株式会社otto 代表取締役 八須玲香氏 | |
生年月日 | 1985年5月14日 |
プロフィール | 仙台トップの進学校を卒業。大学には進学せず、東京へ。20歳の頃に飲食での起業を決意し、23歳の時、明大前に串カツ店を開業する。複数のブランドを立ち上げ、現在は東京だけではなく、大阪、三宮、姫路にも店舗を展開している。 |
主な業態 | 「泡包 シャンパンマニア」「Bar+kitchen 香鈴」「ホンデポチャ」「讃岐饂飩 元喜」他 |
企業HP | https://otto2008.com/ |
仙台駅から少し離れた丘陵にひらかれた街がある。仙台でも有名な泉パークタウン。美しい自然に包まれた杜の街だ。八須家がこちらに引っ越したのは、お父様の転勤がきっかけそう。
「母がこの街を気に入って、お家を買って、仙台で暮らすことになります。でもね、父は割とすぐに東京に戻っちゃうことになるんですが」。そういって笑うのは、今回、ご登場いただいた株式会社otto代表取締役の八須 玲香氏。様々なブランドを東京、大阪、姫路で展開されていて、2022年8月10日には、お台場に24店舗目となるオイスタバーをオープンされている。
「昨日、プレオープンだったんですよ」とのこと。たまたまだがインタビューの前日にお披露目が行われたようだ。
八須氏が生まれたのは1985年5月14日。本人は、もうそんなに若くないとおっしゃるだろうが、今だ37歳の若き経営者だ。しかし、経験値でいえば、もうベテラン域。
「子どもの頃に仙台に移り、高校を卒業するまで仙台が私のホームグラウンドでした。小学校の頃ですか? そうですね。そこそこ目立つ女の子だった気がしますね」。
話をうかがうと、学業にも秀で、スポーツも万能。目立たずにいるほうが無理というものだ。100メートル走が得意で、小学校からはじめたテニスでは県大会にも出場している。
勉強は要領良く出来るタイプらしく、仙台でもトップの女子高に進んでいる。
「勉強は好きじゃなかったです。だから、高校に入学した時点で学業からは早々と卒業しちゃいます笑」。
中学生時代も、とくに勉強したわけではないそう。
「3年になって周りの子に刺激されて、やるんだったら県でいちばんの学校だと思って」。
たった1年でトップ校に。頭がいいというのは簡単だが、たぶん、スイッチが入ると別人になるんだろう。ギアが一段あがると表現してもいいかもしれない。
「私にとっては、高校に進学することがゴールでした。だから、まぁ、勉強しなかったですね。学校も自由な校風だったので」。
「学校にも行ってなかった」といたずらっ子のように笑う。かわりにガソリンスタンドには通った。「車が好きで、高校に進学するなり、『バイトさせてください』ってスタンドに乗り込んで。そんな女の子、あんまりいないですよね笑」。
それだけ車が好きだった。大人になった今も、カーマニア。ただ、乗っている車、こちらは内緒らしい。
「私自身、そんなに前にでるタイプじゃなかったんですが、あの頃、八須玲香は、ちょっと有名な存在だったかもしれませんね」。
高校を卒業するとチヤホヤされる、うっとうしさから逃れるように東京へ向かった。
「最初はともだちのところに転がり込んで。ええ、これといったツテもなく、美容室で仕事をさせてもらっていました」。
美容室と飲食は、おなじサービ業でも距離がある。飲食に入るきっかけは何だったんだろう?
