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第873回 株式会社SLICK CEO 岩崎慶人氏
update 22/02/15
株式会社SLICK
岩崎慶人氏
株式会社SLICK CEO 岩崎慶人氏
生年月日 1976年11月22日
プロフィール 16歳からスケートボードをはじめ、数々の大会で入賞を果たす。スケートボードを30歳までつづける一方で、バンドを組み、インィーズデビュー。ストリート系、ファッションブランドのディレクターも務め、マルチな才能を発揮。35歳の時、飲食事業をスタート。渋谷・神谷町に、スペイン料理と自然派ワインの店「LUZ」をオープンする。
主な業態 「大衆酒場 ネオトーキョー」「LUCE」
企業HP https://tabelog.com/tokyo/A1317/A131706/13260632/

ファッショナブルで、やんちゃな少年A。

子どもの頃から、チノパン、エムエーワン、スニーカーという格好だった。今じゃない。1980年代のこと。「母親がファッションが好きだったんです。だから、それ以外は買ってくれない。父親とは私が小さい頃に離婚していますので、私と母だけ。洋服とごはんが、私ら親子のキーワードでした」。
最近、園児の頃の写真をみて「こいつぅ」と思ったそう。
「みんな行儀よく体操座りをしているのに、私だけ寝そべっているんです。まだ園児ですよ。なにやってんだ、こいつは」。
ご自身の記憶では、小学低学年まではふつうの少年だったようだが、写真はすでに周りとちがった姿を映し出していた。
「小学校の後半くらいからはちゃんと、人とずれている認識はもっています。やんちゃ? そうですね。やんちゃな少年です」。
喧嘩は、日常。授業をサボるのも日常だった。
「20歳になるまではろくなもんじゃないですね。中学も2年くらいから行ってない。給食だけ食べて『さいなら〜』みたいな。母親はしょっちゅうお菓子をもって喧嘩相手の自宅まで謝りに行っていましたっけ」。
ファッショナブルで、やんちゃな少年A。
一言いえば、そんな感じ。

少年A、スケートボードに出会う。

「スケートボードをはじめたのは、16歳の時です。ともだちがスケートボードをやっていて、楽しそうだからって道具を借りてはじめたんです」。
実は少年Aは、16歳からスケートボードに出会い、すぐに頭角を現す。もう少年Aではない。だれもが岩崎氏を知る。
「ABCってランクがあってCが一番下なんですが、すぐBに進んで優勝します。Aに行っても大会で入賞を繰り返します。スケートボードはマジメにがんばりました笑」。
スポンサーもついて、海外での撮影も多数経験する。
「私の人生のターニングポイントを挙げるとすれば、スケートボードと出会ったことですね。今はオリンピック競技ですが、昔はヘンな目でみられました。そりゃ、夜な夜なボードをもって街をすべるんですから、そうみられるのが、ふつうですよね笑」。
ただ、そのスケートボーダーが、文化をつくりだす。ストリート系。
「わたしは後にファッションブランドのディレクターもして、実は音楽でもデビューするんです。それ全部、スケートボードからつながっています」。
一枚のボードに足をかけ、なにものにもしばられまいと、滑走する。芸術とは、そういうところからスタートするんだろう。
「東京オリンピックの選手はむちゃくちゃうまかったですね」。かつての有名スケートボーダーは、そういって今の天才たちを賞賛する。
ちなみに、「トランスワールドスケートボーディング」という専門誌は、カラー10Pの特集を組み、岩崎氏を取り上げている。それ以外にも多数の雑誌に掲載されている。2004年度にはスケートボードビデオNaughty(THE ANSWER FROM WEST)に、フルパートを残して、当時のジャパニーズスケートボードビデオでは3位のセールスを記録している。

バンドとアパレルブランドと、飲食と。

年間70本のライブをした、という。19歳から始めたバンド「CURB CREAM」。フェスにも何度も出演している。
「この音楽以外に、2001年にストリートブランド『Naughty』をリリースします。ブランドコンセプトは『Strategy From Underground』です」。
飲食を始めるまではアパレルが岩崎氏の主戦場だった。11年間、ブランドディレクターをつづけている。ファッションもそうだが、岩崎氏の生き様自体が、熱狂的なファンから支持されたのではないだろうか。
ところで、そんな岩崎氏がなぜ、飲食に進むことになったのか? だれもが興味のわくところだ。
「35歳の時です。スケートボードは30歳でリタイアしました。同時に2つは追いかけられないんで、飲食をはじめてからはアパレルもやめています。きっかけは、たまたま物件が空き、シェフがいたからです」。
渋谷・神谷町。岩崎氏いわく、へんな通りの、地下1F、誰も気づかない。「今まで1年以上続いた店がなかった。ただ、格安だったので」。
オープンしたのは、スペイン料理と自然派ワインの店。店名は『LUZ』。
「赤字にはなりませんでしたが、私がイメージしていたより悪かったですね。でも4年つづきましたから、記録です」。
むろん、ただの撤退ではない。キャッシュができ、4年後の2016年に三軒茶屋に移転している。
「ファッションも、ごはんも、先生は母親ですね。母親の父親は、福岡でキャバレーを経営していたそうです。車はロールスロイス。そういう岩崎家の血筋も受け継いでもいるんでしょうか」。
バンドとアパレルブランドと、飲食と。今は、最後の飲食にはまっている。

ジャパニーズ・バル。

「LUZ」につづき、代々木八幡に「イタリアンキュイジーヌ&ナチュラルワイン LUCE(ルーチェ)」をオープン。イタリアンだったのは、イタリアンのシェフと出会ったから。 「LUZ」は、2021年に「大衆酒場ネオトーキョー」にリニューアル。洋食の世界観を、大衆酒場の料理に落とし込むのが面白いという。
今趣味はなんですか?と聞くと、意外にも「仕事」という返答だった。「あと10年で引退しようと思っているんですが、それまでやりたいことも色々あって」。
たとえば?
「そうですね。福岡にあって、東京にないそんな料理も出したいし、実はジャパニーズ・バルをニューヨークにオープンするのを狙っているんです。100ドルくらい取れるようにすれば採算も合います」。
ネオトーキョーの向こうに、ネオジャパニーズ構想があると思えば、それもまた面白い。何にもしばられない、自由。いまも岩崎氏は、自由なストリートのなかにいる、そんな気がした。

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子供の頃 18歳の頃 飲食店をはじめた頃
 
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