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第817回 株式会社セカンドアロー 代表取締役社長 大須賀伸博氏
update 20/12/15
株式会社セカンドアロー
大須賀伸博氏
株式会社セカンドアロー 代表取締役社長 大須賀伸博氏
生年月日 1990年9月25日
プロフィール 高校卒業し、飲食や運送スタッフやドライバーを経験。20歳で結婚。「串カツ田中」に転職したのは21歳の時。新店立ち上げに関わり、半年で店長になり、22歳でスーパーバイザーを経験。24歳で執行役員、25歳で取締役営業本部長に。そして、2020年3月、新会社である株式会社セカンドアローの代表取締役社長に就任。なお、株式会社串カツ田中ホールディングスの取締役も兼務している。
主な業態 「鳥と卵の専門店 鳥玉」
企業HP https://second-arrow.co.jp/

3人兄妹の末っ子、20歳で結婚する。

3人兄妹の末っ子だそう。「甘やかされた」と大須賀氏。兄のことを尊敬しており、兄の影響でバイクに乗り、兄を追いかけるように飲食に進んだ。
結婚も早い。高校の時から付き合っていた彼女と20歳で結婚する。30歳にして、早くも3児のパパだ。
「串カツ田中」に入社したのは、21歳の時。24歳で執行役員になり、25歳で取締役営業本部長に昇格している。そして、30歳の今(2020年)、新たに生まれたグループ会社の代表取締役社長に就任。結婚した当時はトラックの運転手だったから、目が覚めるような快進撃。果たして、その人生は? いつもどおり、子どもの頃から追いかけてみることにしよう。
大須賀氏は、1990年9月25日、東京都大田区に生まれる。ご両親も、大田区生まれというから生粋の江戸っ子なんだろう。すでに書いたが兄妹は3人。大須賀氏は末っ子。母方の実家は医者。父方は、曾祖父の代から会社を経営されていたらしい。とはいえ、父親は会社を継がずに会社員として勤務。
性格は、人見知り。それは今も変わらないらしい。
小学3年生からソフトボールをはじめ、関東大会に出場し、準優勝も経験している。中学生ではスラムダンクに影響され、バスケットボールに転向している。
高校は都立大崎高校。大学に進学するつもりは、ハナからなかったそう。1年時は、バスケットボールを続けたが、2年からは兄の影響でバイクに乗り、のめり込んだ。
高校を卒業したあとは、飲食店に就職する。
「特別、飲食がやりたかったわけじゃない。やりたいことがなかったから」と、大須賀氏。ただ、はじめたものの、数ヵ月でリタイア。
そのあとはトラックに乗り、奥様の妊娠がわかり、そちらで、アルバイトから正社員になる。収入が不安定だったから、兄が店長を務める「銀のさら」でアルバイトもした。ちなみに、その兄も現在は、飲食店経営の会社に勤務。「銀のさら」や「串カツ田中」のフランチャイズもされているそうだ。

「串カツ田中」で、昇給の味を知る。

「串カツ田中に入社するきっかけは、母なんです」。
お母様?
「そう、母親が『串カツ田中』に食べにいって、すごい人気だって言われて、じゃぁ、1回いってみようと食べにいったのが、最初。もちろん、母親がいったとおり、すごいパワーの店でした/笑」。
そのあと求人誌で確認されたんですよね?
「はい。タウンワークに掲載されていました。週休2日で、月給25万円。当時では、破格の条件です。ただ、店舗数はまだ6〜7店舗で、フランチャイズをはじめようとしていた頃ですね。社員数も20人くらいの頃です」。
最初はどんな仕事をされましたか?
「武蔵小杉のオープンに関わらせていただきました。『串カツ田中』も、出店がつづき、私も、初めて昇格・昇給を経験します。ええ、社会人になって初です/笑」
半年で店長になられていますね?
「そう、まだ、21歳でしたから、当然、アルバイトでも年上がいました。でも、けっこううまくやれていたんじゃないかなと思います。今もそうですが、タメ口は基本、きかないですし」。
「大人しく、人見知り」と言っているが、昇格・昇進に関しては遠慮がない。22歳で、店長からスーパーバイザーに昇進。「あの時は、相当勉強させてもらった」とのこと。
役職が人をつくるというが、ある意味、正しい。大須賀氏が、その好例。営業本部長になり、営業のトップに。役員になった時には店舗数も50店舗になっている。むろん、大須賀氏が、トップに立ったことで出店はさらに加速する。
串カツ田中についてふれておくと、創業は2008年。2016年、東証マザーズに上場し、2019年には東証一部に昇格。国内全店規模で禁煙化実施するなど、業界を驚かすことも多く、2020年3月現在、その店舗数は277店舗に及んでいる。
しかし、「串カツ田中」の1本足打法であり、「串カツ田中」につづく第二のブランドの育成が、急がれている状況だった。

第二のブランド創り。第二の矢が放たれる時。

「セカンドアローは、まさに第二の矢、ブランドを構築するために生まれた会社です。『みたのクリエイト』さんから、鳥と卵の専門店 『鳥玉』 を譲渡いただきスタートします」。
その新会社の社長に就任されたわけですね? 期待が大きいぶん、プレッシャーも大きいのでは?
「鳥玉は、『鳥 on the stage』、つまり『鳥の、鳥による、鳥のためのステージ』というのが店舗コンセプトです。沖縄県内に4店舗展開されていたブランドです。譲渡いただいたのが2月で、セカンドアローを設立したのが翌3月。出店は9月からのスタート。店長はいますが、まだ、私と、部長の2人です/笑」。
「ポテンシャルのあるブランドですから、当然、大事に育てていきたいですね。フランチャイズは、来年春からスタートする予定です。当然、プレッシャーはありますが、『鳥と卵』という食材にフォーカスしたユニークなショップなので、かなり面白いんじゃないかと、わくわくした気持ちのほうが大きいですね」
和名で、「第二の矢」という社名も、コンセプトも明確でいい。とはいえ、「串カツ田中」の第二のブランドという限り、店舗数だけではなく、その経営にも注目が集まるのではないか。
むろん、大須賀氏が行うのだから、抜かりはない。ただ、店舗数の拡大だけがミッションではない。飲食の生産性の向上や、スタッフの価値向上をどこまで実現できるか、そこが、大須賀氏に課せられた使命。それができた時、初めて第二の矢が放たれたといえるかもしれない。
ちなみに、『鳥玉』のホームページには、「毎日食べたい。でも家庭じゃ真似できない。そんな鳥と卵の料理」とある。たしかに、家庭じゃ真似できない、鳥と卵の料理なら、だれもが食べたくなるに違いない。ぜひ、一度、そちらもみて欲しい。来年春からの、フランチャイズスタートも待ち遠しい。

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旧社名「株式会社ノート」時代 営業本部長時代  
 

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