株式会社フォレスト 代表取締役 石田浩二氏 | |
生年月日 | 1961年7月13日 |
プロフィール | 1961年、北品川に生まれる。小・中と野球をやり、推薦で東海大附属高校に進む。野球はリタイアしたが、大学でゴルフを始め、現在、OB会会長を務めている。大学卒業後、ホテルに就職したがその後大手住宅メーカーに転職。営業で頭角を表し、昇進を重ねる。役員を志していたが、窮地にある奥様の実家を救済すべく、39歳で退職。再生の指揮を執る。 |
主な業態 | 宿泊事業「ホテル城山」「湯の里 杉菜」他 フード事業「レストランフォーレ」他 |
企業HP | https://www.its-forest.jp/ |
登校すると、先生がバリカンをもっていた。
「高校の時の話です。もともと野球推薦で進学したんですが、目が悪くって。ナイター設備がなかったから、少しでも暗くなるとボールを追いかけることができなかった。だから、進学してすぐに辞めちゃった。髪が長くなるのをまって、パーマをかけて登校したら先生がバリカンをもってきてね」。
元通りですね?
「そうですね。推薦をもらうくらいだから、野球はヘタクソじゃなかった。ただ、中学までの話。中学までは俺より上手なのはいなかったんですが、高校に行ったら、俺がいちばん下手くそだった笑」。
東海大付属浦安高校。プロも輩出している。
それからどうされたんですか?
「付属なんで、勉強はしませんでしたが、無事、大学には進学します。ただ、担任の先生には、お世話になりましたね」。
なんでも進学するために、担任の先生が学級委員にも選出してくれたそう。
「生意気な生徒でしたが、その先生に対してだけは不思議と素直でした。だからか、学校にはちゃんと行ってましたね。しょっちゅう早退していたけど笑」。
今回ご登場いただいた株式会社フォレストの代表取締役である石田氏は、1961年、東京の北品川に生まれる。祖父の代から木材商。兄弟は兄が1人。
「兄は今、区会議員を務めています」。
1961年といえば、昭和ど真ん中。平成、令和と時代は移ったが、今の日本のパワーの源は、やはり昭和にある気がする。
「大学での専攻は生活経済です。ただ、勉強よりスポーツですね。兄もそうなんですが、2人とも東海大学でゴルフをやっています。体育会系のゴルフ部で、月から金は練習漬け。土日はキャディのバイトです」。
キャディをしていると、夕方からハーフくらいをラウンドさせてくれたという。
「レギュラーにはなれなかったけど、面白い4年間でしたね。今、OB会の会長をしています」。
当時のベストスコアを聞いてみた。
「72かな」と笑う。
ちょうどバブル経済に向かっている時代ですね?
「そうですね。ただ、就職はそんなに簡単な時代じゃなかったんじゃないかな。私の場合、熱海にあるホテルに就職します」。
ホテルマンは何年、されるんですか?
「3年くらいですね。当時はもうバブルだったからね。住宅メーカーに進んだ同級生に話を聞くと、賞与が200万っていうんですよ。俺は、20万円笑。これはホテルマンをやっている場合じゃないと思って。それで、友人の紹介もあって住友林業に転職して営業を始めます」。
華麗な転職ですね?
「バブルの頃だったからね。住友林業も人材が不足していたんでしょうね。私は、住宅展示場で営業をしていました」。
当時は住友林業で役員になろうと思っていたそう。
「本気で、役員になりたいと思っていた。成績も悪くなかったし。26歳の時の年収が1260万円。ゴルフは、社内接待で役立ったかな」。
「ただ、やっぱり、めちゃくちゃ忙しかったですね。火・水が休みで、お客さんが来るのは、だいたい週末の土曜、日曜でしょ。だから、火水は休んでもいいわけなんだけど、追客をするために私なんかは火曜日も出社して仕事をしていました」。
何しろ目指すは住友林業の役員。
最年少で昇進も果たす。
「住友林業を辞めるつもりは、まったくなかった。奥さんに出会うまではね」。
奥様とはいつ知り合われたんですか?
「彼女とは熱海のホテルの同期って関係です。34歳くらいの時かな、同窓会があって」。
最初は、飲みに行く程度の間柄。ただ、だんだんと距離がちかくなる。
「彼女の父親は旅館を経営していましてね。それが、今のうちの創業になります」。
住友林業の役員の道をすてる、大きな決断ですね?
「そうですね。しかも、6000万円持参しています笑」。
持参金6000万円?
「当時の年商は4億円。ただ、借金が30億円。もうコーナーに追い詰められたボクサーです。にっちもさっちもいかない」。
だからといって、当然のことだが、何もしないわけにはいかなかった。
「だから、持参金で業者への支払いを済ませ、固定資産税を支払います。銀行さんとも交渉を重ねて。救いの神は銀行の支店長です。熱海のホテルの知り合いからの紹介ということで話を聞いていただけて。3億円をお借りできたんです」。
それで挽回とは、さすがにいかないですよね?
「もちろん、そう簡単じゃないんですが、幸い、営業の状態は悪くなく、お客様はいらしていましたからね。それに、ラッキーなことに『杉菜』という杉並区の保養所があって、その保養所の運営受託の公募が行われ、それをうちがいただけたんです」。
それで、状況がいっぺんするわけですか?
「いえば、そうなりますね。杉並区から始まって、ほかの区も同様に、受託するようになって。もちろん、入札ですが、実績があるぶん、獲得することができて。そのおかげで、事業の幅がグッと広がります」。
いまホームページを観ると、ホテルだけで19です。宿泊事業、フード事業、受託事業、旅行事業と、多彩な事業をされています。
「後継者不足の会社をM&Aをさせてもらって、私どもができることを広げてきたというイメージですね。もちろん、簡単なことではなかったですが昔の状況を知るのは私を含め数名だけで、今ではフォレストって会社の規模や事業、将来性に惹かれ、入社してくれる人が多くなりました」。
起死回生のきっかけとなったお話や、M&Aのお話とは別に、会社を継がれ、大事にされてきたことはなんですか?
「人しかないんじゃないでしょうか。たとえばですが、宿泊事業って、ロケーションとか、お料理とか、温泉とか、切り口はだいたいそういうところじゃないですか。でも、うちは『あの人に会いに行こう』と、宿泊施設ではたらく人を切り口にしているんです」。
たしかに、「今度は、あの人に会いに行こう」と思えるようなサービスを受けることができたら最高ですね。
「だから、人なんです」。
今回、インタビューをさせていただいて、改めて、石田氏の、この一言をかみしめたいと思った。ロケーションでも、料理でもなく、温泉でもなく、人。人を真ん中におくことで、事業は、生き返る。
切り札は、いつの時代も、どんな事業も、きっと人だ。
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