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第950回 株式会社せい家 代表取締役 山内勝彦氏
update 23/09/05
株式会社せい家
山内勝彦氏
株式会社せい家 代表取締役 山内勝彦氏
生年月日 1957年2月2日
プロフィール 東京都生まれ。早稲田実業に進学し、のちにプロで有名になる選手たちをキリキリ舞させる。卒業後は一転、パイロットをめざすが、2回に渡り失敗。26歳〜30歳にかけコピーやFAXで有名なオフィス機器のメーカーに勤務し、トップセールスマンとして君臨。雅叙園産業で取締役に就任するも、横浜家系ラーメンに出会い、ラーメンの道を歩み始め42歳で独立を果たす。
主な業態 「せい家」「なんつッ亭」
企業HP https://seiya4.com/

無敵のアンダースロー。

シュートはだれにも打てなかったらしい。
「西武にいた石毛宏典選手ってご存知でしょ?」「もちろん」と返答すると、石毛選手と山内氏は同学年で、高校時代、石毛選手率いるチーム相手に「あわや完全試合をやるところ」だったそう。9回終了時、ファーボールが一つだけ。
石毛選手は銚子市立銚子高、1番でショート。山内氏は、早稲田実業のエースナンバーだった。「巨人に篠塚って選手がいたんですが、彼にも打たれたことがなかったですね」。
打者をきりきり舞いさせるアンダースローを、スカウトたちがスルーするわけがない。「プロはもちろん、大学からもスカウトさんが来ました。プロのスカウトに提示されたのは、当時のお金で1000万円だったかな」。
周りは剛腕アンダースローの活躍に期待したが、本人は冷めてしまっていたようだ。江川選手や掛布選手もブラウン管のなかではなく、リアルな対戦相手。ただ、彼らを対戦相手に想定しても、ワクワクしなくなっていたのかもしれない。
「普通なら早稲田大学に進学するんですが、私は野球選手じゃなく、憧れのパイロットになるため宮崎にある航空大学を受験します」。
航空大学ですか?
「そうです。中学の頃にアメリカで1ヵ月滞在したことがあって、パイロットはその頃から憧れの職業だったんです。でも、2回受験して、2回とも不合格(笑)」。
プロ入りを断っての、結果でもある。「進学するのもイヤになって、20〜25歳までは肉体系のアルバイトを転々とする日々です」。
アンダースローから地を這う快速球を投げ、無敵だった山内氏の姿はそこにはなかったに違いない。

就職。

「25歳で奥さんと出会って、就職しないといけないと思って26歳でリコーに入社します」。
あのコピー機のリコーさんですか?
「そうです。営業が向いていたんでしょうね。割といい成績を残すことができて」。
話を聞くと「割と」は、控えめな表現だった。入社すぐに頭角を現し、1000名以上のセールスマンのなかでトップの成績を残している。
「リコーには30歳までだから、4年、勤めたことになりますね」。
30歳で結婚もされていますね?
「そうですね。リコーにいたほうが、文字通り利口な選択だった気もしますが、船井総研の船井さんの著書を読んで、『社長になろう』と思っていましたから、安全な道だけを進むわけにはいきません」。
ただ、志は高かった、社長になるのは、まだずいぶん先の話。
「リコーを退職し、雅叙園産業に転職します。36歳の時に家系ラーメンに出会って、惚れ込んでしまいます」。
すっかり惚れ込んだ山内氏は、新事業としてラーメン店をだすプランをぶち上げたが、むろん、OKがでるはずはない。相手は雅叙園である。

家系ラーメンと独立。

「とんでもなかったですね」。
山内氏が「とんでもない」と言うのは、ラーメン店の売上の話。
「私は36歳の時に、横浜家系ラーメン発祥のお店に出会うんですが、当時、20坪、11時〜20時の9時間営業で、日商いくらだったと思います? 60万円です(笑)」。
30日として、月商1800万円。年間だと…、頭のなかで電卓を叩いて、確かにとんでもない、と呟く。
「私が修業させていただいたのは、吉本家です。ただ、修業というより…」。
じつは、社長に就任して、東京と横浜に新店をオープンする仕事をしている。「オーナーのもとを離れたのは、私が42歳の時です」。
ついに社長ですね?
「そうですね。『せい家』を経堂農大通りから1本入った路地裏でオープンします」。
いかがでしたか?
「日商60万円の店をみてきたわけでしょ。もちろん、最初からそれはないと思っているんですが。でも、」
でも?
「まさか、7万円とは(笑)」。
せい家の「せい」は「成功」の「せい」、「誠心誠意」の「せい」、「勢い」の「せい」を表している。誠心誠意、取り組んだが、後の二文字は、かたちにならない。
ちなみに、雅叙園在籍時の年収は1600万円。その給料と地位を捨て、進んだラーメン店主という道。そのゴールは、思い描いたものではなかった。暗澹とした気持ちだったのではないだろうか。

