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第838回 株式会社ワン・ダイニング 代表取締役社長 橋 淳氏
update 21/06/01
株式会社ワン・ダイニング
橋 淳氏
株式会社ワン・ダイニング 代表取締役社長 橋 淳氏
生年月日 1961年1月
プロフィール 東京都出身。父はカメラマン。大学を卒業し、大手商社に就職。商社マンとして活躍するも、妻の父であり、ダイリキの創業者でもある、橋健次氏に触発され、経営者への道をあゆみはじめる。2008年、ダイリキ分社化とともに、ワン・ダイニング社長に就任する。
主な業態 「ワンカルビ」「あぶりや」「きんのぶた」他
企業HP http://www.1dining.co.jp/

1人で140億円を動かす。

「淳くん」と言われたのだろうか、それとも「淳」と言われたのだろうか? 橋淳氏が、創業者であり、現会長の橋健次氏に出会ったのは奥様を介してだ。「私がまだ商社マンだったときに、後輩の紹介で知り合ったのが会長の娘さんだったんです。当時から会長は相当、怖い人で、会長と話すときは、子どもたちだって敬語です。ただ、私の場合、最初から気に入っていただいて」。
最初から話は盛り上がり、尽きなかった。そのとき、健次氏は、娘婿となる橋氏に「男なら経営を仕事にすべきだ」と語っている。
橋氏が、生まれたのは1961年。ダイリキの創業は1965年だから、両者は同年代生まれである。ダイリキは昭和47年に法人化(大力食品株式会社としてスタート)、昭和53年には商店街のなかに食肉店を開設するなど高度経済成長の波をとらえ事業拡大をつづける。
一方、橋氏は有名大学を卒業し、大手商社に就職するなど、こちらもすくすくと育っていく。
「商社では繊維を担当していました。裁量の幅が広く、自由度も高い会社だったもんですからヤリガイがあり、たいへんでしたが楽しかったですね。私1人で、年間140億円を扱っていましたから、スケールの大きさはいうまでもありません」。
140億円を自身の裁量で動かす。たしかに、ダイナミックだし、楽しいはずだ。橋氏も商社を辞めるつもりはなかったと言っているが、ではどうして、義父の下にはせ参じることになったのだろうか?

「男なら経営者に」という期待と暗示。

「商社を辞めるつもりはぜんぜんなかったんですが、義父と話をするうちに、経営という仕事に魅了されていきます。『男なら経営を仕事にすべきだ』という言葉の意味もだんだんわかってくるんですね」。
それで決断?
「そうなんです。私も男ですからね。やってみるか、と。ただ、ダイリキに入社しても当然のことですが、経営者の切符が約束されていたわけではありません」。
ダイリキに入社した橋氏は、店舗開発課長からスタートする。ある意味、商社マンだった橋氏には、最適な仕事だ。「今思えば、いきなり経営に参加するのではなく、下から上がっていったことに意味がありました。外部の人間がいきなりトップというのは、ダイリキの風土になじみません。ダイリキは、プロ集団なんです。義父からは、店舗経営や組織について、レクチャーを受けつづけていました」。
健次氏は早くから橋氏を2代目候補と認めていたのかもしれない。健次氏はつねに期待し、橋氏は、つねに、その期待に応えた。2人の関係が糸を織りなすようにして強固なものとなり、同時にダイリキもまた、強力な会社に育っていく。

社長就任。

橋氏が、ワン・ダイニングの社長に就任するのは、2008年に会社が分社化したとき。すでに橋氏は、プロ集団のなかでも、たしかな地位を確立していた。
「私が、入社した当時は焼肉に対する物件オーナーのイメージが悪くて。私が入った時に、ダイリキの焼肉店はまだ2店舗だったんですが、この2店舗が大爆発して。そう、それで『事業のもう一つの柱に育てていくぞ』ってなるんですが、物件がない/笑」。
店舗開発課長の橋氏はいきなり重要なミッションが課せられる。「それで、郊外に目をつけたんです。郊外なら、イチから作れますからね。だれにも文句は言われない。そうやって、店舗数を広げ、BSEも乗り越えきたんですが、分社化した2008年には、リーマン・ショックです」。
焼肉は言っても、庶民には高根の花だ。財布の紐が締まれば、来客も少なくなる。どうやって、乗り越えたんだろうか?
社長に就任し、もっとも注力したのは「サービス力と接客力」と橋氏は言っている。
「もともと、うちはダイリキからスタートしていますから、肉のプロなんです。だから、肉のプロと、サービス・接客のプロがいっしょになれば、最強でしょ。うちが、テーブルオーダーバイキングというスタイルを取っているのは、サービスと接客に挑んでいるからなんです」。
ただ、注力するといっても、そうそう向上しないのが、サービス力と接客力だ。「人」を動かすのは、難しい。
「社長に就任してから、取り組んだのが新卒採用です。とくにインナー採用にちからを注ぎました。じつは店舗社員の6割が元アルバイターなんです。そのアルバイトも45%が紹介による採用です。採用経費はもちろんですが、互いを知ったうえでの『就職』であり、『採用』ですからね。そこがいいと思っているんです」。
いい循環が生まれている。
「そういう好循環を生み出しているのが、うちの様々な制度、また高い給料や休日などです」。
実際、どうなんだろう?と同社の採用ページを観てみた。
イキイキとはたらく、スタッフたちのいい絵が並んでいる。橋氏がいう通り、待遇もよく、様々な制度が整っている。だが、それだけではなかった。
先輩のインタビューのなかに、次のような一文があったので引用する。
「『お前がこの店を変えるんや』。そう、熱く語ってくれたブロック長の一言。思えばあの言葉が、僕の人生を変えたんだと思います」。
当時、この先輩は、アルバイトだったそう。アルバイトにもまっすぐ向き合う。こんな素敵な会社は、たしかに少ない。これなら、たしかにインナー制度も機能だろう。トップの橋氏が何を大事にしているかも観えてくる。

50を100へ。

「義父から、プロの経営者と褒められたのがうれしかったですね。でも、私は、0から50にすることはできないと思うんです。義父が50にしたものを100にする、それが私のミッションですし、そういう仕事には最適だったかもしれません」。
親族のなかで、「私だけがサラリーマンだ」とインタビューの冒頭で、橋氏は語った。でも、いまやサラリーマンのわくは超えている。
2019年から、「一般社団法人大阪外食産業協会」副会長を務める。障害者採用にも力を入れ、雇用率は2.9%。80人の障害者が働いている。2018年8月6日には全店休業にして、京セラで大運動会も開催。九州でも同時開催して、衛星で2会場をつないだそう。大運動会というだけあって、参加者は京セラだけで、5000人。
「アルバイトの家族を呼んで、実際に働いている姿を見てもらう」や、「家族ロープレや子供ワーク体験」などユニークな制度もある。
ちなみに、2018年の夏の甲子園を沸かした金足農業高校の野球部員がゲン担ぎだといって、甲子園でたたかった間中、毎日、「ワンカルビ」に通ったというエピソードもある。
「食べたら、勝てる」。
旨い肉を食いながら、疲れをいやし、笑いあい、明日の試合にそなえる高校生の無邪気な表情が思い浮かぶ。経営者として、たしかに50を100にしてきた。そのちからに感服する。

思い出のアルバム
 
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