女子レスリングの立役者の1人と言っていい。アテネオリンピックでは、吉田沙保里選手が金メダルを獲った瞬間を観戦し、取材している。
「吉田選手や伊調選手が高校生の時からの付き合いです。ええ、まだオリンピック種目じゃなかった時代からです。当時は、ぜんぜん注目もされていませんでした。私は3行記事を頼りに彼女たちの下に行くんですが、その時からもう、この子たちから離れちゃダメだと思いました。かわいい女の子が命をかけ、打ち込んでいる。報道しないわけにはいかないでしょ」。
「ある意味、タイミングがよかった」と水野氏。
「少しずつ世間でも注目され、やがてオリンピック種目にもなるんです。そしたら、彼女たちが、金メダルを獲って。ええ、彼女たちのおかげで、私自身、ふつう出来ない経験をさせてもらいました」。
大学までの水野氏の人生が、ある意味、定番だとしたら、大学を卒業してから先が、破天荒だ。興味が向けば、そちらに向かって走り出す。そんな人生だ。

ニューヨーク、生活。

吉田選手らが活躍するギリシャのアテネオリンピックが2004年。2005年には、愛知万博が終わる。2006年、水野氏は会社を辞め、アメリカに向かう。「念願だったオリンピックの取材も出来ましたし、愛知万博も終了した。それで、アメリカに渡ることを決意します。ミズリー州にあるジャーナリストを育成する大学に進みます。当時、1000万円くらいの貯金はあったんですが、それを取り崩す生活でした。マクドナルドのコーヒーを飲むかどうか、迷ったのもあの時が初めてですね/笑」。
32歳。迷った末に飲んだマクドナルドのコーヒーはどんな味がしたんだろう。ところで、向こうでジャーナリストになるには、相当、語学力がなければならないはずだ。 
「そうなんです。ジャーナリストをやるには、語学でもかなりいい点をとらないといけないんですね。TOEFLのスコアでいえば、600点です。なかなかいい成績が残せず、大学院に進もうとした時ですね。ある大学から合格通知もいただいたんですが、その時、日本のプロデューサーから電話が入るんです」。
松坂大輔選手ですね?
「そう、松坂選手がMLBで登板する日に応援に駆け付けた時に、日本人ということでインタビューを受けたんですね。それを、日テレのプロデューサーが観ていて」。
それで、NTVIC(NTV International Corporation)ですか?
「そうなんです。ひとつ枠があるから、NTVICで仕事をしてみないかって。もともとNTVICで仕事がしたくて学校に通っていたくらいですから、話をいただいた時は舞い上がりました」。
NTVICでは1年、仕事を続けた。MLBの取材を行ったのは、この頃の話だ。ただ、リーマンショックが起き、帰国。
帰国後は日本テレビ「ZIP!」の立ち上げメンバーとして特集コーナーの演出などを行い、地位を固めていく。
しかし、2016年、ある飲食の経営者の言葉に背中を押され、キャリアを捨て、飲食業界に進むことになる。

パワーサラダで、アジアナンバー1に。

文字で追ったロッキー青木氏の人生。インタビュアーとなり、リアルに追いかけた吉田沙保里氏や、松坂大輔氏ら海を渡ったMBLの選手たちの人生。
そうした人たちの人生との出合いが、今の水野氏を作っている。
「そうですね。会社をはじめてまだ4期目ですが、目標は『アジア NO.1のサラダ専門店』です。スポーツ選手たちに負けてはいられませんからね」。
そういって水野氏は笑う。
「改めて、食への興味も湧き、健康に関心を持つことになったのは、間違いなく様々な選手たちと接してきたからです。それを今度は、多くの人たちに伝えていきたいと思っています」。
もうひとつのジャーナリズム精神ですね?
「なるほど、そうかもしれません/笑」。
ホームページを観ると、4期目にして有能なスタッフたちが集っているのが伺える。
これが、現在のチーム水野だ。
メニューには、様々なパワーサラダが並ぶ。
文字通り、力が出るパワフルなサラダである。はたして、アジアナンバー1になれるのか?現在、店舗での販売だけではなく、パワーサラダをオフィスへ届ける事業にも力を入れている。これからもっとパワーサラダが身近になっていくことだろう。取材者の1人として、また1人のファンとして見守っていきたいと思った。

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