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第831回 GOSSO株式会社 代表取締役 藤田建氏
update 21/04/06
GOSSO株式会社
藤田建氏
GOSSO株式会社 代表取締役 藤田建氏
生年月日 1974年8月3日
プロフィール シカゴ生まれ。大学卒業後、IT関連の企業で頭角を現すが、27歳でスピンアウトし、飲食での起業をめざす。30歳で起業。以来、様々な問題をクリアしながら、強い組織をつくり上げる。楽しみが途切れない「0秒レモンサワー」はGOSSOの登録商標。
主な業態 「ガーデンファーム」「肉バル ガブリコ」「0秒レモンサワー仙台ホルモン焼肉酒場 ときわ亭」「クラフトチーズマーケット」他
企業HP http://gosso.co.jp/

中米の「楽園」。

はるか上空からみると北米と南米をつなぐ、細長い道にみえる。「赤道直下にあるのがコスタリカです」と藤田氏。今回ご登場いただいたGOSSO株式会社の代表だ。
「4、5回は向こうに行ったかな」とのこと。じつは、お母様は、コスタリカ出身。
「父とはシカゴで出会ったそうです。だから、私はシカゴ生まれ。もっとも3歳の頃から日本で暮らしていますので、シカゴ生まれ、日本育ちってところでしょうか」。
身長は、190センチ。もっともこれは父親ゆずり。
「母も一緒に日本で暮らすんですが、日本語が出来なかったので大変だったと思います。私も、日本語が苦手というか、19歳くらいまで、うまくしゃべれず劣等感がいつもどこかにあったように思います」。
日本では祖父宅の離れで暮らした。「父親が建築技師で世界を駆けまわっていましたので、私は、祖父の管理下といいますか/笑」。
おじい様は孤児から1人、事業を興し、都内に自社ビルを持つまでになった事業家。ただし、息子家族に経済的な支援はしないような人だったらしい。
「厳しい祖父でしたね。ただ、祖父の背中を見ていろいろなことを学んだのも事実です。『社長になりたい』と思ったのも、祖父の影響です。仏教徒で、儲かったお金はお寺に寄付するような人でした。そうそう、お正月には私もお寺の修業に連れていかれて」。
熱湯にからだを浸す修業をさせられたそうだ。ちなみに、お母様はクリスチャン。その点でも、ご苦労されたんじゃないだろうか。
「最初の頃はお風呂も無くって、週に2回くらい祖父宅にお風呂を借りにいきます。濡れタオルでからだを拭くだけの時もありました。社長になりたかったのは、祖父の影響はもちろんですが、祖父のようにお金を儲けて母を幸せにしてやりたいという思いがあったからだと思います」。
興味本位で調べてみると、コスタリカには、地球上の生物の、種の5%が生存すると言われているそうだ。それだけ種が多様な国だからだろうか。国土の25%以上が国立公園だそう。
中米の「楽園」と言われている。

監督は、鉄拳、信者。

祖父は、仏教徒。母は、クリスチャン。監督は…。「祖父も、母も、そうですが、監督にもかなり影響されていますね」。藤田氏が監督というのは、バスケットボールの監督。
藤田氏は、小学生からバスケットボールを始め、「全日本ジュニア」にもなっている。中学は、日本一を狙う強豪で、藤田氏はセンターフォワード。高校は千葉県の私学で当時、偏差値がトップの「市川学園」に進む。当初、弱小で部員5名のバスケットボール部を引っ張り、千葉県で三強入りを果たしている。
「小学校の頃もそうですが、中学の監督は特に厳しかったですね。今では口にもできない言動で/笑」。
監督は、鉄拳、信者?
「そうですね。高校の監督も厳しかったです。ただ、そういう人の下ですから、殴られるのが日常みたいな/笑。人の育成はそうやってやるんだ、みたいなね」。
大学時代は、新宿の「いろはにほへと」でバイトをした。面白い話がある。
「バイト先に『いろはにほへと』を選んだのは、人脈をつくろうと思ったから。だから、希望は当然、ホール。でも、ユニフォームがぜんぶちっちゃくって」。
入らない?
「そうです。で、しかたなくキッチンです/笑」。この話をうかがって、もしホールだったら?と、ふと、そんなことを考えてみたりした。

