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第863回 株式会社やる気カンパニー 代表取締役 山本高史氏
update 21/11/22
株式会社やる気カンパニー
山本高史氏
株式会社やる気カンパニー 代表取締役 山本高史氏
生年月日 1990年5月4日
プロフィール 1990年、徳島県に生まれ。小学生から野球をはじめ、甲子園常連校に進学する。高校卒業後、工場勤務を開始するが、すぐに退職し、飲食の道を志す。「俺カンパニー」の山本昇平氏との出会いでチャンスを手に入れ、23歳で独立。2021年11月現在、「俺のハンバーグ」をはじめ、自社ブランド「串天 山本家」など6店舗を運営している。
主な業態 「俺のハンバーグ」「串天 山本家」「天ぷら串 山本家」
企業HP https://www.yaruki-co.jp/

野球と山本氏。

打率5割だったと言うから、すごいバッターだったんだろう。「この時、私は3番。後ろを打っていたのが、今年のプロ野球、パリーグのホームラン王です」。
今回ご登場いただいた山本氏が生まれたのは1990年。「父親が事業をしていたので、比較的裕福だったと思います。ただ、両親は早くに離婚し、父親が自由人だったもんですから、私は祖母に育てられます」。
野球を始めたのは小学1年生。さみしさを感じなかったのは、野球のおかげ。キャッチャー、4番が定位置。「祖父も、父親も野球をしていた、野球一家です」。
おばあ様は、たいへんだったにちがいない。おじい様はともかく、2人の選手を育てられたのだから。
「中学ではリトルリーグに入ります。その時、バッテリーを組んだのが、のちに甲子園で優勝するピッチャーです」。「いっしょに甲子園に行こう」と語り合っていたそうだが、「私はケガをしてしまって」と山本氏。とはいえ、山本氏も名門校に進んでいる。
野球だけではないが、スポーツは人生を教えてくれる。「いま思えばたしかにそうですね。当時は、わからないことだらけでしたが笑」。
高校時代の監督からは、野球以外の事を口酸っぱく指導されたらしい。
「監督がいうのは、学生として野球が一番でなく学問が一番。野球だけやってればいいという自分の考え方のずれがあり当時は、わけわからないことばかりでしたが、人間性を育てていただいたのは事実です。野球もそうですが、あの監督と出会っていなかったら、いまの私はないと思っています」。
練習はむろん、きびしかった。レギュラーになっても、怪我に悩まされた。それでも高校卒業まではつづけた。大学では、誘いはあったが断っている。
「もう野球はいいかなと。中学の時には甲子園優勝投手でしょ。高校の時にはホームラン王です。やっぱり、やつらは別格。やつらみたいにはなれないなと思ってしまったでしょうね」。
人生の分岐点?
「そうですね。大学に行ってまで野球をしようと思わない。それが、素直な気持ちでした。でも、初任給の安さを知っていたらちがった選択をしていたかもしれませんが/笑」。
ともかく、これで野球は終了。新たな道がスタートする。

初任給、小遣いを下回る。

「工場に勤めるんですが、正直、びっくりしました。たったこれっぽっち?って」。初任給の話である。「わりと裕福でしたから、小遣いより少ないんです。さすがに、このままではまずかろうと。そう、それで決心するんです」。
東京行き?
「そうです。新卒で採用してもらった工場を離れ、夜行バスに乗って東京に向かいます。やることは、決まっていました。飲食です。食べることが好きだったので、やるなら飲食かな、と」。
むろん、野球漬けで、バイトの暇もない。だから、バイトでも飲食の経験はない。「それで、計画を立てるんです。東京に行って→アルバイトでお金を貯めて→専門学校に入る、です」。
ただし、アルバイトしているうちに、専門学校に進まなくてもいいと知った。「ぜんぜん、知らなかったんです。飲食をするなら専門学校を卒業しないといけないと思っていたもんですから」。
思い込みとはそういうもんだろう。
「それに気づいて、それまではたらいていた工場を辞めて、飲食店でアルバイトをはじめます」。給料はどうだったんだろう。小遣い程度にはなっていたんだろうか?
「給料より、とにかくスタートラインに立てたわけですからね。ただ、漠然と仕事をしていたのも事実です。ある時、お客様から、『いつ頃までに独立したいの?』って質問されたんですね。たしか、19か、20になっていたかな。とにかく、そう言われて、俺は何をしていたんだ、と。そう、それで『独立』を目標にかかげて走りだしました。これが、もう一つのターニングポイントです」。

