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第832回 株式会社カームデザイン 代表取締役社長 金澤拓也氏
update 21/04/13
株式会社カームデザイン
金澤拓也氏
株式会社カームデザイン 代表取締役社長 金澤拓也氏
生年月日 1974月7月29日
プロフィール 大阪市平野区出身。大阪市立工芸高校卒。三座建築事務所などで修業を重ね、27歳の時、事務所を開き独立。主に飲食店の設計・デザインを手がけ、高い評価を獲得。リーマン・ショックをきっかけに飲食事業に進み、2019年6月現在、22店舗を出店している。
主な業態 「good spoon」「GOOD SOUND COFFEE」「センバキッチン」「ハライッパイ」他
企業HP http://calm-design.jp/

幼稚園児、大工をめざす。

ご両親はベーカリショップを経営されていたらしい。ベーカリショップと横文字でいうと格好いいが、いわゆるパン屋である。
「私の親族は、ほとんどみんな商売をしているんです。そういう意味では、私も、おなじなんでしょうね。昔からサラリーマンになるなんて思ってもいなかったです」。今回、ご登場いただいた株式会社カームデザインの代表取締役社長、金澤氏はそう言って笑う。
「へぇ、そうなのか」と聞いていたが、それを思っていた年頃を聞いてビックリした。中学生時代には、具体的な就職先を決め、「独立に至る工程表までつくっていた」というのだから、尚更、驚いた。
「裕福じゃなかったし、親もパン屋でしょ。早くから仕事に対する意識はあったほうだと思います。パン屋はしんどくて、イヤやみたいな/笑」。
なんでも小学校に上がる前から、将来は大工になろうと思っていたらしい。「うちの家はボロボロで、風呂もない。そういうのが、いやで。大工になれば、なんとかなるだろうって/笑」。
この一言からは早熟じゃなく、素直な少年時代が浮かび上がる。しかし、もう一つ驚くのは、この時の思いがジャンルはちがっても、いま実現しているということだ。
昔の園児が、ほほ笑んでいる。

ともだちは、紙と鉛筆。

「子どもの頃は、いわゆるカギっ子です。今でもそうですが、昔は、もっと根暗な奴でした。遠足に行っても隠れて絵を描いているような笑」。
ただし、隠れていたかったから絵を描いていたわけじゃない。絵を描くのが、ただ単純に大好きだったから。紙と鉛筆があれば、時間を忘れた。ともだちは、紙と鉛筆、そういう少年だったようだ。
「もっとも、中学になってからは、ちょっと悪ぶったりもしたんです。でも、中学2年だったか、3年の時だったか、就職したいなって思う会社がでてきて…。もちろん、『今のままじゃ到底、無理』とわかっていました。少なくとも『就職実績のある高校くらいには進学しなくちゃ』です」。
それで、進学したのが大阪市立工芸高校。専攻は、建築デザイン科。偏差値は高い、高い。「そうなんです、中2の時の、私の偏差値は40くらいでしたからね。行けるわけもなかった。だから、1年くらい教科書や問題集にかじりついて。ええ、なんとか60オーバーの工芸高校に進学できました」。
ところで、金澤氏がその時、希望し、高校卒業後、実際に就職したのは、「三座建築事務所」という会社である。1941年設立の老舗の建築事務所だ。
「公共工事とかを得意にされていました。学私は、こちらで4年勤務させていただきました。退職理由ですか? じつは、まずは大手で4年と、昔から決めていたんです」。
昔というのは、中学生の頃のことだ。
しかし、金澤氏は、凄いことをサラリという人だ。工程表をつくり、それに沿って進むなんて、なかなかできる芸当ではない。しかも、だれかに教わったことがないから、またまた驚かされる。
とはいえ、いまだ、工程表の道半ば。この先、どうなっていくんだろう。

だったら、オレは独立だ。27歳のこと。

「まずは大手で、つぎは小さな事務所という計画です。今度は、小さな事務所で、仕事漬けの日々を送ります。その頃ですね。『飲食店って面白いな』と思いはじめたのは。その頃から、飲食店の設計やデザインを手がけはじめます。2社目でも4年勤務させてもらって、27歳で独立します」。
これも、いえばプラン通りだが、正確には、おなじ事務所のスタッフが引き抜かれたことがきっかけだったようだ。「結構、負けずぎらいなんです。あいつが引き抜かれたんだったら、オレは独立だ、みたいな/笑」。
不安はなかったですか? と聞いてみた。
「もちろん、ありました。飲食店だったら、とにかくオープンしたらお客様が来るでしょ。設計事務所はオープンしたからって、お客が『こんにちは』って来るわけじゃない/笑」。
「2〜3年は下積み生活ですね。私1人です。そのうち、チラホラと依頼をいただいて。幸いだったのは、お手伝いさせていただいたお店が繁盛して、2号店、3号店と出されるケースが多かったこと。それで、だんだんと評判になります」。
金澤氏にターニングポイントを一つ挙げていただくと、31歳の時、「ダイヤモンドダイニングの仕事をさせていただいたこと」だという。その時の話も伺った。

リーマン・ショックを経て、飲食事業に進出。

「当時、まだ7店舗くらいの時です。松村厚久さん(株式会社ダイヤモンドダイニング創業者。株式会社DDホールディングス代表取締役社長・グループCEO)から、イメージをお伺いして。ええ、イメージは大事にしつつですが、かなり好きにさせていただいて。じつは、その時、設計させてもらったレストランは、海外の、建築関係の雑誌の表紙も飾っているんです」。
たしかに、ターニングポイントだ。金澤氏のちからが、すべての人に披露された時だからだ。仕事は舞い込んだが、当然、期待値も上がる。ただし、そちらも、むろん、歓迎だ。
金澤氏は次々と最高の作品を残していく。ところで、そんな金澤氏が飲食事業にも進出したのはどうしてか? 最後のクエスチョンを投げかけた。
「リーマン・ショックです。あの当時、飲食店が10%ダウンとか20%ダウンだ、って、大騒ぎだったでしょ。でも、私らは、70%ダウンです。新店がぜんぜんオープンしないんですから、仕事もきません。その時に、だったら、私らも飲食店をだそう、と」。
ピンチな時に、守らず、攻める。大胆な発想だが、じつは「食」が大好きだったのかもしれない。「そうなんです。もともと食べることが大好きでしたから、そういう意味では、リーマン・ショックがなくてもいつかチャレンジしていたかもしれません」。
さすが、デザイナーだ。
「食」が、空間ごと、美しく、斬新に、デザインされていく。
「クライアントとバッティングしないように、一つ奥まったところに出店していたんですが…」。いつしかメディアにも取り上げられ、みんなが知ることとなる。
「good spoon」「センバキッチン」「ハライッパイ」「Pick Up Meat EAT GOOD BOX エビスタ」「BB8」等々、2019年6月現在で、店舗数は22店舗にもなっている。
ホームページをご覧になればわかるが、「食」がこれ以上ないほどに、きれいにデザインされている。さすが、食い倒れの街、なにわ生まれの建築デザイナーである。

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