年代別社長インデックス
掲載時期別社長インデックス
オススメ求人サイト
リンク
アプリラボ
第911回 株式会社レストランイノベーション 代表取締役 小澤圭一氏
update 22/12/13
株式会社レストランイノベーション
小澤圭一氏
株式会社レストランイノベーション 代表取締役 小澤圭一氏
生年月日 1982年8月9日
プロフィール 専門学校卒。カリフォルニアやラスベガスでみたエンターテインメントの世界に憧れ、飲食の世界へ。オペレーションファクトリーの就職を皮切りに、合計3社を経験し、28歳で起業。店名の「ZION」は、「理想郷」という意味。
主な業態 「ZION」
企業HP https://www.restaurantinnovation.jp/

高校卒業までの小澤氏。

小澤氏は1982年東京板橋区に生まれる、父親は伊豆大島出身。夏休みや冬休みになると、大島へ渡った。母親は板橋区出身。なんでも曽祖父は一代で木材店を築かれたそうだ。
「やんちゃで落ち着きがなくエネルギッシュ」というのは、小学校の頃の自己評価。中学はバスケット部。あの人気漫画の影響だそう。
「ただ、漫画は熱心に読んでいましたが、クラブのほうはユルユルとつづけていたって感じですね笑」。
当時の小澤氏は、まだ何者でもなかったということだろうか。
「たしかに、そうですね。進んだ高校も夏休みの前には中退してしまいます」。
朝からともだちとつるんで、そのまま学校をさぼるようになったらしい。
「親から就職するか、自衛隊に入るか、学生の本分として学校に通うかの選択を迫られて、翌年からもう一度、通信制の高校に進みます」。
「いろんな人がいましたね。年齢は気になりませんでした。通信ということもあって時間は山ほどあったのでスキー場のアルバイトや海の家でライフセーバーなどをしていました」。
自然とは小さい頃からの長い付き合い。体を動かすのが大好きだったらしい。

飲食へ。

「体を動かすのが好きで、トレーナーなどにも興味があって専門学校へ進学します。その頃、アルバイトをしていたクラブで飲食に惹かれます。クラブから独立する先輩たちをみて、独立にも興味がわいてきます」。
「カルフォルニアやラスベガスの旅行でエンターテイメント系に興味をもって、『監獄レストラン』などのエンターテインメント系の店舗でアルバイトをしたこともありました」。
何者でもなかった小澤氏の輪郭が少しずつ明瞭になる。
しかし、まだまだ明確な目標があったわけではないだろう。エンターテインメント系には関心があったが、そちらに全力でウエイトを乗せることはなかった。
「そういうこともあって、専門学校を卒業して就職したのは、オペレーションファクトリーです。飲食とエンターテインメントがいいぐらいに融合しているように思ったからです。その頃から起業に興味をもち、プランを描き始めていました」。
「オペレーションファクトリーに在籍したのは、2年くらいです。なかなか芽がでなかったのも事実で、その時、クラブ時代の先輩に声をかけてもらって、今はもうありませんが、ワイズフードシステムという会社に転職します。こちらでも2年在籍しました。その時出会ったのが石井社長。石井さんが会社を辞め、自身の会社を起業する際、創業メンバーとして、参加させていただきます」。
小澤氏が石井社長というのは、株式会社クロスピレーション、代表取締役の石井康浩氏のこと。石井氏は現在、銀座エリアを中心にスペイン料理・バルなどを6店舗、展開されている。 小澤氏の人生にとって石井氏との出会いは、一つのターニングポイントだった。逆に石井氏にとっても、小澤氏は貴重な仲間の1人にちがいない。
「クロスピレーションを立ち上げる時、私と、もう1人が参加し、石井さんと3人で起業します。石井さんの評価ですか? お客さんへの対応や人に対する姿勢が良かったから、お誘いいただいたんだと話してました」。
たしかに、インタビューをしていても、返答の一つひとつから小澤氏の誠実な人柄が伝わってくる。

独立、銀座に出店す。

「私が、独立したのは28歳の時です。なんとか20代で独立することができました」。
自己資金400万円。石井氏からも手厚いサポートを受けたという。初期投資を抑えたと言っているが、出店したのは東京のど真ん中の銀座、居抜きといってもそれなりに高い。
店名は「ZION銀座」。カジュアルダイニングだ。
「最初の1〜2ヵ月はむちゃくちゃ苦戦しました。ただ、そうですね、3ヵ月経った頃からようやくお客様も増え、少ないですが利益もでるようになりました」。
2店舗目は、銀座店創業から2年ほど経った頃に、八重洲にオープンしている。
現在、ZIONを5店舗展開。いずれの店舗も評価が高い。順風満帆のように思えるが、横領事件など辛いこともあった。「いっしょに立ち上げてくれたメンバーだったので、へこみましたね」と言っている。
ただ、その一方で、小澤氏は経営者として、ひとの人生に少しでも関わることができているのがうれしいという。
ホームページをひらくと、そんな小澤氏の思いが伝わってくる。
「いつも小さな挑戦を。かかわってくれる全ての人たちの歓喜と感動のために。」
いつも小さな挑戦を。
その一言が原寸大の小澤氏を表していて、ここちよい。

アフターコロナ。

「高校を辞めたことには、いまでも多かれ少なかれ、私のなかで劣等感になっています。10代の小澤に出会ったら、一言、言ってやりたいですね笑」。
「ただ、その劣等感も、私にとってはエネルギーになった気がします。もちろん、石井社長にも感謝です。今も私の目標ですし、起業にエネルギーを向けることができたのも、石井社長に刺激を受け、お手本にさせていただいたおかげです」。
コロナ禍で飲食を取り巻く環境もずいぶんかわった。その点を小澤氏はどうとらえているんだろう。
「店舗の拡大はこれからも行っていきたいですね。近々でいうとエリアはドミナントで日本橋や八重洲を中心に検討しています。ただ、これからの時代はリスクを分散することが大事です。たとえば、飲食以外の事業にも乗り出していく必要があるかもしれません。実際、当社ではすでに、ご高齢者への、お弁当の宅配サービスを進めています」。
すでに、ホームページには以下のように書かれている。
≪まず、主力のレストラン事業では、ZIONブランドとして複数店舗を運営しています。デリバリー事業では、キッチンの空きリソースを活用し、高齢化社会のニーズに細やかに対応したお弁当の配達をしています。小売販売業では、表情の見える透明マスクの販売を皮切りに、日々事業を展開する中で見つけた、「今を少し良くするちょっとしたアイデア」を形にして販売しています≫
「今までは、コロナ禍の下で、事業戦略的にも保守的にならざるを得ない部分もありました」。
だが、かがみこむ時は過ぎた。新業態も検討、FC展開などアクセルを踏む時が到来した。そのなかで、どういう未来図を描いていくか。
アフターコロナは、一段と成長した小澤氏の次の一手を披露するときになるかもしれない。
いつも小さな挑戦を。その一言を、心に抱きつつ。

思い出のアルバム
 

この企業・代表の方にコンタクトを取りたい方

この企業にご興味のある方、コンタクトを取りたい方、また代表にメッセージを送りたいといった方は、下記フォームよりご登録下さい。当社が連絡を取り、返信させていただきます。
例)テレビ番組用に取材したい、自社の商品をPRしたい、この企業で働いてみたい、中学時代の同級生だった など