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第794回 株式会社フードアソシエイツ 代表取締役 幾田陽也氏
update 20/06/30
株式会社フードアソシエイツ
幾田陽也氏
株式会社フードアソシエイツ 代表取締役 幾田陽也氏
生年月日 1979年12月3日
プロフィール 神奈川県 秦野出身。高校卒業後、海外に憧れ、アメリカのコミュニティ・カレッジに進む。向こうで、中古車を購入し、州や国を横断。その時、1人の起業家に出会い、あやふやだった起業への思いが、鮮明な「志」となる。26歳、2006年、東京・上野に1号店を出店する。
主な業態 「炙りダイニング 縁」「鶏ットリア」他
企業HP https://en-gage.net/food-a/

ネバダ州の砂漠の真ん中で起業家を助ける。

「アメリカで中古車を購入し、3ヵ月かけ様々な州と国を横断した」と今回、ご登場いただいた幾田氏は笑う。「ネバダ州の砂漠で立ち往生している3人の日本人を助けて、それが縁で、贅沢な思いもさせていただきました」。
そのうちの1人が起業家だったようで、幾田氏は、その起業家に影響を受け、「志」をみつけている。
「私は1979年、神奈川県の二宮町で生まれます。父親の転勤で、2年近く仙台で過ごしましたが、それ以外は、こちらがホームです。小学3年生まで軟式野球、中学からはスラムダンクを観て、バスケットボール。高校時代からは、特別じゃないと思いますが、都内まででかけてクラブ通いです/笑」。
父親は、日本を代表する大手メーカーで勤務されていた。
ところが、幾田氏は、案外、冷たい目を向ける。「私自身は大手という響きには昔から関心がなかったです。 むしろ、父親の姿をみていましたからサラリーマンという仕事に抵抗を感じていたといったほうがいいと思います」。
幾田氏が、社会を意識するようになった10代後半から20代前半は、ネットバブルと言われた時代である。才覚のある若者は「起業」の二文字に惹きつけられる。幾田氏も例外ではなかったようだ。
「そうですね。私も、起業というものを漠然と考えていました。ネバダで知り合った社長に影響をうけたのは、そういう背景があったからだと思います」。
高校を卒業した幾田氏は、アメリカのコミュニティ・カレッジで2年間過ごしている。冒頭の話は、その時のこと。漠然とした起業への思いが明確な意思をもって屹立したのも、この時である。
帰国した幾田氏は、さっそくITベンチャーでインターンを開始する。

レインズインターナショナル、入社。

「ITのスタートアップ企業で、インターンをさせていただきました。きついことも少なくありませんでしたが、楽しかったし、いい経験にも財産にもなりました。何より、起業という言葉がまだ息づいているような会社でしたから、そういう意味でもインターンをしてよかったと思っています」。
インターンを終了したあと、幾田氏はレインズインターナショナルに入社する。「起業家排出機関」というキャッチフレーズに惹かれたからだそう。
「牛角」や「土間土間」など。当時の、レインズインターナショナルは、それらのブランドをメインに「食」という事業に新たな価値観をもたらした会社の一つだったように思う。「起業家排出機関」という位置づけも、その表れだ。
「レインズには、2年半在籍します。そりゃぁもう、たいへんでした/笑」。たいへんだが、そのぶんちからもつく。「レインズをやめて1年半、温野菜のFCを経験し、26歳で独立します」。
いつ頃から、飲食で独立と考えるようになっていたんだろうか? 「26歳というタイミングですが、これは不動産会社に店を紹介されたからなんです。お金はありませんが、体力も、気力もある時に独立できたのは幸いだった気がします」。
1号店は、2006年、上野の御徒町に出店している。当時は、家も借りず、オープン後一カ月は店で寝泊まりしていたそう。たしかに、若くなければできないような生活だ。
「10坪で、居酒屋店を始めます」。

下町、上野にて。

6ヵ月後には2号店を、今度は高田馬場に出店。ただし、こちらは、焼肉。「1号店が順調だったので出店し、油断をしていたわけじゃないんですが、私はこちらの店にばかり出勤していました。そうするうちに、1号店の売上が下がります。横領事件なども起こって。ええ、それで2号店は、売却し、上野に帰りました」。
高校時代から慣れ親しんだ東京である。とはいえ、上野は下町。プレイヤーとなった幾田氏は、上野でどんな店を作り出していくんだろう。
会社の沿革を覗いてみた。それによると、2006年9月に1号店の居酒屋をオープン。半年後の2007年3月、高田馬場にもつ鍋屋をオープン。この店は売却したが、同年9月には「やきとん縁 御徒町店」をオープンしている。2008年4月には「炙り酒場 縁 -yukari- 本郷三丁目店」をオープン。以降、2010年に「炙り酒場 縁 -yukari- 西浅草店」、2012年に「炙りDining 縁 -yukari- 三ノ輪店」、2014年に「唐屋 錦糸町店」と次々オープン。むろん、それ以降も1年ペースで、新店をオープンしている。

もう一つの冒険。

「ペリペリチキンって知っていますか?」 逆に質問されたのは、インタビューも後半に入った時。「これは南アフリカの料理なんですが、じつはオセアニアや東南アジアではすっかり定着している料理なんです」。なんでも、スパイスをかけ、直火焼きしたチキンに、特製のソースをかけた料理のことらしい。調べてみると、南アフリカ発祥のレストランは、すでに各国に店を展開するまでになっている。
「いち早く、取り入れて日本にも広めていきたいです」と幾田氏。目の付け所がいい。「今後は、業態を集中して、居酒屋業態とチキンの2業態で、店舗展開を図っていくつもりです」。
2019年現在、幾田氏、39歳。いよいよ本格的な展開を果たす時期だ。来年にはフランチャイズ本部となり展開してく計画がある。ホームページで幾田氏は、1000店舗という目標を掲げ、「壮大な冒険」と謳っている。
最後に幾田氏は「この仕事は社員の幸福度が上がらないと継続しないビジネスだと思っている。なので社員の様々なキャリアパスを真剣に考えている。」と語っていた。
壮大な冒険。
ネバダ州からはじまった、もう一つの冒険は、まだまだ楽しみに充ちている。ちなみに、ネバダ州にはラスベガスがある。知り合った日本人と、カジノに興じたのは、もうはるか昔。しかし、道はつながっている。

思い出のアルバム
 
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