「当時、お付き合いしていた人から結婚のお話をいただいて。まだ20代になったばかりだったこともあって、主婦という仕事より、1人で生きていくほうを選択させてもらいました。じゃぁ、どうやって生きていくのかと考えた、その先に飲食があったんです」。
スイッチが入ったわけですね。
「そうです。その時、雑誌で、あるお店にひとめぼれしちゃうんです。ネットで社長の連絡先を調べて、お電話して。雑誌でみかけた翌々日くらいには、そのお店に立って、『いらっしゃいませ』って」。
大胆さにも驚かされる。
「もちろん、独立前提。社長にも『1年ですべて盗んで卒業させていただきます』って。今思うと、無鉄砲な一言ですよね。でも、そこも気に入ってくださって、アパートも貸していただけました」。
「ボロアパートでしたけどね」と、笑う。
しばらくして、八須氏は、2号店である恵比寿店の店長に抜擢される。経営のセンスにも恵まれていたんだろう。こちらを繁盛店に育てあげる。ただ、在籍は1年と少し。
「思い描いていたことがひとつ実現して満足しちゃったんでしょうね。独立のことを忘れて、いったん飲食から離れます」。
経営にもかかわっていたから、飲食の表裏をつぶさにみたことが原因かもしれない。
「でも、じつは23歳の時に、またスイッチが入ったというか。再度、人生の選択に迫られた時に、たまたますごくいい物件のお話をいただいて。今度も、そっちにいっちゃいました笑」。
最初のブランドは串カツ。
「居酒屋のつもりだったんですが、経験がなかったので、14年前の当時、串カツや立ち飲み居酒屋が気楽に楽しめるところが都内にも入り始めたこともあり、なんとかなるんじゃないかなと思って。でも、それもたまたまなんですが、ある人が腕のいい串カツの職人さんをご紹介してくれるんですね。その人のおかげもあって、初月から想像以上の結果を残すことができたんです」。
23歳の若き女性経営者。カフェじゃなく、串カツというのも渋い。
しかし、不安はなかったんだろうか?
「ぜんぜんないといえばウソになりますが、私は経営者が真面目に頑張れば少なくても潰れることはないと思っていました。だから、そこがセーフティネットになると思って、割と不安なくスタートすることができました」。
たしかに、その理に間違いはない。では、逆に、いきなり連日連夜、客であふれる繁盛店になったことについて、戸惑いはなかったんだろうか?
「アルバイトの子もがんばってくれたんで、オペレーションには問題がなかったんですが、雑誌の取材とかが来るじゃないですか。まだ若かったし、女の子ですしね」。
23歳の女の子が、お客さんでパンパンに膨れ上がった店の経営者。取材対象としてはもってこいだ。
「やっかみじゃないですが、いろんなことを言う人がいるじゃないですか。だから、じつは取材とかは、ぜんぶお断りしていたんです。私も接客をしていましたから、『オーナーはどこにいらっしぃいますか?』って何度も聞かれたんですが、そのたびに、『さぁ?』ってしらばっくれて笑」。
目立ちたくない?
「そうですね。今も、できるだけ表にはでたくないし、目立ちたいがためにこの仕事をしているわけじゃないですから」。
今回、取材を快諾いただけたのは、どうやらかなりレアなことのようだ。
「私自身がやりたいことは、年商がいくらいくらじゃなくって、やっぱり、お客様の笑顔をみることだし、楽し気に仕事をしている従業員をみることですね。そのために、店舗数も拡大してきました」。
ボロアパートは、とっくに昔の話。
「まぁ、そうですね。いまは、東京を中心に大阪と兵庫を行き来してます」。
兵庫と聞いて、そう、兵庫県の姫路にも出店されていることを思い出した。「数年前、信頼している方からお誘いをいただいて。姫路って『おでん』が有名なんですが、そのおでんで勝負させていただきました」。
マーケティング派ではなく、インスピレーション派?
「どちらかといえば、そうですね笑。雑誌をみて、ひとめぼれして修業先を決めちゃうくらいですから」。
ところで、姫路に住まいがある理由はわかったが、大阪は?と聞くと、こちらはM&Aの話があり、その話を進めた結果ということ。
東京と大阪と姫路と。移動だけでもいそがしい。そこが、八須氏の現在地。
最後に今後の展開をお聞きすると、色々やりたいことを教えてくださった。
「讃岐饂飩のブランドがあるんですが、こちらをフランチャイズで進めていきたいですし、ECや、催事にも関心を持っています。海外進出も検討しています」。
敏腕経営者には、様々な情報もあつまるにちがいない。「仙台にも出店したいなって思っています。その時は4店舗くらいを同時に出店したいですね」。
八須玲香が、仙台に凱旋。地元では、ちょっとしたニュースになるかもしれない。
幼少期/実家にて | 学生時代 | 独立前に勤務していたお店で送別会 |
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