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第840回 バナナの神様株式会社 代表取締役 高橋英樹氏
update 21/06/15
バナナの神様株式会社
高橋英樹氏
バナナの神様株式会社 代表取締役 高橋英樹氏
生年月日 1979年6月19日
プロフィール 帝京高校卒。大手通信会社の立ち上げに参加し、のちに独立。営業代行の会社をつくり、数百億円の会社に育てるも、経営で躓き30億円を超える莫大な借金を抱える。ただし、わずか数年で返済。課題解決を行うプロデューサー的な立ち位置で、社会を支援し、自身でも次々、会社を立ち上げる。東京の待機児童の問題解決に貢献したほか、現在も大使館などの要請を受け、モンゴルで不動産の開発などを行っている。「バナナの神様」は、40社目のビジネス。その狙いは、日本の農業のイノベーションだ。
主な業態 「バナナの神様」
企業HP https://banananokamisama.com/

高校までの神様。

今回、ご登場いただいたのは、「バナナの神様」の代表取締役の高橋氏。このインタビュー時(2021年)で、まだ41歳だが、「バナナの神様」を含め40社の会社を立ち上げている。モンゴルにも会社があるそう。いわば経営の神様。
「私は、1979年生まれ。高校から東京の学校に通っていました。父親は消防士だったのですが、私が中学1年の時に亡くなりました。その時から食べることに必死でした。中学3年から叔父が経営するセブンイレブンでアルバイトをさせてもらいます」。
消防士の父親はマジメだったが、母親はビジネスセンスに長けていたそう。フリーランスで仕事をされていたとのこと。
「高校時代もバイト三昧です。東京でも、埼玉でも、うちの近くでも、いろんなバイトをかけもちし、月に70〜80万円かせいでいました」。
当時は、学校にもタクシーで乗りつけることがあったそうだ。
「とはいえ、大学に進学するつもりでしたから、1年、浪人を覚悟します。奨学金をいただくために、毎日新聞に入り、働きながら勉強するつもりでいました。ただ、営業が得意で、コンテストで表彰されたりもして、だんだんそっちが楽しくなって」。
高橋氏、初の挫折はここにある。中学まで一生懸命だった野球も周囲との実力差をまざまざと感じ高校でやめてしまう。その後入りたい大学も見つからず人生の目標を見つけられずにいたのだろう。

だれも追いかけられない営業成績。

結局、高橋氏は大学には進んでいない。「新聞配達奨学生で大学に行く予定だったのですが、当時、バイトしていた大手通信関係に急遽就職することになります。光通信の関連会社で、私も創業当時のメンバーの1人です」。
ここから急に話が、現実離れする。高橋氏だけではない。話に出てくる人たちが、まるでシンデレラストーリーの登場人物かのような。むろん、高橋氏は、その中心人物。
「初年度の年収は800万円でしたが、2年目には2000万円にはなっていました」。
2000万円!!と思ったが、営業成績を聞いて納得する。光通信グループ自体、急成長をとげるが、なかでも、高橋氏の売り上げは、すさまじいの一言だった。「当時、コピー機を売っていたのですが、月に3台売れればOKの時代に、私は30台売っていました。だれもついてこられなかったですね」。
むちゃくちゃな数字ですね? というと、案外、そうでもないらしい。「だって、特別なことをしているわけではないですからね」。
「コピー機ってだれから買っても値段はいっしょだろ。だったらキミから買う。だって、キミ楽しそうだからね」。
これは、高橋氏が「何故、ぼくから買ってくださるのですか?」とお客様に問いかけた時の、返答。「それからですね。私のなかで『楽しい』がキーワードになります」。
どうせなら、仕事は楽しんだほうがいい。だから、ちゃんと向き合う。「でも、いまは、あの当時のように若い子に指導すると、パワハラになっちゃいます。ちょっと難しいですよね」と笑う。
数字もハンパないが、やっていることもハンパない。1日のテレアポ400件。
「私が起業したのは、24歳の時。社長になんてなるつもりはなかったのですが、当時のメンバーたちに乞われて、じゃぁやろうかとなり、私を含め16名で営業代行会社を立ち上げます」。
この会社が数年で数百億円を叩きだす。お手伝いさせていただいている会社も従業員の数も、1万社1万人を超える。
「当時、流行っていたものには、たいていうちの営業がかかわっていました。名前をいえば、だれでも知っている会社のお手伝いもさせていただきました」。
次々、挙げられる社名や商品名を聞いて、改めて驚いた。

