株式会社kizuna 代表取締役 吉田晴一氏 | |
生年月日 | 1982年3月5日 |
プロフィール | 福島県石川郡平田村に生まれる。長距離ランナーとして、推薦で石川高校に進んでいる。いくつかの大学からオファーがあったが断り、農業短大に進学。大手企業の工場に就職するが、アルバイトで知り合った先輩のあとを追うように、飲食の世界へ。銀座で修業と出会いを重ね、独立。現在に至る。 |
主な業態 | 「焼き鳥喰って蕎麦で〆る」「ひご家 銀座店」「焼鳥と鰻 ひょうたん」「izakaya 東京 Ginza」 |
企業HP | https://www.link-card.jp/kizuna/yoshida/ |
標高500メートル。山間を縫うように農地が広がっている。
「主にたばこ、米、牛ですね。うちも、たばこ畑が1ヘクタール、牛30頭、米10ヘクタールありました。たばこはJTの契約栽培です」。
農業だけでは暮らすのは、難しい。ただ、子どもたちにとって、平田村は宝の山。クワガタも簡単に5〜6匹獲れたという。ダムもある。田畑も、走り回るフィールドの一つ。
「小学校までは1.2キロ、中学校までは2キロ。高校までは、標高差200メートルを自転車で毎日、往復していました」。
今回、ご登場いただいたのは、株式会社kizuna、代表取締役、吉田 晴一氏。舞台は、福島県石川郡平田村。「高校は、スポーツ推薦で石川高校に進みます。長距離の選手だったんです」。
専修大や亜細亜大など様々な大学から誘われていたというから、かなり評価された選手だったようだ。「大学に行くって手もあったんですが、親から『大学か、車かどっちがいい?』と聞かれて、車を選択します(笑)。車を選択するってことは、平田村に残るってことです」。
ご両親としては、跡取りはやはり村においておきたかったのだろう。「車」で、まんまと策略にはまった吉田氏。「田舎ですが、50分くらいいけば、郡山の繁華街にでることができました。高校時代は、授業が終わると駆けだして、郡山のバーでアルバイトをしていました」。
車とバーと、農業。
「小さな頃から農家の仕事は経験済です。たばこはタールがつくから苦手だったな。ただ、高校時代は部活もあるし、バーでもアルバイトをしていましたから、そちらが主です」。
高校を卒業した吉田氏は、農業短大へ進学する。
「まさに、農家の育成機関です。重機から家畜人工授精師まで、様々な免許が取得できます。ただ、私は、農家にはならず、石川にある大手の工場に就職します。」。
バーは就職するまで3年間つづけている。「大人の世界ですよね。知らない世界を観ることができて、楽しかったですね。こちらである先輩と知り合います」。
ある先輩は、飲食への水先案内人だった。
「大手の工場に就職できたので、父親も母親も喜んでくれていたように思います。私にもこれといった不満はなかったのですが、どうしてもバーの時と比較してしまうじゃないですか。バーと比較するのは可笑しいかもしれませんが、工場の仕事はぜんぜん楽しくなかったです(笑)」。
バーで仕事の楽しみを経験済だっただけに、なおさらつまらなく映ったのだろう。週末農家も、未来を閉ざされた気がしたのかもしれない。
「ちょうどそんな頃ですね。バーの時に世話になった先輩が独立すると知って、オレもこんな田舎でくさっている場合じゃないと思うんです。先輩の下じゃ甘えてしまうということで、その先輩に紹介してもらって、飲食の世界に入ります。郡山の比内地鶏の割烹料理店です」。
客単価8000円というから、アッパーだ。「ぜんぶ、ゼロからですね。バーの時とは違いますが、仕事自体は面白かったです。合計4年半勤めます」。
「親父はもちろん大反対です。家督は長男が継ぐという父親でしたから。工場の時は喜んでくれたものの、郡山で、飲食でしょ。破門です(笑)」。
お互い一度決めたらぶれない性格らしい。だから、それ以来、口も聞いていないと笑う。どちらからも、歩み寄れないのは、親子の証でもある。
「いつかは、そうですね。父ともちゃんと話をしたいし、家の敷居もまたぎたい。でも、今はまだ母親に送る仕送りだけでいいかなと思っています」。
東京へはいつ頃、でてきたんですか?
「26歳です。東京って、今まで出てきたのは、1回あるかないか。でも、若かったから、『やるなら東京のど真ん中、銀座で勝負する』と決めていました。ある程度、お金もためていたんです。ただ、まだ独立は早いです。求人誌で、寮付きの求人を探して、ある会社に就職します」。
東京に来て、いちばん勉強になったと吉田氏。
「郡山の店とはちがって、鶏も丸ごと仕入れて、調理するんです。最初は、『丸鶏から調理するんだ』と思ってびっくりしました。3年、修業させていただくんですが、今の技術をマスターできたのは、こちらのお店のおかげです」。
吉田氏は東京で3つの会社を経験している。
このあとがリアルテイスト、そして、エヌイーエス。
リアルテイストでは、マネジメントをマスターし、エヌイーエスでは、固定概念を破ることを知ったという。ともに尊敬する経営者にも出会った。とくに、エヌイーエスの代表取締役、山口義成氏は、東京の兄貴分という位置づけ。
「東京にでてきた時から、35歳で独立すると決めていました。もし、できなければ飲食の世界からきっぱり離れるという思いでやってきました。だから、必死でしたし、もう、仕事以外は何もないという生活をしていました。具体的に準備をスタートしたのは、リアルテイストを卒業した頃。だから、エヌイーエスは、物件をみつかるまでのつなぎで、アルバイトだったんです」。
でも、アルバイトでは終われなかった?
「そうなんですね。楽しすぎて、山口さんにも惹かれ、それで社員になります。もし、エヌイーエスで山口社長と出会っていなかったら、それまでの固定観念に縛られたままの、つまらない経営者になっていた気がします。山口さんの前では、常識とか、前例なんか、ぜんぜん通用しないんです(笑)」。
人間そのものが新鮮だった。驚きが、心を揺らす。独立を打ち明けた時、すぐさま「この店を買い取ったら」と提案してくださったそうだ。
「最初は、サブリースで独立させていただきました。従業員は、私だけ。あとはアルバイトです。もともと月商400万円の店舗だったんですが、4ヵ月かけ800万円まで倍増します」。
2倍とはすごいですね?
「山口社長からも、叱られました(笑)」。
どうして倍増したんでしょうか?
「それまでの客単価を500円下げて、客数を倍増させました。その戦略がうまくハマります」。
そこから、吉田氏の快進撃がスタートする。
2022年11月現在、店舗数は7店舗。
銀座、ドミナントが基本戦略。
もう、むちゃくちゃ自信アリですよね?とたずねてみた。すると、「飲食は一生、自信がつかない」という。謙虚な一言のようにも聞こえるし、本音のようにも聞こえる。
むろん、自信がないというのは、まだまだ攻撃をつづけていくからの一言だろう。物件の話にお興味津々だ。
「10年後には、ホールディングス化したいですね」。
ゴールはまだまだ先だが、もと長距離ランナーは、力強く走り続ける。
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