霧、晴れる。

「縁があって、モスバーガーを上場に導いた小林先生(当時マツシマの顧問)に相談させていただきました。小林さんは『大丈夫、日商はすぐに倍になるから』と秘策を授けてくださいました」。
どんな秘策ですか?
「看板です」。
看板?
「そうです。路地に入るところにうまい具合にスペースがあったので、そこに『看板をだしなさい』って」。
どうでした?
「看板をだした日から売上がアップして、気づけば日商が15万円になっていました。ええ、すぐ、という表現が正解ですね」。
店主の人柄もいい。むろん、商品はピカイチ、オペレーションも悪くない。だとしたら、あとは「認知」。小林氏は、「せい家」の問題点を瞬時に見抜かれたのだろう。
「やっぱりすごい人ですね。おかげさまで軌道に乗り、水道橋にもオープンし、TVにも取り上げていただけるようになって」。
霧がいっきに消え、人生が晴れ渡る。

3人の占い師。

「私の人生と占い師は切っても切り離せないかもしれませんね」。
山内氏が、突然、スピリチュアルな話を始める。
「22歳の時、新潟へ行ったんです。ふらふらしている時ですね。ともだちの親が占い師でみていただくと、私に映るのはお金オンリーだということでした。お金に貪欲というのではなく、『将来、お金持ちになる』という暗示だったんだろうと(笑)」。
2人目の占い師は、独立時。
「2人目の占い師に映った私もマネーオンリー(笑)。当時、どこに出店するか迷っていてみてもらったんですが、『経堂へ行け。不動産屋があって、その店にはおばあちゃんがいるはずだ、と』、で、そのおばあちゃんに聞けば、『大通りから1本外れたところにあるいい物件を紹介してくれる』と教えられたんです」。
どうでした?
「びっくりするくらい、そのまんまでした(笑)。2月1日にオープンすると予言されていたんですが、それも、なんだかんだと実現します」。
もう一人は昨年(2021年)の話。
「かなり有名な占い師で、パッとみただけで私の思いを言い当てられてしまって」。
「あたるも八卦」というが、すべてかなりの確度であたっている。よく当たる占い師がいるというより、よく当てられる人がいるのかもしれない。
もっとも「せい家」を売却するというのは、占いではなく、山内氏が決めたこと。
「せい家は、順調に業績を上げていきます。4年ほど前になりますが、ある会社が買収の提案をもってくるんです。話は進んでいたんですが、プレリリースを勝手にされちゃって。それで白紙にしました。だって、あれは反則というかマナー違反です」。
M&Aは白紙になったが、これがきっかけとなって事業売却を本格的に進めることになる。売却がうまくいけば、「金持ちになる」という占いは、当たる。
さて、どうなることだろう。当たるも八卦、当たらぬも八卦。

旨いラーメン。

以前、取材いただいた時はトップアンドフレーバーでしたね?」。
はい、もう13年前の話です。
「あの頃は労務の問題もあって、トップアンドフレーバーとせい家という2つの会社に分けていたんです。ちょっとややこしいんですが、ラーメンの『せい家」を運営していたのがトップアンドフレーバー。だから、売却させていただいたのは、そのトップアンドフレーバーです」。
売却が完了すると、コロナ禍に入る。
「いっときはラーメンも経営が厳しかったので、知人から『神のお告げがあったのか』とうらやましがられたりもしました。もちろん、お告げがあったわけではありません」。
ただ、結果は、たしかに、お告げがあったかのように映る。「そうですね。売却の際にも『2年間飲食業にかかわらない』という条項が設けられていましたから。タイミングとしてはベストですね」。
コロナ禍の2年を充電期間に充てられたわけですからね?
「そういうことです」。
「なんつッ亭」を買収されたのは、条項の2年間が終了し、コロナ禍も落ち着いた時ですね?
「はい。2022年です。もう一度、『ラーメン事業を』と思っていました。ただ、イチからではなく、複数店舗からスタートしようと。それで、なんつッ亭さんのお話に乗らせていただいたんです」。
「なんつッ亭」は、創業者の古谷一郎氏が開発した「黒マー油ラーメン」で人気になる。古谷氏のキャラクターもそうだが、キャッチフレーズ「うまいぜベイビー」も人気に一役買っている。ちなみに、古谷氏はもと暴走族だという。自著『うまいぜベイビー伝説』に詳しく書かれていることだろう。
さて、山内氏に、そんな話をすると「なんつッ亭」はまったく別物になるという。特に町田に新たにオープンする店舗は、山内氏曰く「すごい店になる」とのこと。
どのような展開になるのか? 占い師に、どんな結果が映っているのかは知ることもできないが、山内氏の人生が、ふたたび色づくのは間違いないだろう。
グッと体を沈み込ませ、地スレスレのリリースポイントから放たれる、快速球に似た、もう一つの快速球。旨いラーメンが消費者の心につき刺さる。

思い出のアルバム
 
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