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第957回 株式会社いろり千葉 代表取締役 篠 浩平氏
update 23/10/24
株式会社いろり千葉
篠 浩平氏
株式会社いろり千葉 代表取締役 篠 浩平氏
生年月日 1985年8月7日
プロフィール 就活時、クリエイトレストランツで始めた長期インターンで、卒業をのがし、2年目に就職。インターン時は沖縄料理店。就職してからはフードコート、カフェ&ベーカリーなどを経験。居酒屋ブランドで店長を経験したのち、ダイヤモンドダイニングの傘下にあるゴールデンマジックに転職。さまざまな経験を経て、33歳で独立。同志3人で「炉〜ひばち〜」を創業。翌年「いろり千葉」に法人化する。
主な業態 「炉〜ひばち〜」「燈〜あかり〜」「鱗〜うろこ〜」他
企業HP https://tabelog.com/chiba/A1203/A120301/12043679/

大学時代までの篠氏の話。

チームも、本人も戸惑ったにちがいない。「母方の祖父が日立グループの社長をしていたこともあって、柏レイソルのユースに入団します。つまり、コネです笑」。
「ただ、入団してからが、たいへんです。周りはとんでもなくうまい連中です。そのなかに素人がポツンと放り込まれたわけですから」と笑う。ポジションはゴールキーパー。ゴールを脅かす相手選手はまずいなかった。
「小学4年からはじめ、小学5年で野球に転向します。さすがに、ね。ただ、野球はプロを目指し、高校までつづけました。体力をつけようと駅伝にもチャレンジしています」。
これは、今回、ご登場いただいた株式会社いろり千葉の代表取締役、篠 浩平氏の少年時代の話。「父が飲食店を経営していましたから、子ども時代から、飲食には慣れ親しんでいます」。
父親が独立したのは篠氏が中学生の頃。ともだちが来ると黙って料理をふる舞ってくれた。「父は、矢沢が大好きな人で、外見は怖そうなんですが、私にはむちゃくちゃ甘かったですね」。
「店を手伝いはじめたのは、高校くらいからです。その頃から、頭の隅っこに、将来、飲食っていうのがあったような気がします」。
「大学は二松学舎に進みます。私が住む、柏にキャンパスがあったので。もっともアルバイトをはじめてからは、キャンパスは距離以上に遠くなります笑」。
「アルバイトですか? 最初のアルバイトはスポーツクラブのインストラクターです。インストラクターって年配の人とも接するじゃないですか。その仕事のおかげで接客が好きになります。飲食はそのあとはじめた『土間土間』さんが最初で、2年くらいキッチンではたらきます」。
どこにでも、いる大学生。ただし、飲食へ、心は傾いていく。

インターン生、卒業を逃す。

大学時代は、アルバイトで明け暮れた。
「就活する時って改めて『何がしたいのか』ってなるじゃないですか。私の場合は、やっぱり飲食だなって。案外、早く進路が決まります。就職することになるクリエイトレストランツをはじめ、数社から内定をいただきました。飲食というのは決めていましたが、『これをやりたい』というのがなかったので、様々なブランドがあるクリエイトレストランツさんがいいなと思ったんです」。
「実は、クリエイトレストランツでは、長期インターンの時に八重洲に新店がオープンすることになって、手を挙げました」。
沖縄料理店とスペイン料理店が同時オープン。篠氏は沖縄料理店に配属される。その店には「人生で、いちばん叱ってもらった」という料理長と店長がいた。
「2人には、一生頭が上がらない」という。
「とにかく、憧れの存在でした。だから、叱られても落ち込むんじゃなく、ありがとうございますって感じです。チームマネジメントがすごくって、仕事をしている姿がやたら格好いいんです」。
人にも、仕事にも惹かれ、すっかりのめり込んだ。インターン生であることも頭から抜け落ちる。「そのおかげで、留年です笑」。
内定は出ていたが、いったん取り消し。「人事に1年待ってもらった」と笑う。「けっきょく、2年間くらいですね。普通、そんなに長いインターンなんてないですよね笑」。
2年目には時給も上がり、新入社員よりサラリーは高かった。本格的な料理も、その店で経験する。入社は1年遅れたが、準備万端。颯爽と、入社式に参加する。