『俺カンパニー』の山本社長との出会い。

独立は、難しい。会社を辞めるのも、難しい。「最初はアルバイトだったんですが、店長代理にしていただいて。でも、そのお店にいても、目標とした3年後、といってももう8ヵ月くらい経っていましたから、あと2年ちょっとで独立できるとは思えなかったんです。それで、11月くらいだったかな、決心して『来年1月になったら、辞めさせてください』って言うんです」。
そしたら?
「そう簡単じゃないんですね。どうするんだ? つぎは決まっているのか? って矢継ぎ早に聞かれて、なにも決まっていないというと、だったら辞めさせられないな、と笑」。
「いま思えば、親心だったのかもしれませんね。まだ20のガキですから、こっちは。それで、ちからのあることを示そうと思って。11月、12月、2ヵ月連続で過去最高のセールスをたたき出します。おかげで辞めさせていただけるようにはなったんですが、年が明けても、つぎが決まっていない。どうしようか? と思っていた時に、たまたま懇親会で『俺カンパニー』の山本社長が、うちの店を利用してくださったんです。その時に色々とお話をさせていただいて。そう、そのあと、メッセージが来たんですね。『いま何しているの?』って」。
「いただいたお話は、何もしていないなら店をひとつやってみないかということでした。赤字の店だったんです。2月1日から5月まで様子をみて、再契約するかどうかを決めるというお話でした」。
「独立を志している私には、いうまでもなく最高のお話です」。ただ、4ヵ月。できることは限られている。赤字のままなら、チャンスはなくなる。
初めて経営はいかがしたか?
「奇跡」という言葉を山本氏はつかった。さすがに奇跡はオーバーだが、話を聞くと、そういいたくなるのもうなずける。
話はこうだ。
赤字というだけあって、頑張っても、なかなか業績は上がらない。ランチはいいが、ディナーがアウト。「やはり、ぜんぜんだめで、ディナーは1日に2〜3組。想像すらしていなかった数字です」。時間があれば、方法はほかにあったかもしれないが、その時間がない。
「ほかに思いつかず、グルメサイトに広告をだしました。それが3月かな。その効果というか、広告をリリースする前後に電話がかかってくるようになって…」。
早い話、奇跡というのは、「俺のシリーズ」が、TVでも取り上げられまくったことだ。「うちは、俺のハンバーグです。『俺のシリーズ』とはもちろんちがいますが、勘違いされて/笑。広告がスタートしたタイミングも最高だったんでしょうね」。380万円が合格ラインと言われていたが、すぐにオーバーして5月の売上は、550万円をたたき出すことになる。わずか4ヵ月。たしかに「奇跡」と言いたくなる。
ともかく、課題はクリア、再契約となり、その年の9月にめでたく独立。個人経営の店として本格的にスタートする。ただし、いつまでも奇跡を起した女神はいない。

声援、いまだ鳴り止まず。

「思えば、山本さんにお会いできたのも偶然だし、『俺のシリーズ』もタイミングですよね。その意味ではつくづく恵まれています。ただ、いつまでも、そう、うまくいかない/笑」。
個人事業主として再スタートしたものの、そうなると、派遣されていたスタッフたちとの間がギクシャクする。山本氏が正式に独立し、経営者となったことで距離が生まれてしまったのかもしれない。
「だんだん、売上も下がっていくんです。それでもなんとか黒字は維持できていたんですが、このままでは、と思いつづけていました。そんな時ですね。もう1人の女神が現れるんです」。
奥様のことである。
「彼女が、知り合いの料理人を連れてきてくれたんです。それから、ですね。歯車がかみ合いだしたのは。いまうちの主力ブランドの『串天』も彼のアイデアです。『いいよね』ってことでリサーチしてみたんですが、ないんですよね、串で天ぷらって」。
「めずらしさも手伝ったんでしょうか。業績は悪くない。ただ、料理はけっして旨いとは言えません。うちの奥さんが、料理をしていたんですが、彼女はいっても素人ですからね」。
「正直、ひどかったですね。最初は」と苦笑する。むろん、それでいいとは思っていなかった。だから、改良を重ねた。いま、その「串天」をグルメサイトで探すと高得点が表示される。「何を食べても美味い」とのコメントも掲載されている。「赤坂No.1」といって推す人もいるようだ。
「女神がいたとしたら、うちの奥さんと、もう一つは徳島ですね。向こうの食材を使いたいと思ったのが、『串天』の始まりですから」。
現在、店舗数は6店舗になる。店長は知り合いを通じて。だから、きずなも強い。
「9月にオープンした、『ちょっとおでんで贅沢に』をコンセプトにした『博多おでんと自然薯 よかよか堂』が好調です。今、つぎをだそうと物件を探しているところです」。
取材は10月に行ったので、わずか1ヵ月。興味がわいてネットで調べると、和モダンな造りで、料理は写真を観ただけでそそられるものばかり。カップルも多いという一文にもうなずけた。むろん、業績好調。
「コロナ禍以前は、何店舗、何十億なんてぶち上げていましたが、いまは何か違うなって。みんなの幸せがやっぱりいちばんです」。
志がかわったわけではない。昔からそういう人だ。ものではなく、人を大事にする。
いまも高校時代の監督がいった一言が頭に残っている。「実力を磨くより、人間性を磨くことのほうが大事」。商売にも通じる一言だと山本氏はいう。たしかに、そうだ。
人間性とは、磁力かもしれない。その人間性という磁力にひかれ、スタッフも、お客様も、そして、ピンチな時には救いの女神もやってくる。
だからこそ、その人間性を、みんなで高めようとしている。2021年現在、まだ30歳を超えたばかり。今からが益々、楽しみな経営者の1人。声援は、いまだ鳴り止まない。

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