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第884回 EDGE 代表 平井悠太氏
update 22/05/10
EDGE
平井悠太氏
EDGE 代表 平井悠太氏
生年月日 1988年7月19日
プロフィール 北海道網走市出身、深川市で育つ。両親と姉、兄の3人きょうだい。旭川福祉専門学校を卒業後、神奈川県横浜市の老人ホームに就職。1年後に辞めて、東京に出てフリーター生活を過ごす。東京・下北沢出身の友人と下北沢でカフェを営むことになり下北沢に転居。その友人はじめ創業のメンバーは抜けるが、店長として7年4カ月奮闘。2021年11月に同店は再開発に伴って立ち退きになる。知人である現在のオーナーから物件を紹介され、今年3月26下北沢駅から徒歩30秒の場所に居酒屋とバーの二毛作業態「HITOHITO」をオープン。
主な業態 「HITOHITO」
企業HP https://instagram.com/hitohito_abp?igshid=YmMyMTA2M2Y=
平井氏は現在33歳、今年3月に東京・下北沢で独立開業を果たした。飲食業の経験はそれまで下北沢でカフェの店長を務め実績を積んできた。そこに至るまでは、北海道で生まれ育ち地元の専門学校を卒業して、見ず知らずの東京で就職、その後アルバイトをかけ持つフリーターを過ごしていた。その彼が飲食業に入り自分の人生の方向性を定めていった。これまで平井氏が培ってきたことは、両親そして家族、お世話になってきた人々への感謝の心である。

生まれ故郷を抜け出して一人東京へ。

平井氏は北海道網走市生まれ。父が民間の土木事業の会社に勤務していたことから、旭川市、深川市と転勤し、家族もそれに伴って転居した。今実家は深川市にある。兄弟は5歳上の姉、3歳上の兄の3人兄弟。自分は末っ子である。
子供の頃は一人遊びが得意のおとなしい子供だった。中学2年の時にお年玉でスノーボードを購入、バスで20分の所にあるスキー場に通っていた。雪のない季節は自転車で街中や周辺を走り回ることを楽しみにしていた。
姉、兄共に高校を卒業してから介護の専門学校に進んだ。兄は現在、旭川で介護の仕事に就いている。姉は難病に認定され道半ばで闘病生活となった。この「介護」の道に進むことは、きょうだいの間で暗黙の内に定まっていた。高校時代はアルバイトをして過ごして、高校2年生の当時“反抗期”を自覚した。高校の先輩と付き合ううちに自分も粗暴になっていた。そして、高校を卒業してから旭川の専門学校に進んだ。
専門学校に入学して、早速当時人気のミニバン「ホンダS-MX」を購入(約90万円)。心が躍る毎日だったが、2週間ほどしてバスと接触、廃車になってしまった。理由は自分の不注意。ローンだけが残った。これが人生最初の大きな挫折感となった。半ば自暴自棄となり、学校を卒業したら「ここから抜け出そう」と考えていた。
就職は神奈川・横浜市内の老人ホームに決まった。東京方面の縁は高校時代に修学旅行で行ったことがあるだけで、親戚はおろか知人も誰もいなかった。それがかえって地元と決別することに都合がよかった。
介護職は恒常的に人手不足で、面接もなく電話だけで就職が決まった。入所してから同期の男子と二人部屋で寮生活が始まった。職員の中には同世代の人が少なく、職場の中での交流はなかった。仕事が休みの日には東京の渋谷や原宿に出て過ごしていた。
仕事は安定していたが単調だった。だんだんと「今は介護ではなく別の人生をやろう」と考えるようになった。そして、東京に出ることを決断。当時21歳で「30歳になって、まだ自分がやりたいことが定まっていなかったら介護の仕事に戻ろう」と自分に誓った。

一生懸命に働いてホームレスから抜け出す。

この時に移り住んだのは外国人が経営する原宿のシェアハウス。二段ベッドが二つ設けられているだけで、平井氏以外の住人はみな外国人。原宿の居酒屋と歌舞伎町の量販店のアルバイトを掛け持ちするようになり、寝るためにシェアハウスに帰ると住民が変わっていた。このように複雑な環境にあって、住民とコミュニケーションを取らずに3カ月ほどが経過した。
このシェアハウスは禁煙だったにも関わらず、みな喫煙していた。自分もそれに倣って喫煙していた。ある日、アルバイトから部屋に戻ると、ベッドに「あなたは禁煙のルールを破ったので、明日の朝までに出ていってください」と張り紙がされていた。誰かが自分のことを密告したのだろう。そのタイミングでこのシェアハウスを抜け出した。
そこからホームレスとなり2カ月間を過ごした。寝る場所は電車の中。友人はいなく、アルバイトの掛け持ちで忙しく過ごした。お金も貯まり、父に保証人になってもらって東京・中野にアパートを借りた。ユニットバス付で家賃4万5000円。家具は布団だけ。毎日18時間働いて後は寝るだけ。月の収入は30万円を超えていた。
だんだんとアルバイト仲間の友人ができるようになり、あちらこちらに遊びに出かけた。週に一度は友人たちと居酒屋で過ごした。このようなある日、下北沢が地元という友人に誘われて下北沢の街を探索した。
友人たちの交流が楽しくなった。北海道で過ごしていた友人たちと比べ、東京の友人たちとの方が付き合いやすいと感じるようになった。下北沢は街の雰囲気そのものが自分になじんでいた。下北沢にいて、下北沢の人たちと話している時に“自分らしさ”を感じるようになった。

