株式会社HIC 代表 西田祐也氏 | |
生年月日 | 1986年2月19日 |
プロフィール | 高校卒業後、大阪の有名な飲食店に就職。アルバイトからスタートし、直営店、フランチャイズ店すべて統括するスーパーバイザーに。不採算なフランチャイズ店を譲渡され、独立。翌月からV字回復。経営者として、実力を証明してみせた、そのあと、アソビバーを大阪心斎橋にオープン。新たなカテゴリーの「アソビ」と「であい」のBARをリリースする。 |
主な業態 | 「ASOBIBAR」「YATAKOI」 |
企業HP | https://hic-inc.co.jp/ |
「で、それ、オモロイん?」
西田社長は、そう問いかけてくる。
生まれは、1986年2月19日。「子どもの頃は、からだがむちゃくちゃちいさかったです。そりