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第886回 株式会社Belief 代表取締役 本間亮佑氏
update 22/05/31
株式会社Belief
本間亮佑氏
株式会社Belief 代表取締役 本間亮佑氏
生年月日 1989年8月9日
プロフィール 埼玉県秩父市出身。高校に進学するも、中退。美容師の専門学校に進むが、やはり卒業せず、新たな道をみつけるため東京へ。東京での仕事も長続きせず、いったん地元にもどったあと、再度、東京へ。その時、出会ったのが「とり鉄」。経営者の小林剛氏にも惹かれ、飲食の道を進むことを決意。わずか2年でノウハウをマスターし、祖父が経営していたホルモン店のうち1店舗を引き継ぎ、経営者としてスタートする。
主な業態 「秩父ホルモン酒場 まる助」
企業HP https://www.be1ief.co.jp/

勉強以外なら何でもできた。

本間氏が生まれたのは1989年。バブル経済で日本中が狂騒していた頃。もっとも生まれは埼玉県の秩父市だから東京のイメージとは少し異なる。
「私が4歳の頃、両親が離婚します。もともとホルモン店をしていましたので、父が抜けたあとは母と祖父が仕事をして、私たち子どもの面倒は祖母がみてくれていました。父親とはそれ以来会ってはないです」。
本間氏の母親は、本間氏が小学3年生の時に再婚されている。
子どもの頃は、勉強以外は何でもできた、と笑う。
実際、中学校ではサッカー部だったが、陸上や相撲の市の大会に参加して入賞している。スポーツができれば、女子にもてる。それはジョークとしても、羨望の的だったんじゃないだろうか。
「そうですね。とはいえ、学校生活が楽しかったわけではなく、中学時代にぐれちゃいました。中学はなんとか卒業できましたが、高校は2校、どちらも1ヵ月で退学しています笑」。
1校目はサッカーの特待生で入学。いままでお山の大将だったと知る。これじゃ、いちばんになれないと部活を辞めた。特待生の権利がはく奪され、学校も退学することになる。
母親に諭され、2校目に進学するが、こちらも長くはつづかなかった。
「1ヵ月で3回停学になって、3回目で退学になりました」。
いきなりタイマン事件があったそう。
「TVドラマ、そのまんまです。橋の下に連れていかれて、20人はいましたね。それで、そのうちの1人とタイマンだと。笑っちゃうのが、顔を殴ってはいけないというルール付きだったんです。ヤンキーが多い学校でしたが、退学になるのはいやだったんでしょうね」。
勉強以外は何でもできた、その何でものなかに喧嘩も入っていたんだろうか。タイマンの勝利者は、本間氏。「それからまた、ヤンキーらとの付き合いがスタートしちゃうんです笑」。

志望動機はうすっぺらい。だが、道はたしかに始まった。

「退学してから一念発起して、美容師になろうと専門学校に進みます。美容師はかっこいいっていう理由だったんですが。でも、これも1年くらいで辞めてしまいます。ちょうど16歳〜17歳の頃です」。
この頃、本間氏は秩父から東京にでてきている。
「秩父にいたら、悪い縁も断ち切れないと悟りました」。
ただ、東京でも、まっとうな道を少し外れる。18歳。お金になると、歌舞伎町でホストを始める。「でも、まだガキでしょ。お酒も飲めないから、ぜんぜんお金にならない。ホストなのに日給5000円です笑。そこを半年で辞め、声をかけていただき、スカウトの仕事を始めるんですが、そこもトラブルを起こしてしまって、半年で退職します」。
東京のネオンは、まだあどけない本間氏にはまぶしすぎたのだろうか。それとも、闇の深さにイヤケがさしたのだろうか。とにかく、本間氏はいったん秩父にもどっている。
「秩父にもどって、フィリピンパブのボーイを始めます。秩父はやはり居心地がいいです。ただ、良すぎて、成人式ではしゃぎすぎてしまいます」。
詳細を聞くと「はしゃぎすぎ」程度ではない。
「行為はけっしていいとはいえませんが、母親と祖父の涙をみて、改心することができたのも事実です。私にとっては、一つのターニングポイントです」。
母と祖父の涙は、本間氏の「何か」を流したにちがいない。それは、本人にもはっきりとはわからない、わだかまりだったんじゃないだろうか。
家業でもあるホルモン店をつごうと、素直にそう思っている。
その準備だったのだろうか、その年、本間氏は「とり鉄」に入社している。
「そうちょうど20歳の時ですね。『とり鉄がいい』わけではなく、寮がある飲食店が『とり鉄』だったから。うすっぺらな志望動機ですね。でも、その小さな、ある意味、いいかげんな一歩が、私の人生の、新たな幕開けとなりました」。

とり鉄で出会った師匠たちと、新たな目標と。

「小笠原さんというトレーナーの方がいらして、初めて出会ったカッコいい大人が、この小笠原さんなんです」と本間氏はうれしげにいう。
なんでも、本間氏は金髪でホストのような格好で面接に臨んだそうだ。その時の面接官が、小笠原氏。2人の人生が交差する。本間氏をみて、小笠原氏が放った一言がかっこいい。
「髪を染め直して、髭を剃れば採用してやる」。
「当時は60店舗くらいの時。小林社長にも可愛がっていただきました。私は唯一のフランチャイズ『烏骨鶏専門店』の店長だったので、とくに気にかけていただいたのかもしれません」。
勉強ぎらいが、貪欲に勉強を開始。
「興味があれば、勉強できるもんですね」と笑う。
「とり鉄は、研修も充実しているんです。だから、希望者が募られたら、とにかく手を挙げていました」。業績を聞いて驚いた。10坪で月商600万円。通常、家賃の10倍が損益分岐点と言われている。10坪なら、坪単価がある程度高かったとしても、かなり利益があったはず。
「PLが開示されていましたから、利益をみて、なんじゃこれは、と。独立するきっかけだったことはたしかですね」。
ところで、やんちゃな本間氏はどこにいったんだろう。この頃の話からは、真面目で真剣な青年の姿しか想像できない。
とり鉄は2年で卒業。こちらは「独立」という目標を追いかけた結果の、卒業である。
「入社して2年。22歳の時に独立させていただきました。人生でいちばん影響を受けた人ですか? いうまでもなく、小林社長です。この仕事が好きになったのも、独立しようと思ったのも、小林社長のおかげです。もちろん、うちのおじいちゃんがいなければ今の私はありません」。

独立。秩父のホルモン事情。

「祖父が経営していた2つのお店のうち業績が悪かった方を引き取って事業がスタートします。最初は、東京で、と思っていたんですが、実績もなにもない若造にお金を貸す太っ腹な金融機関はありませんでした。だから、祖父の店を引き取ります。売り上げは、それまでの倍にしました」。
昔の本間氏ではない。おじいさまは売り上げを抜かれたことを手放しで喜ばれたのではないだろうか。
「最初の3年は個人事業主でした。事業を始め、1年後の23歳の時には、銀行から1200万円をお借りして、秩父駅前に本店を移転オープンします。おなじホルモン店ですが、コンセプトをがらり変えました。ホルモンの大衆的なイメージは残したまま、クリーンで、おしゃれなイメージを打ち出しました」。
これは、新たな秩父のホルモン事情のはじまり。
月の営業利益が150万円。
「ありがたいことに、大繁盛です。1年もたたず、1000万円が貯まり、そのお金で2号店を出店します。こちらも成功して、そして法人化にふみ切りました」。
新たな出店にも、意欲的だった。
「ただ、つぎに2500万円かけ、熊谷に新店をオープンするんですが、こちらはぜんぜん。売上が200万円にもならないんです。大失敗ですが、飲食は人なんだと気づかされます。これは、そのあとの飲食人生にとって、大きな財産になりました」。
ホームページに掲げてある私の想い「人を育て、人を愛し、会社を愛する」は、この気づきから生まれたのかもしれない。むろん、それからも失敗はある。原価45%もかけ利益がでなかった肉バルもその一つ。しかし、失敗しても、つぎに進む。ホームページの沿革をみればわかるが、次々にオープンしていく。とくに2019年には5店舗をつづけてオープンしている。
2021年から新店オープンはないが、こちらはコロナ禍の影響だろう。コロナ禍がなくなれば、当然、またオープンラッシュがスタートするにはずである。今後の目標もうかがった。

秩父から、全国へ。秩父ホルモンの未来づくり。

「フランチャイズ本部を立ち上げて広げていこうと思っています。目標はズバリ100店舗。直営40店舗、社内独立で10店舗、残りはフランチャイズでといったイメージです。社員の9割くらいがアルバイトから、社員になっています。彼、彼女の思いを実現するサポートもしっかりしていきたいですね。それで社内独立の10人を生み出していきたいです」。
目標数値としての100店舗はあるが、めざすのはそれだけではない。
「そうですね。秩父の食文化であるホルモンを全国に広げる。これが、究極の目標です」。
秩父でホルモンが広がったのには、諸説あるそうだ。
ダム工事で働いていた関西出身者が、ホルモン店をひらいたのが、そのはじまりという説もある。
関西と違って、豚の内臓が主。関西から来た文化であったとしても、その意味でもう独自の食文化と言っていいだろう。
新たなホルモン文化が秩父から全国へ。そんなストリーも悪くない。
余談だが、東松山に新店をオープンした時に、加藤と名乗る知らない人から祝いの花が届いた。母親に聞くと、おそらく父親だろうと。たしかに、本間氏は4歳まで加藤という苗字だった。
4歳から離れ離れになり、以来、会ったことにない父親だが、その父親もまた、陰から、秩父ホルモンを全国へという息子の目標を応援してくれているはずだ。

思い出のアルバム
 
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