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第793回 株式会社バンズダイニング 代表取締役社長 塙 良太郎氏
update 20/06/23
株式会社バンズダイニング
塙 良太郎氏
株式会社バンズダイニング 代表取締役社長 塙 良太郎氏
生年月日 1967年3月5日
プロフィール 慶応義塾大学卒。生まれ故郷の千葉県議会議員の秘書を5年勤めたあと、当時、単年度売上1.5億円、赤字4000万円、債務超過額はおよそ8億円の父親の事業を継承する。以来、「泥水をすすり、ゴキブリにでも成ってやる」と強い意志を持って身を粉にして働き、事業の立て直しに奔走。10数年で当時の借金は完済。2013年からは東京に進出し、不動産事業も本格スタート。2014年1月には社名を現在の株式会社バンズダイニングに。バンズは「絆」を意味している。 現在、グループ売上高は25億円、従業員350名、飲食、製造、不動産業等、関連5社を経営。東京、仙台、千葉を拠点に展開中。
主な業態 「伊達のくら」「くらのあかり」「炙りや幸蔵」「いなせや幸蔵」「KOUZO」他」
企業HP http://bonds-dining.com/

東京進出と、不動産事業の本格始動。

前回(2011年)、ご登場いただいてから9年が経つ。すでに50歳を超えたが、益々、意気軒昂だ。2011年、当時と比べ、事業も格段に厚みを増している。
2013年、ホームグラウンドの千葉から離れ、東京に初進出。「湯島にある不動産を買いました。おなじ年の9月には日本橋に2つの大型不動産を購入し、以前からやりたいと思っていた不動産事業を本格的にスタートさせます」。
飲食では9月に「FRENCH BAR KOUZO」、10月に「BISTRO KOUZO」、11月に「炙りや幸蔵」を次々、オープン。翌2014年1月には、社名も現在の「株式会社バンズダイニング」に変更する。
「バンズは『絆』という意味です。お客様との絆、従業員との絆、地域やお取引先様との絆を大事するという、我々の事業理念を表現しています」。
グループの事業は、前述の不動産に加え、製造業も行い、飲食と合わせて、三本柱の構成となっている。
「ストックビジネスの不動産事業を行っているから、飲食事業のアクセルも思い切り踏み込める」と塙氏。いわば、これが、塙氏のビジネススタイルである。
「飲食にとって、家賃は大きなコスト。千葉で飲食をやっていた頃から、もったいないと思っていたんです。でも、ビルを所有していると、家賃の意味も違ってきます。無駄にならない。たとえば、融資を返済する原資になるわけです。だから、多少の無理もできる。フローとストックをぐるぐる回すことで、事業的にも、経営的にも安定成長が実現できる。それが、うちの戦略です」。
いまや30物件以上の不動産を、都内や仙台を中心に所有しているというから驚かされる。経営者であると同時に、すでに自他ともに認める資産家でもある。
飲食店でいえば、現在合計22店舗。うち9店舗が、自社物件で営業を行っている。むろん、オーナーの意向に左右されず。フリーハンドで経営できるのも大きなメリットだ。
それにしても、2013年から現在(2020年)まで、7年しか経っていない。大胆な戦略が功を奏した結果だが、そう簡単にできるものではない。実際、この7年の軌跡の向こうには、塙氏が「東京のおじさん」という師匠の存在がある。
「母方の親戚で、仲人でもあり、うちの会社の会長です。私の人生にとって、いちばん大きな存在ですね」。たしかに、この「東京のおじさん」がいなければ、「塙スタイル」のビジネスは、とっくにとん挫していたかもしれない。

宴が終わり、生活費は1日300円。

塙氏は、第一回の東京オリンピックが開催されてから3年が経った1967年、千葉に生まれている。小・中は勉強と部活、生徒会に明け暮れ、成績はいつも校内で1、2を争っていたそうだ。
大学は、慶応義塾大学。卒業後は、大好きな千葉に役立ちたいと、千葉県の県会議員の、議員秘書になっている。将来は、政治家という目標があったのかもしれない。
秘書時代は5年に及ぶ。ただし、この間、バブルが弾け、宴が終わる。多くの企業が行き先を失うなかで、今まで躍進をつづけていた父親の事業もまた破綻する。
「私は秘書をつづけながら、父の事業を継ぐんですが、その時、会社にあったのは総額8億円の借金と揉めごとだけでした/笑」。
8億円。いくら坊ちゃんだったといっても、20代の若者にイメージできる額ではない。社長になり、最初にしたのは、「金融機関詣」と塙氏。ひたすら頭を下げ、返済猶予をお願いしたという。
「でもね、頭をさげても、うまくはいくわけじゃない。当時の会社は年間4000万円の赤字を垂れ流していました。利払いだけで月360万円です。生活費も捻出できなくなり、1日換算300円です」。
缶コーヒー3本も飲めない。
「でもね。昔から人が大好きだったんですね。だから、救われた。経営していたお店に出るとイヤなこともぜんぶ忘れることができたからです」。
塙氏、25歳の時の話である。
秘書の仕事もおろそかにできない。もちろん、継承した事業もだ。
「心を込めた」と塙氏はいう。
「飲食店も、父の事業の一つです。学生時代からバイトをしていたもんですから、ある意味、バイトの延長です。だから、こんな事態にならければ、お客様がいかに大事な存在か気づかなかったかもしれませんね」。
「『おー、がんばっているな』。お客様からいただく、その一言がどれだけ私のパワーになったことか」とも語っている。
とはいえ、店をでれば、現実が襲いかかる。
不安と将来のビジョンを描けない長く厳しいトンネルの中で、もがき苦しんだ。
しかし塙氏は「泥水をすすり、ゴキブリにでもなってやる」と強い意志を持って、爪に火を燈しながら身を粉にして働き詰めに働いたそうだ。
その結果、4000万円の赤字を垂れ流していた会社が、翌年には3000万円の黒字を叩きだすまでに回復している。このパワーもまた凄い。
数年をかけて借金の返済も進み、2002年には銀行が融資をしてくれるまでになったそうだ。
資金もそうだが、何より諦めない心や経験、そしてお客様や人材、人脈という大事な財産ができたのが大きかったのではないか。「絆」の始まりは、この時かもしれない。ともかく、このようにして8億円の債務超過を抱えスタートした塙氏の苦難の第一幕は閉じる。以来、塙氏の店は、千葉でもっとも愛される店に育っていく。
そして、冒頭の2013年の話につづく。