下北沢で飲食業と出合いご縁に恵まれる。

下北沢が実家の友人の祖父は地元で飲食店を展開していた。それらの物件の一つが空くことになり「そこでみんなでカフェをやろう」と話が立ち上がった。平井氏は「これは面白そうだ」と参画した。メンバーは下北沢の友人、自分、もう一人の友人の3人。
そこで下北沢に住むことを決意。この時彼女がいて、一緒に住むことになっていた。独り住まいにしてはちょっと広い。家賃はちょっと高いが二人で住めば安かった。しかし、彼女とは3カ月で別れた。「下北沢のカフェで頑張ろう」と決意を新たにした。
このカフェの経営は、開始して一年も経たず異変が起きた。まず、下北沢の友人が抜けた。そして、もう一人の友人も抜けて、自分がオーナー(つまり下北沢の友人の祖父)の元で働く、雇われ店長となった。アルバイトを採用して、売上をつくり利益を管理して、経営を安定させることに一生懸命に取り組んだ。そしていつしか7年4カ月が経った。
その店を辞めることになったのは、再開発によって店が立ち退くことになったから。2021年11月のこと。しかしながら、幸運にもこのタイミングで現在の物件で商売ができることになった。新しい物件のオーナーは、カフェの店長をしている当時に知り合った人物で、それ以来交流があった。この物件を借りることができたのは、オーナーが「知らない人に貸すのではなく、知っている人に貸して頑張ってほしいと考えたから」という。
独立開業となるこの店はこの3月26日にオープン、店名は「HITOHITO」。下北沢駅から30秒のビルの3階、8坪でカウンターを含め23席。居酒屋営業(18時〜24時)とバー営業(24時〜5時)の二毛作で、日中は友人に貸してカレーショップが営まれている。
物件取得費は60万円。内装施工を知人に依頼してほぼスケルトンで8坪を250万円で仕上げてもらう。この他備品の購入に100万円。初期投資額は450万円で収まった。運転資金を含めて日本政府金融公庫から一部借りることを想定していたが、これまで年金を支払っていなかったことから日本政府金融公庫からの融資は得られなかった。とは言え、立ち上がりは好調となり、今にしてお金を借りる必要がなかった。
家賃は月額22万円。「HITOHITO」は深夜営業であることから、日中は友人に貸し出してカレーショップが営まれていると述べたが、これに際して友人と「初期費用は平井氏が全額支払い、家賃負担は折半」と取り決めた。そこで、平井氏から友人から家賃11万円を受け取っている。自分が払っている家賃は11万円となる。「HITOHITO」のスタッフは基本的に自分と料理人の2人。深夜のバー営業では、アルバイト2〜3人で回している。忙しくなる金土の深夜には、これらに1人加わる。

感謝の心を育んだ「家族」の存在。

店の健全経営については、雇われ店長当時に独学で学んだ。給与はアルバイトを優先する。仕入れを工夫することで利益を確保する。自分の給料は固定で24万円。これだけでは食べていけないので、深夜営業のバーでアルバイトをしたり、プリントTシャツをネットで販売するなどして収入に充てた。
店がオープンして1カ月を過ぎたばかりだが、当初予想していたものと比べて立ち上がりは好調に推移している。まだ、グルメサイトで公開しておらず、告知はインスタグラムや友人のインフルエンサーの発信のみだが、居酒屋営業では日を重ねるごとに客数が増えている。バータイムには、自分が参加しているコミュニティのメンバーが仕事帰りに友人を連れてきたり。このような形で、お客の輪が広がってきていることを実感している。
下北沢は日中若者で大変にぎわう街だ。これらは遠方から古着を求めてやってくる人たちがほとんど。一方、そのにぎわいと比べると夜は至って静かになる。これが下北沢の特徴だ。しかしながら、夜は人とのつながりによってお客が定着していくというのも下北沢の特徴のようだ。
闘病生活を強いられていた姉がこの2月に亡くなった。北海道にいた姉に寄り添うことはできなかったが、家族が姉の元に集まって、みんなで食事をする機会が増えた。最近の思い出は、昨年の暮れに東京ディズニーランドでみんなで過ごしたこと。姉は、下の弟が飲食店を独立開業するということをとても楽しみにしていた。今、平井氏は「自分にとって一番大切なものは両親ときょうだい」という。このような思いを強くしてくれたのは姉の存在であった。両親にはこれまでいろいろと心配をかけたが、この度の独立開業を応援してくれている。
平井氏は「下北沢」という街と出合ったことが、自分の人生に大きな転機をもたらしたという。商売をすること、生き方、そして人とのご縁の大切さを学んだ。今は、共に働く人たちが幸せに過ごすことができる環境をつくっていくことに専念し、下北沢に根差した商売をしていきたいと考えている。

思い出のアルバム
思い出のアルバム 思い出のアルバム 思い出のアルバム
子どもの頃3きょうだい
(姉と兄と本人)で
下北沢に転居してきた当時 前職のcafe内にて
 

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