克服は、幸福につながる道。

ターニングポイントを一つ挙げてもらうと、学生時代の「ビラ配り」という返答。
「店前で声をかけてご案内するような仕事です。雑居ビルの小さな、パブといえばパブかな。水道もなかったから、アルミホイルで、やきそばドン!みたいな/笑」。
ビラ配りをやれば、高時給だと思っていたが、客が引っ張れない。「オーナーに文句を言うんです。こんなお店だから客も引っ張れないって。そしたらね」。
そしたら?
「『お店を売っても売れない。自分の生きた人生を売れ』って言われるんです。この一言が衝撃でした。そうか! みたいな」。
誰が聞いても理不尽だが、藤田氏にとっては、天啓だったそうだ。
「それからですね。不思議なことに、次々、ご案内できるんです。店は、毎夜、お客さんで一杯になって。ちっちゃい店だったから、みんな一緒にアルミホイルのお皿で 料理を食べて。みんな、心の底から楽しんでくれて。その様子が ビラ配り冥利と言いますか。たしかに、『店じゃないんだな』と思いました」。
店も、藤田氏の財布も、かつてないほどふくらんだ。「5時間で、2万円くらい」とのこと。貯まったお金でニューヨークにも行っている。
ただし、藤田氏がターニングポイントに挙げるのは、金銭的な理由だけではない。
奥が深い話。
「もともと日本語はうまくなかったし、『会話は苦手』と思いこんでいたんです。この苦手意識を克服できたことが、私の人生にとって、いちばんのプラス材料となりました」。
「アクティブになった」と藤田氏。
会話が楽しくなれば、語る人生はいくらでもある。

30歳で独立。

「それでもなお、劣等感には支配されていた」と藤田氏は笑う。大学卒業後も、バイトで暮らす。「ビラ配り」と、イッセイミヤケ氏の専属モデルも1年間くらいしていたそうだ。
それはすごい!というと、私は三軍で、と笑う。トップモデルとは、なにもかも雲泥の差だったそう。
「結局、どこかで、なにかと比べてばかりいたんでしょうね。だから、『オレはだめだ』と。トップレベルと比べても、勝てるわけないのに/笑」。
なんでも、ビラ配りをしていた頃の店のオーナーから、独立のオファーもいただいたそうだ。
違った道を進もうと思ったから。
「ITで独立しようと思ったんです。割と真剣で、デジタルハリウッドで勉強して、大手のIT企業に就職します。成績もよく、のちに『部長に』というお話もいただくんですが、結局27歳で、スピンアウトし、飲食で独立をめざします」。
どうしてか?
じつは、「ゼットン」や「グローバルダイニング」といった、当時のヒットブランドをつくりだす企業に魅了されたからだそう。実際、27歳からの2年間、ゼットンで仕事をしている。ゼットンのノウハウをマスターし、30歳で晴れて独立。

人生に潤いを。

志は高かったが、順風満帆とはいかない。経営するのは、初。歯車が狂う。藤田氏も、鉄拳信者になり、部下の心をへし折ったこともある。
「あれは、私にとっては大事件でしたね。教育とは、そういうものだと思っていましたから。大事な、今でも付き合っていますが、大事な部下の1人が、私のせいで鬱になって。部屋のカギをチェーンソーで壊してね。彼が部屋で倒れ込んでいたんです」。
今では、当時の姿がイメージできない。フレンドリーで、柔和な、と表現したほうが近い。
「でもね。今でも、6時間以上お酒を飲むと、昔の自分が顔を出す」と笑う。
「創業してから15年になります。お休みも最初は全然なかったんですが、なんとか月7、8日 くらいは休めるようにしました」。
するかどうかは、別にして、上場の基準を満たす会社をつくりたいそうだ。バイブルは、松下幸之助氏の「ダム式経営」とのこと。
結婚は、35歳の時。「母を幸せにできるようになったのも、この頃です」。お母様は、いまも日本で暮らされているそうだ。
ホームページのキャッチフレーズは、「人生に潤いを。」
「現在では、『大切な人との楽しい時間を分かち合う場を提供して、人の幸せに貢献す』をフィラソフイーとして、『ガーデンファーム』、『肉バル ガブリコ』等のチーズフォンデュや肉をテーマとしたダイニングレストランから、0秒でレモンサワーがでる仙台ホルモン焼肉酒場『ときわ亭』まで全国に幅広く展開し、縁のある方の『人生の潤い』に貢献をしています」。
これは、勝ち負けとは異なる、藤田氏がみつけた、「人生」の答えかもしれない。藤田氏は、否定するかもしれないが、その言葉を目にしたとき、なぜかコスタリカの空の下にいるような気がした。

思い出のアルバム
 
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