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第908回 株式会社ダイナック 代表取締役社長 秋山武史氏
update 22/11/22
株式会社ダイナック
秋山武史氏
株式会社ダイナック 代表取締役社長 秋山武史氏
生年月日 1970年4月19日
プロフィール 同志社大学卒。サントリー入社。長年同社のグルメ開発部に在籍。その間、低迷していたウイスキー消費を回復させるべく、「角ハイボール」を開発。街中にプロモーションし、大ブームを仕掛ける。2021年9月、株式会社ダイナックの社長に就任。
主な業態 「Dynamic Kitchen & Bar響」「釣宿酒場 マヅメ」「焼鳥 ハレツバメ」「THE R.C.」「鮨ト酒 日々晴々」他
企業HP https://www.dynac.co.jp/

京都生まれの長距離ランナー。

風を受けて疾走する。時速で言えば何キロ出ているんだろうか?「父親も兵庫県下でわりと有名な陸上選手だったので、その才能を受け継いだのかもしれませんね」。
今回ご登場いただいたのは株式会社ダイナックの代表取締役秋山氏。
秋山氏が生まれたのは1970年。「京都で生まれ、大学を卒業するまで京都がずっと私のホームでした」。出身大学は同志社大学商学部。
「小さな頃からかなり自由にさせてもらっていましたが、躾という意味では、父は厳しかったですね。ただ、指図されるのがイヤな私の性格を知っていたんでしょう。基本、私の考えを尊重してくれていたようにも思います」。
小学校で8クラスあったというから、さすが京都のど真ん中。「中学になって、京都の南区から城陽市という奈良県よりの市に引っ越します」。
公立中学だが、陸上は強豪。そのなかでも秋山氏は群を抜いていたのではないか。「走るのが好きだったから入部するんですが、練習はきつかったですね。部員は50人ちかくいました」。
秋山氏は長距離3000メートルを選択する。
「中学2年くらいから成績も良くなって」と秋山氏。平然というが、全国で4位、ジュニアオリンピック2位というからすごい。
「練習では弱く、本番に強いタイプ」。これは自己評価。

同志社大学時代。海でも走る?

「洛南高校から同志社大学に進みます。いずれもスポーツ推薦で進学しました」。洛南時代には、全国高校駅伝1区で当時の区間賞を獲得している。
調べると記録が残っていた。39回大会、29分53秒、秋山武史、京都、洛南と記載されている。「とにかく負けず嫌いなんです。だから、先を進む選手を抜くまであきらめなかったんでしょうね笑」。
社会人の強豪チームから声がかかったが、陸上は大学までと決めていたという。大学時代、陸上は続けたが、その一方でサーフィンにもハマった。こちらは、今もつづけているというから、相当のめりこんだのだろう。
「海外にも行きましたしね。アルバイトは、サーフショップや飲食店でした。あの頃から、お酒を飲みながらワイワイガヤガヤするのが好きだったんでしょうね」。
就職先も、その延長線上で判断した。ワイガヤの店づくりが、就活コンセプト。