穴。

正真正銘の、ビジネスの神様。ただ、経営に穴があったのも事実。29歳で会社を一度、潰している。その時、ハンパない額の借金を背負うが、それを34歳で完済している。凡人には、それだけの借金もつくれないが、むろん返済もまず不可能だ。
「返済できてからが、いちばん楽しかったですね。毎日、フレンチを食べるより、吉野家で牛丼をかっこんでいるほうが幸せだと気づいたのも、この頃です」。
「34歳からの5年間は半分ボランティアしていました。つまり、5割がボランティアで、残り1割が営業代行のコンサルティング、4割が保育園の経営です」。
保育園? 「そう、保育園です」。なんでも、「待機児童の問題を解決しよう」からスタートしたそうだ。課題解決が好きなのだという。
また、「金儲けより、社会貢献」と当時の仕事軸を語る。東京メトロの保育園も高橋氏がかかわり、つくっている。モンゴルの会社はJC(青年会議所)とのつながりで。話はでかい。民間外交で向こうの外務省や日本の大使館の依頼をうけ、不動産開発や国際航空の開発、太陽光のメガソーラーの開発、医療問題解決のためにMRIなどの医療機器の輸出や医療法人経営なども行っているそうだ。
結局、冒頭でも書いたが41歳のいまに至るまで立ち上げた社数は、40社にのぼる。SDGsにも関心をもち、講演もしている。フードロスも気になるところだ。
もうすっかり、穴から這い上がっている。

神様の戦略。

ところで、どうして、40社目が、飲食で、バナナなのだろう。「バナナは16年連続、日本でいちばん食べられている果物なんです。でも、廃棄もされている。しかも、じつは、世界的にパナマ病が蔓延していてもう30度以上のところでは育たないと言われているです。しかもこのままではバナナは10年後には絶滅危惧種になる可能性もあります」。
そんななかで、台湾の国立大学と連携してバナナの苗の培養に成功し、国内のファンドと連携し苗の普及と国産バナナの栽培にも力をいれ日本20カ所以上でバナナの育成に成功する。
「飲食でいえば、バナナの神様の前にも、いくつかのFC開発に関わっており直近ではメロンパンブームの火付け役としても貢献しました」。
バナナのほうは、2年前から本格的にかかわっているそうだ。
「もともとは『アグレボ農法』という農法で行っていたものを私自身もかかわっているファンドが権利譲渡をうけて、このバナナとの付き合いがスタートします」。
「種子を180日間かけて、マイナス60°Cまでゆっくりと凍結し、氷河期を疑似体験させる」、この種子の安定培養がどれだけ大変でそれを可能にすることができたからこそ、全国各地の農家さんと連携して「みんなで農家さん」というブランドで全国各地にバナナ農家を増やしています。しかもこの農法なら収穫時期も早まり収穫量も3倍になる。
「農家にとっても安定したビジネスになります」。こちらが、京都出身だというと、近々、京都でも「はんなりバナナ」のブランド名で収穫がはじまりますと教えてくれた。
栽培だけではない、出口は決まっている。
「だって、育てたバナナは、うちがぜんぶ買い取りますからね」。
育成と、販売が一体化している。まさに、最高の戦略。神様が描いた戦略だから、間違いない。「バナナにピークはない。あるのはバナナをおいしそうに食べる人達の笑顔だけ。バナナは青天井です。」というから、うれしくなる。

日本をたのしく、げんきにする。

ホームページをみると、グリーンとバナナのイエローが重なり、楽しくも、おしゃれだ。キャッチは「this banana is not banana.」。「新しいバナナ体験」がサブタイトルになっている。
説明は、sweet、healthy、beautyの3項目からになっている。糖度25度、19種類のアミノ酸、低カロリー高たんぱく質がキーワードだろう。
バナナといえば、小腹がすいた時の相棒と思い込んでいたこちらが恥ずかしい。個人的にはメニューの「神様のバナナBEER」が気になる。今年の夏には国産バナナハイボールや国産バナナサワーもお披露目されるらしい。
さて、今後の戦略をうかがうと「シェアリングFC」がキーコンテンツになるらしい。このシェアリングFCなら、加盟金40万円、ロイヤリティ6%、保証金20万円と、100万円程度の低コスト開業が可能だ。興味がある方はぜひ、ホームページを参照いただきたい。
YouTubeでも、「バナナの神様オフィシャルチャンネル」がスタートしている。
高橋氏がいう「バナナの神様」のミッションは、日本をたのしく、げんきにすること。
その種はもう氷河期を体験しありえないスピードで成長しようとしている。

思い出のアルバム
 

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