株式会社総合近江牛商社 代表取締役 西野立寛氏 | |
生年月日 | 1991年5月29日 |
プロフィール | 立命館大学卒。株式会社船井総合研究所に就職し、コンサルタントとして外食企業を支援する。支援先の1社、北海道苫小牧の名店「金剛園」を経営する株式会社金剛園と出会い、リアルな世界に惹かれる。牛のすべてを知ろうと屠畜にも従事したあとの2019年、「近江焼肉ホルモンすだく」をオープン。2023年1月現在、外食・製造事業を軸に、観光事業や美容事業、ペットフード事業にも進出している。 |
主な業態 | 「近江焼肉ホルモンすだく」「近江牛畜産すだく」他 |
企業HP | https://omigyucorp.co.jp/ |
「総合近江牛商社」は「近江牛を世界へ」という理念を掲げ、幅広い事業も展開している。コアとなるのが、飲食事業。ブランド名は「近江焼肉ホルモンすだく」。
2019年の創業以来、コロナ禍に関わらず異例のスピードで出店をつづけ、2023年1月現在で早くも40店舗ちかい店舗を出店しているから驚きだ。
代表は鹿児島県出身の西野立寛氏。1991年、生まれの若き経営者。
昔から勉学に秀でていた西野氏だが、「ラ・サール学園はしっかり落ちました」と笑ってみせる。もっとも父親の転勤で、京都に移ったあとは、京都でナンバー1の「洛南高校」に編入しているのは、さすがの一言。
「子どもの頃は、運動も勉強もできるほうでしたし、頭は悪くないと思っていましたが、洛南には天才がたくさんいて」。
特別な存在じゃなくなった?
「そうですね。奴らといっしょにいると、たいていの人がそうなるんじゃないかな笑」。
好奇心旺盛な性格で、中学まではパイロットをめざしていた。
「目が悪くなって断念しなければいけなくなって、そのあとは、父親が京セラのエンジニアだったからではありませんが、エリートサラリーマンに憧れました。稲盛和夫さんの影響も受けていたように思います」。
中学では吹奏楽部。
「かわいい子がいたから」と、かわいいことを言う。
「第一志望は京都大学でしたが、ラ・サールの時と同様で、立命館大学に進みます。実は、就職は船井総研なんですが、こちらも第二志望。第一は外資のデロイトトーマツでした」。
第一希望も、第二希望も、こちらからすれば、いずれもエリートの道に変わりがない。
「デロイトが第一希望だったのは、外資を経験してみたかったからです。ただ、最終的には船井総研でよかったと思っています。とても、いい勉強をさせていただきました」。
船井総研には、何年いらっしゃったんですか?
「合計3年です。その時、担当していたのが外食で、それが今につながっています。外食を担当したのは、サービス業に関心があったから。実は学生時代、結婚式場でアルバイトをしていて」。
西野氏は学生生活を5年送っている。その間アルバイトは、基本結婚式場。感動に包まれる仕事だったらしい。ただし、卒業まで5年かかったのは「アルバイトにハマったから」ではない。3年時に1年間、世界を一周していたからだ。
韓国からのスタートだったらしい。世界は広い。この旅もまた西野氏の、今の心の骨格をつくっている。
「かなりのハードワークだった」と、船井総研時代を笑って、そう表現する。「もちろん、それが今の私の力になっているわけですから感謝ですが、今じゃ完全にアウトです笑」。
それだけ、濃い時間を過ごされたんですね?
「行動半径も広かったです。私は、大阪で勤務していたんですが、関西だけじゃなく、北海道から沖縄まで担当していました」。
北海道まで?
「そうです。でもそれがきっかけで、ある会社と出会います」。
どんな会社ですか?
