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第791回 株式会社Non-Stop Dining 代表取締役社長 工藤 徳将氏/岩崎 純平氏
update 20/06/09
株式会社Non-Stop Dining
工藤 徳将氏/岩崎 純平氏
株式会社Non-Stop Dining 代表取締役社長 工藤 徳将氏/岩崎 純平氏
生年月日 工藤氏:1985年11月15日、岩崎氏:1985年9月19日
プロフィール 工藤氏:千葉県佐倉市出身、岩崎氏:石川県出身小松市出身。工藤氏は、カリフォルニア大学卒。中堅メーカーに管理職として就職するも1年少しで退職。ベンチャー企業である「グロブリッジ」に転職。一方、石川県小松市出身の岩崎氏は、東京と小松を何度も行き来し、仕事も転々としたのち、おなじく「グロブリッジ」に転職。時期もほぼおなじ。店長になった時期も重なる。業績でいえば2人で1位、2位を独占したことも少なくない。2016年1月、独立し、1号店をオープン。以来、2つのエンジンを搭載した会社「Non-Stop Dining」は、社名通り、ノンストップの快進撃をつづけている。
主な業態 「喜どり」「蔵どり」「野焼」「じゃじゃ馬」「無兵衛」
企業HP https://non-stopdining.co.jp/

竜馬に刺激され、工藤氏は、海を渡る。「次は帰ってくるな」は、岩崎氏の親父の一言。

「わしには、天がついちょる。」
「竜馬がゆく」のなかで、司馬遼太郎は坂本竜馬に、そう言わせている。この「竜馬がゆく」を、人生のターニングポイントに挙げる人は少なくない。
今回、ご登場いただいたNon-Stop Diningの共同経営者の1人、工藤氏もその一人だ。
「私は、小学校の頃から県の選抜に選ばれるような、サッカー少年だったんです。勉強もわりとできた方で、高校はサッカーで有名な県立八千代高校に進みます」。
もちろん、めざすはJリーガー。「日本のゴールはオレが守ると思っていたんですが、、高校時代、ライバルにまけてしまって。ええ、初めての挫折ですね。これじゃ、プロにもなれない、とじつは2年くらいで部も辞めてしまいます」。
目標を見失う。
「大学もいろいろあって1浪します。そのとき、『竜馬』という人を知ります。ええ、もちろん、『竜馬がゆく』を読んで、です。竜馬と比べたら、ぐちぐちしているオレってなんて小さい奴なんだって。はい、そうです。このあとアメリカに渡るんですが、それも竜馬の影響ですね」。
工藤氏は、1浪のあと、語学学校に留学し、のちにカリフォルニア大学に進んでいる。カリフォルニア大学といえば、ソフトバンクの創業者、孫正義氏の出身校でもあるそうだ。
その頃、もう1人の共同経営者である岩崎氏は、キャバクラの黒服だった。「私は、石川県の小松市出身です。高校を卒業して、いったん小松製作所に就職するんですが、そのあと東京へ。20歳から黒服を、そうですね、1年3ヵ月くらいしていました。それからは、田舎と東京を行ったり来たり。3回目にとうとう親父から、次は帰ってくるな、と/笑」。
目標がなかったわけではない。何かをやりたいと、漠然と思ってはいた。
「それ、つまりやりたいことが、なかなか形にならなかったんでしょうね。すぐ上の兄は、石川で料亭に就職し、そのあと東京のプリンスホテルに転職したりするんですが、私には、そういう具体的なプランもなかった」。
とはいえ、寝ずに3ヵ月で100万円をためたりしている。ガッツは、むろん、あった。「24〜26歳くらいまでは、上野にある和食の店で料理の修行をしました」。
この頃にはもう、「独立」という文字が頭にあった。「工藤とは、グロブリッジという会社で出会うんですが、私がその会社に就職したのは、3年で独立させる、というフレーズに惹かれたからなんです」。