サントリー入社。角ハイブームを巻き起こす。

1993年、秋山氏はサントリーに入社する。当時はバブル経済が崩壊し、就職ランキングトップクラスの常連であるサントリーといっても採用枠を減らしていた。
狭き門に、相当数の学生がチャレンジしたはず。そのなかで勝ち抜いたのは、たしかに、本番に強い証。
「就職して初めて京都を離れます。希望通り東京南支店(渋谷)に配属され、大田区を担当しました。こちらで3年勤務しています。そのあと市場開発本部に異動し、5年半。こちらでは、全国チェーン店の開拓などをしています」。
秋山氏は、そののちグルメ開発部に異動。旨い一杯をつくりだす。
「ここでは業態開発やメニュー開発をメインに、経営支援をするのがミッションです。ブランディングやマーケティングも重要なテーマです」。
さて、その旨い一杯というのは、のんべぇでなくても「旨い!」と歓声をあげたあの一杯。。「角瓶」をソーダで割って飲む「角ハイボール」である。角ハイの戦略は、消費者だけではなく、業界のなかでもセンセーショナルだったのではないか。とにかく、筆者自身は「とりあえずビール」から「とりあえず角ハイ」となった。
まんまと戦略に乗せられた格好だが、旨いのだから、いくら乗せられてもいい。ちなみに、山崎のハイボールは角ハイより、まろやかで、これもまたいい。
筆者のなかで言えば、角ハイが、ウイスキーの消費曲線をV字回復する決め手になった。
どうも、この現象は筆者だけではなかったようだ。古いデータだが、角ハイがリリースされた2008年と、翌2009年、2期連続でサントリーのウイスキー出荷量は前年を上回っている。
ウイスキーの弱みを逆手にとり、「角ハイなら一杯目からでいい」を定着させ、ウイスキーの消費をうながしたのは、マーケッターとして大金星だ。
しかし、飲食店にとって厳しい時代が到来する。コロナ禍である。

コロナ禍でサラリーマンがいなくなる?

「新橋からサラリーマンがいなくなった」。コロナ禍の下、インタビューしたある経営者がため息を漏らした。リモートワークが喧伝され、サラリーマンが巣ごもりしてしまった時期のこと。
飲食店から1人2人と、歯がかけていくように、常連客が減った。
「ダイナックはサラリーマン御用達ですから、いちばんきつかったですね。宴会がまったくなくなったわけですから打撃はハンパない。お客さんがいないと、ただの広い箱ですからね」。
実際、コロナ禍でかなりの店をクローズしている。
このダイナックに、コロナ禍がスタートして、1年と少し経った2021年9月に社長として就任したのが、そう秋山氏である。
ウイスキー同様、V字回復できるのか。

ダイナックの救世主になるか。進められる大改革。

「私自身、ダイナックは好きな会社でしたからなんとかしなければという使命感もありましたし、もともと私がしたかった店づくりができるわけですから、厳しいのは承知のうえで社長の辞令をお受けしました」。
キーとなる戦略は、宴会頼りのビジネスからいかにして脱却するか。
「今までダイナックのターゲットはミドルやシニア世代でした。コロナ禍では若い世代を取り込んでいかないといけません」。
むろん、頭で描くのはたやすい。それをいかにして実現するか、問題はそこ。
「サントリーは、『やってみなはれ』ですから。そこは、心強い笑」。
秋山氏は、果敢に業態転換を試みる。
鶏料理業態「鳥どり」を「焼鳥 ハレツバメ」に。海鮮居酒屋「魚盛」を「釣宿酒場 マヅメ」に。カジュアルイタリアン業態「パパミラノ」を北海道イタリアン&カフェ「北国とミルク」に。そして、2022年7月には、新ブランド「鮨ト酒 日々晴々」を8月には大阪へ「純けい焼鳥ニドサンド」をオープンさせている。
Z世代やミレニアム世代といった若い世代を取り込む作戦だ。むろん、もう効果は表れている。
「業態転換というよりもむしろ改革ですね。従業員の意識改革を含め、改革をフルスピードで進めています」。
スピード感が大事だと秋山氏はいう。改革では長距離ランナーというより、スプリンターだ。
たしかにダイナックは、飲食店だけではなく、パーティ・ケータリングサービスの企画・運営・進行や、劇場や音楽ホールなどの文化施設内レストラン・ドリンクコーナーの受託運営も行っているから、時代に合わせた改革はフルスピードで行っていかなければならないのだろう。
さしずめ、新業態が新たな起爆剤になるか、どうか。今からが、楽しみだが、いちばんの起爆剤は、やはり秋山武史という存在かもしれない。

思い出のアルバム
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ハイボールブームを起こすべく奮闘していた当時の写真
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