「『金剛園』という焼肉店です。『金剛園』は1985年創業の、苫小牧本店の焼肉店。人口16万人の苫小牧で、年間のべ50万人が来店するんですからモンスターです。専務の須藤さんと仕事を通して知り合い、親睦を深めさせていただきました」。
むろん、コンサルタントとしてサポートするのが、西野氏の仕事。
「依頼はWEBマーケティングのサポートだったんですが、逆に私が勉強させていただきました。今、うちがあるのは、須藤専務のおかげ。実は今も、須藤専務には勉強させていただいています」。
マーケティングや、ファイナンスは西野氏の得意分野。むろん、コンサルタント業にも面白みは十分に感じでいたが、リアルな経営者の姿にはかなわなかったのかもしれない。
西野氏は、経営者として新たな道を進むことになる。
「銀行に事業計画書を出したら、通った」と、西野氏。ファイナンスは得意分野。コンサルタントが作成した事業計画書に対して、銀行は2000万円を融資する。
「船井総研を2018年12月末に退職します。牛を極めたくて、実はそれ以前から、アルバイトですが『滋賀食肉センター』で近江牛の屠畜に従事しました」と西野氏。
流通のしくみも含め、研究にも没頭。
コンサルタントは口先だけではない。なにをすべきか。その意味も含め、深く知り尽くしている。一方、どれだけの独立希望者が、このプロセスを踏むことができるだろうかと思ってしまった。
結局、誰でもない、西野という人間がやるしかなかったというのも、独立のきっかけかもしれない。
さて、実践派のコンサルタントがつくった飲食店は、どうなっていくんだろう?
門馬西野氏は「最初から仕入れをするのが目的ではなかった」と言っている。「屠畜に従事したことで、流通から、解体、廃棄も含めて、今まで知らなかった世界をみた」とのこと。その結果、組合員と認められ「直接、仕入れる権利を獲得できた」という。これは、ほかの焼肉店にはない、強烈なストロングポイントだ。
ちなみに今現在、社員にも屠畜を経験させているらしい。命の尊さを知ることもまた、経験すべきことの一つ。
さて、西野氏の戦いは、今からが本番。屠場で経験を積みつつ、2019年1月、創業店を滋賀県の守山に出店する。
「銀行からの融資のうち1000万円程度をかけて、守山に『近江焼肉ホルモンすだく』をオープンします。食いっぱぐれのないように、まずは、土地勘もある守山でスタートします」。
19坪、28席、損益分岐点は250万円。
「ファミリーで来店いただいて1万円でお釣りがくる、というイメージです」。
いかがでしたか?
「今までとは違ってリアルな世界です。オペレーションがぜんぜんだめで最初はクレームの嵐。それでも安価な価格帯でカバーできたんだと思います。オープンから、お客様がたくさんいらして。それがまたクレームを生むわけです笑」。
後に奥様になられる、当時の彼女と、お母さま、弟さん、まさにファミリー経営。オペレーションに関しては素人だったが、お客様は容赦がなく来店を重ねる。旨くて、安いと口コミもとまらない。
結果、損益分岐点を軽々オーバーする月商700万円。
「勢いにのって、4月に近くの栗東に2号店をオープンします。駅前のロードサイド。でも、守山と同じわけにはいきませんでした。初月が100万円。全くの赤字です」。
やばい。これはリアルな世界の話。
「もちろん、最初はどうするか、となりましたが、半年後には創業店と同等までアップしましたので、ホッとひといきです」。
改めて「すだく」と、西野氏の力を示すことになった。
ちなみに、職人ゼロでもできる。これが、西野氏がつくりだした焼肉店のコンセプト。「近江焼肉ホルモンすだく」のもう一つの正体だ。
だから直営だけではなく、フランチャイズでの出店もスムーズに進む。
「最初からオーナー企業をつくるつもりはありませんでした。私が目指したのは、パブリックな会社です。だから、フランチャイズの加盟店にも安心いただけたんではないでしょうか。ご紹介もいただけ、今では北海道にも出店しています」。
2025年には、プロマーケットに上場する予定。これも、当初からの計画。
最初はなかなかスタッフが続かなかったそうだが、今では、定着率も高い。
「クレドをつくったりして、私自身がそれに沿って動いているのが、功を奏しているんだと思います。当初は、やたら怒る経営者だった。反省しています」。
休みは月に9日、1日の勤務時間は16時〜22時までの6時間ぴったり。直営店、4割を占めるのは女性スタッフだ。超ホワイト。その経営手法だけでも一冊の本を書くことができるのではないだろうか。
ただし、仮にその話をふっても、西野氏は「それはない」と笑って否定するだろう。
「うちはまだ10年も経っていない。『金剛園』もそうですが、40年、50年、京都には100年以上続いている店がある。そこと比較したら、うちなんてまだまだなんです」。
比較する視点が違う。だから、浮かれない。マーケティングやファイナンスだけでは、こんな経営者はつくれない。
これが、「近江焼肉ホルモンすだく」と、その経営者の正体。
ちなみに、いずれ近江牛の生産もしたいし、世界に向けて輸出もしたい、とのこと。アジアへの出店も頭にある。ビジョンも、世界も、この数年間で広がった。リアルな世界は、動いたぶんだけ、広がっていく。
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