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第829回 株式会社ジャックポットプランニング 代表取締役 中川洋氏
update 21/03/23
株式会社ジャックポットプランニング
中川洋氏
株式会社ジャックポットプランニング 代表取締役 中川洋氏
生年月日 1950年2月3日
プロフィール 16歳からキャバレーでドアボーイ。マグロ漁船に乗り、オーストラリアまで太平洋を南下したことも。洋食を学びつつ、先輩たちにいさなわれるように飲食の道を深めていく。23歳で、独立。25歳、下北沢で「ジャックポット」をオープン。2020年現在、飲食歴は54年になる。
主な業態 「ジャックポット」「かき小屋」「ごまや」「ラ・べファーナ」他
企業HP https://www.jack-pot.co.jp/

高校に通う、キャバレーのドアボーイ。

16歳で家をでて、最初に働いたのは戸塚のキャバレー。ドアボーイだった。「昼間、学校に行かせてくれて、寝泊まりできて、ごはんも食べられたからね」と、中川氏。
中川氏が生まれたのは1950年。「生まれは、静岡の沼津。小学3年から中学までは川崎です。高校にはいったん入学したんですが、1回中退し、もう一度、入学して卒業したのは23歳の時。昔は、気が短くって、硬派だった...つもり。負けるのも大嫌い/笑」。
父親は観光会社など、複数の会社を経営されていたそう。ただし、家を飛び出した中川氏に支援はない。「中学時代は電気製品をいじるのが好きでした。放送機械とかね。それで放送部に入っていたくらい。あの頃は、大学で原子力を学ぼうと思っていた。ぜんぜん違うところに来ちゃったよね/笑」。
いったん入学したのは、通学に一時間かかる高校。「徒歩通学できる高校にも受かったがやっぱり電車通学がしたかった」。
中川氏の飲食歴はインタビュー時(2020.11)で、はや54年になる。半世紀以上。「16歳でこの道に入ったからね。ただ、好きだったからじゃない。食べていくには、これしかなかったから」。
キャバレーは、数か月で辞める。「飲食では、自由ヶ丘たんぽぽが最初。当時の洋食っていうのは、ハンバーグやエビフライ、カニクリームコロッケとかだった」。
まだ、1966年。ケンタッキーも、マクドナルドもない時代。

マグロ漁船と高校卒業と、独立。

「17歳後半、マグロ漁船に乗ってオーストラリアにも行った。とにかくハードで、おかげで体つきも倍ちかくになりました」。
クルーは18名。案外、少ない。
「釣れたらすべて船底で冷凍します。私がいたのは、11月くらいから翌年の5月くらいまで。いろんな年代の人がいました。なかには18歳でマイホームを建てたという人もいたから、お金にはなった」。
オーストラリアまでマグロを追いかけ南下する。南十字星が素晴らしく、きれいに輝いていたそうだ。
「仕事は、いろいろやったなぁ。帝国ホテルでも仕事をした。すぐに、やめちゃったけど。中卒という肩書きがイヤだったから、さっきもいったように、社会人になってから再受験して、23歳で卒業しています。マグロ漁船に乗ったのも、じつは、学費をねん出するためだったんです」。
長い人生の分岐点はいつか、一つ挙げてもらった。
「そうだね。23歳で高校を卒業した時かな。選択肢は2つしかなかった。帝国ホテルにもどるか、飲食以外に行くか。結局どっちにも行かず、ある先輩から『キッチンくろんぼ』という洋食店を引き継ぎます」。実質的な独立。ただ、1年半経った頃に物件の事情で撤退。狛江で再出発する。
「ヒットしたのは、いまでいうデリバリーを始めてから。洋食のデリバリーなんてなかったから。大ヒットって言ってもいいんじゃないかな」。
「お客様が何を食べたいか」を考えて、メニューを作り続けた。ちかくに大企業や医大、都営団地があったのも幸いした。「ありがたいことに、毎日たくさん注文をいただきました。そして25歳になってキッチンくろんぼの裏にパブレストランをオープン。年齢の割には大きなお金を動かせるようになりました」。
下北沢で「ジャックポット」を始めたのは26歳。1976年11月のこと。

友人と師匠。

「TVを観ないので、最初は、わからず、あとになって一緒にいると周りが騒ぐからわかるのですが、芸能界の方に結構来ていただいていました」。
「あの人、この人」と、名前が出るたびに驚いた。女優、俳優、歌手、映画監督。なんともかっこいい。
「『ジャックポット』が5店舗になった頃、若い社員のためにと思って、法人化します。ビストロをはじめたのは30歳の頃です」。
起業してから、もう47年になる。目標とした人について教えてもらった。
「飲食の師匠は2人かな?。1人は、キッチンフライパンの小畑社長。まだ、どこも使っていない時に、最新の電子レンジを導入して料理をつくっていた人。もともとアメリカでくつみがきをしていたんだそうです。私が、見習いの頃、かわいがってもらいました。もう1人は、マストミの北城寺社長、キッチンフライパンから、マストミに転職してから知り合います。レスラーみたいな社長だった。北城寺さんからは、アメとムチを教わりました。私は素晴らしい先輩師匠に巡り合いました」。
いい経営者には、いい師匠がいる。師匠、先輩の良いところを見極めることが大切だ。

働いてくれる社員こそ「宝」。

ジャックポットプランニングでは、コロナによる飲食店の営業時短要請よりも前に、営業時間を22時までにしている。全ては、社員が安心して、健康に働ける環境を作るためだ。
社員を大切にする。その背景をお聞きしてみた。
「20年以上前ですが、立て続けに大事な社員が事故や病気で亡くなってしまった時があり衝撃的だった!ショックでした!」。
退職後の元スタッフの方が亡くなっていたこともあったそうだ。
中川氏の思いは「社員の心と身体の健康」に意識が向く。
10年以上勤めている社員には、「中古でもいいからマンションを買った方がいい、ただし場所は選ばないと!」。
と伝えている。収入の一つにもなり、いざという時の助けにもなるからと。
現在、従業員が中古マンションを購入できる環境や制度も整えているそうだ。
他にも年に1回行っている健康診断に社員全員がきちんと行ってくれるような環境整備も整えている。
全ては、社員を大切にしているからこその発想だろう。

70歳、意欲は健在。

「年明け2月半ば頃に下北沢でレストラン&バーをはじめます。ハイボールメインで、若者向けにやります。若い子にも、働いてもらいたいですね」「その次の出店も2021年中に!」。
「いつかおばんざいのお店をやりたいな、とも思っているんです」。
こちらはもう、名前も決めている。「大原女」。東京に京都から大原女(おおはらめ)がやってくると、いうイメージなんだろうか。
最後に中川氏の原動力となっているものをお聞きしてみた。
「仕事が好きというのが原動力になっている。仕事のことしか考えていないからね」。
「若い時は与えられた仕事を精一杯こなした、その中で与えられた仕事を好きになれるよう一生懸命働いたなぁ」。
「飲食は、生涯勉強が必要、大変だけど、それが楽しいね」。中川氏だからこそ言える言葉だ。
「今は、若い子たちが自分で仕事を選ぶ時代。それでも私は仕事は神様?から与えられると思っている。」。
中川氏が大切にしている全スタッフたち。成長したスタッフたちが担うジャックポットプランニングの今後が楽しみで仕方がない。

思い出のアルバム
 
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