ベンチャーで、2人が出会う。

「大学を卒業したのは24歳です。じつは、大手の食品メーカーや電機メーカーにも受かっていたんですが、それらを袖にして、中堅のメーカーに就職しました」。
工藤氏の話を聞くと、「大手だからいいとは限らない」という発想ができる軸をもった学生だったことがわかる。「就職した会社は、いちおう中堅クラスだったんですが、いきなり副部長からスタートさせていただきました。もちろん研修があって、その後に副部長としてという流れです」。
ただ、1年とちょっとで辞めている。
「そうなんです。約束通り、管理職として仕事もさせていただくんですが、上は上で、ちゃんと詰まっていて、そこから先に行くには、何年もかかると思ったんですね。それで、退職させていただきました」。
「大企業より、中堅だ」と思って入社したが、歴史のある会社で、キャリアアップするのは、やはり、なかなか難しい。ならば、と選択したのが、バリバリのベンチャー企業「グロブリッジ」だった。
「工藤と会ったのは、入社して1〜2ヵ月くらいしてからですね。有楽町の立ち上げの時だよね」「そうです。ぼくらは同い年だし、転職した時期もだいたい同じなんです」。
知り合ったときの工藤氏の印象を岩崎氏にたずねると、とにかく、熱量がある奴という答え。横で、工藤氏が「私の、岩崎の印象もまるでいっしょ」と頭を上下する。
2人は、当然、いい友になり、いいライバルにもなる。
「私は、1年くらい経って海外事業部に配属されるんです。オーストラリアのシドニーで2年ちょっとかな」。
「ぼくらは2人ともグロブリッジに合計3年半くらいですから、岩崎は、大半、向こうですね」。
「当時は、いわゆるそういう時代でもあったので、仕事もかなりハード。厳しかったですね。それでも、辞めようとは思わなかった。もちろん、独立はしたいと思っていましたから、店を黒字化したときに、一度、上司にその話をしています」。「売上でいえば、ぼくら2人がたいてい1位か、2位だったよね」「そうだな。昇格も早かった。2人とも早くから店長会議に参加するようになっていて、独立の話をしたのは、会議のあととかだったよね」。
日本と海外と離れていたが、思いはおなじ。「連絡は、もちろん取り合っていました」。やがて、グロブリッジを卒業する日がくる。ベンチャー企業を卒業し、ベンチャー企業をつくる。2人の戦いが始まる。

2つのエンジンを搭載したベンチャー企業。

ホームページを観ると、トップページに「創業から4年間連続で成長率200%の急成長。ワクワクする未来を自分の力で切り開く」という文字が掲載されている。
この取材を行ったのは、2020年。2人が独立してまだ4年目のことだ。早くも4業態、6店舗を出店している。描く目標もバカでかい。「でっかい夢を描いて何が悪い!?」、これもトップページに書かれた一言だ。
「1号店を出店したのは2016年の1月です。ええ、それが、『蔵どり』門前仲町本店です。今年で4年目ですが、業績は、おかげさまで好調です。正社員の募集も開始して、いま13名くらいかな」「そう。まだまだですが、社員を採用するとね。やっぱり、大事にしなくっちゃ、と思います。平均年齢は、30ちょいかな」。
給料は33万2千円。悪くないというより、いい。すごく、いい。
「私は、大学時代、アメリカに渡って、外に出たからか愛国心っていうのが、すごくあるんですね。日本のなかにいたらわからない。岩崎もオーストラリアに2年いましたから、そういうのは、わかってくれると思うんですが」。
「私は、海外といっても、仕事漬けでしたからね。日本とそうかわらない/笑」。
それでも、2人は意気投合している。
「ひょっとしたら、最終の目標が違うからかもしれませんね。私は、日本をよりよくしたいんですよ、もっと盛り上げたい!って感じで。その手段が、私の場合は飲食でして。なので、最終は飲食業をもっと誰もが憧れる仕事にしたいなって。」「岩崎は、ブランドをつくるのが好きなんです。工藤に比べると現実的ですが、10業態10店舗を目標にしています」。
創業10年で年商10億円。これが最低の目標だという。株式の上場も、むろん、視野に入れている。「今年は4億円くらいですね」。今年を入れ、あと7年、難しい数字ではないだろう。
とはいえ、飲食の仕事は、難しい。カベにぶつかることもあるだろう。その時、隣に友がいる。それは、何より心強い事実。いわば、二基のエンジンを搭載しているようなものだ。だから、止まらない。ノンストップで、この会社は駆け上がっていく。

思い出のアルバム
 
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