飲食人のかたち。転職と、その思い。

「クリエイトレストランツに在籍したのは、合計、4年半です。本当は新卒1年目で回転寿司業態に配属予定だったが一度白紙になった為、表参道のフードコートからスタートして、2店目がカフェ併設のベーカリーです。単純作業も少なくありませんでしたが、たのしかったですね。ただ、インターンの時の影響かもしれませんが、居酒屋がしっくり来ていたので、当時の店長や料理長に相談して、居酒屋のブランドに異動させてもらいます。こちらが2年くらいです」。
店長が新店に異動することになり、一時的ではあるが、店長も経験している。
「私の尺度で言えば、店長っていうのは、いちばんお客さんを持っている人なんですね。だから、レシートの裏にお客様の情報を書き込んで、それを管理して、私のお客様づくりをはじめます」
同時に、日本酒にものめり込む。
挑戦と、経験が篠氏を飲食人にしていく。
「今時はヘンに聞こえるかもしれませんが、当時の思いは『もっと仕事がしたい』でした。クリエイトレストランツはむちゃくちゃいい会社なんです。ただ、私には『もっと、もっと』という気持ちがあって。元同期に、誘われゴールデンマジックに転職することになります」。 当時のゴールデンマジックは100店舗というゴールを掲げ、階段を駆け上がっていた真っ最中。まさに、もっと、もっと仕事ができる、そんなステージだった。
「30店舗くらいの時ですが、熱気は、ムンムンしていましたね。私が最初に配属されたのは、新宿三丁目の熱中屋です。こちらは、うまく行っていない店だったんでしょうね。それとも、期待されていたのか」。
「好きにやっていい」と言われたそうだ。席数60席、月商480万円。好きにするからには、480万円オーバーは、至上命題。
「配属の翌日に、壁紙を剥ぎ取って、黒く塗りはじめます。スタッフにすれば、なんだ? どうした?って感じですね。でも、そのインパクトが欲しかったんです。黒くすることで、店のイメージもかわります。私自身がセールしたい日本酒を用意して、POPもつくりました。私がやろうとすることが伝わると、スタッフの表情もかわります」。
たった1ヵ月で、480万円だった月商は680万円に駆け登る。
「全社で1位を取りました」。
「すごいのが来た」という噂が駆け巡り、篠氏の耳にも届く。

決意と、独立。

30歳までは独立する計画だったという。ゴールデンマジックに転職したのも、独立を視野に入れてのことだった。「熱中屋は居抜き中心でしたから勉強になるなと思ったんです。仕事量が多い分、給料が高かったですしね」。
独立を志す一方で、ゴールデンマジックが目標としていた100店舗を達成したいという思いもつよかった。だから、独立制度を使おうとも思っていた。
100分の1だが、存在価値は、けっして小さくない「1」である。
「ただ、なかなか独立制度が軌道に乗らず、2017年の年明け。元同僚らと、独立するかという話になって」。
2018年までの1年間を使って、準備を進めようと決意する。
「同僚と元同僚と私の3人でスタートします。私が社長になったのは、私の母親が出資者だったからで、私自身もそうですし、彼ら2人も、特別、経営をしたいと思っているわけではないので、うまくいっています笑」。
三者三様の飲食人、3人でスタートする。
店は彼らの舞台になる。客が沸騰する。別の元同僚たちも、次々、入店を希望する。
「店舗数がまだ少ないということもありますが、人に困ったことはないです。ただ、うちはスタートしたばかりですから、クリエイトレストランツさんのような体制を整えられません。休みも多くはありませんし、労働時間も短いとは言えない。だから、今、参加してくれているのは、私がゴールデンマジックに転職したのと、同じ理由で参加を希望する人たちです」。
サラリーマンではなく、飲食人。彼らの志に対し、高い「報酬」と、大きな「権限」を付与することが、篠氏の回答。ミーティングも月に1回程度だというから驚かされる。
「最近になって、月1回、全店休業して、みんなでバーベキューをしたりするようになっています。参加はもちろん自由ですが笑」。

我ら、飲食人。

今までで、いちばん厳しかったのはいつ?と質問すると、コロナと回答。「タイミングがね。新橋に3店舗目をオープンするタイミングだったもんですから」。
「売り上げもそうですが、街にいらない存在だと言われているような気がして、それが辛かったですね。もちろん、それでは終わる気はしません、行政の指導を守りながら20時まで営業をつづけ、市役所にお弁当を配った」。
タイミングは悪かったが、迷走はしない。反転攻勢にもでる。
「コロナ禍の下で、3店舗出店しています。コロナ禍がいずれ終息するとすれば、攻撃するうえで絶好のタイミングでした」。
大胆さは、祖父譲りか。
インタビューさせていただいた2023年8月は、コロナが5類になり、3ヵ月経過している。街には、コロナ以前の活気が戻っている。新橋も飲んべぇの聖地に戻りつつあるにちがいない。
大きな山を乗り越えた今の気持ちを素直にうかがった。
「そうですね。いちばん、困った数年間ですが、逆に色々と勉強できたようにも思います。ある意味、3店舗をオープンできたのも、このタイミングをうまく利用できたからです」。
店を自由に動かすことができて篠氏は満足している。その一方で、「従業員のために居場所を作ってあげないと」と思いがつよいともいう。
「まだ明確には言っていないんですが、いずれ、うちらしい独立制度を発表しようと思っています。どういう形にするのがいいのか、今、検討中です」。
お客様と接する楽しみ。言葉のキャッチボール。飲食の世界にめり込むことになった2人の師匠との出会い。レシートの裏に書き込んだお客様情報。独立すべきか、どうか迷った、決断の日々。そして、多くの仲間たち。絆はコロナを乗り越え、今まで以上につよくなる。
「私たちは、飲食人」
そう語った、篠氏の表情は晴れがましく、そして、ぶれがない。それは、たいへんだった、コロナを乗り越えたからだけではないようだ。

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小学校時代 ゴールデンマジック社時代(新店オープン時) 社員旅行 in北海道
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初めての全店舗スタッフBBQ

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