「眠れない日々の話」のつづき。

窮地を脱し、快進撃を始めた塙氏だが、その裏では、眠れない日々がふたたび始まった。
「2013年ですね。冒頭でも言いましたが、不動産事業を本格化させる一方で、新たに飲食店も6店舗出店しました。この投資で、7億円の借金が追加されました」。
25歳の時の8億円に匹敵する額。「のるか、そるか」の一大勝負を挑んだのは、むろん、塙氏自身。
「あの時は人生でいちばん、きつかったですね。励ましてくれるのは、おじさん1人です。成功者の言葉ですから信じないわけではないんですが、返済しようにもお金がない。だから、また借りる。借金が、どんどん膨らみます。おじさんがいくら『大丈夫だ』って言ってくれても、このまま破綻してしまうんじゃないかって」。
夜も眠れない。
「実は、2番手だったスタッフが辞めてしまうんです。追い打ちですね」。何につけ、口うるさくなったからだと塙氏。今では、冷静に反省もできるが、当時は、そんな余裕もなかったはずだ。
どうなる、どうすればいい。
「5年くらいつづいたかな。ただ、慣れってあるんです/笑。案外、大丈夫じゃないかなって。そんな風になっていた時かな。テレビを観ていて…」。
IOCの総会でTOKYOと宣言される。2020年、東京オリンピックが決定した瞬間だ。経験者である「東京のおじさん」の言葉は正しかった。
「もう、狂喜乱舞ですね」。ついに、ストックビジネスの花が開く。「これで、助かった。もう大丈夫だ、と。奥さんを起こして、もう大丈夫だから、と/笑」。
いうまでもなく、不動産価格が上昇する。

人が好き、飲食が好き。そして、たらいの理論。

資産の拡大は、飲食業や製造業にも、むろん好影響だ。資本のストックがあれば、経済の浮き沈みに翻弄されずに済む。
「2013年から今で7年ですが、あの時の苦しみがあったから、今の大きな資産があるんだと思っています」。飲食業もむろん、安泰だ。
ただし、2020年、新型コロナウイルスが猛威をふるい、開幕するはずだった東京オリンピックは1年延期された。自粛が要請され、飲食店はかつてないほどの苦境に喘いでいる。
「安泰といっても、うちでも悩みは尽きないですね。今回の新型コロナウイルスを乗り切るのは、ものすごくたいへんです」。
「でもね」といったあと、「今までもがき苦しんできた経験がここでモノをいう。絶対に乗り切りますよ」とちから強い一言を重ねてくれた。
むろん、これからも手綱を緩めるつもりはない。
新たなショップのオープンはもちろんM&Aにも今まで以上に精力的に取り組む。むろん、「物件の購入にも積極的に向き合っていきたい」と語っている。
資産家の発想は、こういうときに、一般人と異なるのだろう。「いろんなものが安くなればね。買い時です」。塙氏の資本家としての、アンテナはもう動き出している。
しかし、塙氏は、資本家であろうとはしているし、戦略家でもあるが、根本は、人間くさい人だ。
「去年、本社を東京に移しましたが、私は今も千葉が大好きだし、人が好きで、飲食が好きというのも、昔からぜんぜんかわらない。今思えば、みんなの喜んでいる顔が好きで、それを観たくて、ただひたすら頑張ってきたというのが、正直なところです」。
だから、人もついてくる。「高卒も採用しているが、甘やかさない」と笑う。それでも、だれもが塙氏を慕う。「昔は、なんでも私がしていましたが、今はみんなに任せています。だから、私が社長として動ける。M&Aなんて、そうでなきゃできないですもんね」。組織的にも好循環が生まれている。
最後に塙氏は、「たらいの理論」の話を聞かせてくれた。
「私が大事にしている理論です。たらいの水って、引けば逃げていくんですが、押せば返ってくるでしょ」。頭でイメージしながら、その話を聞いた。たしかに、掌で押せば、水はもどってくる。
「これと同じでね。人も、ためにしたことはぜんぶ自分に返ってくるんです。だから、私は、できるだけ周りの人のお役に立てるように心がけて行動しています。それが、必ず自分の成長になると信じているからです」。
塙氏が押す。その水は、やがて、最初より大きな波となって帰ってくる。人も、お金も…、いや違う。帰ってくるのは、たぶん、塙氏が大好きな、誰かの満面の笑みだ。

思い出のアルバム
 

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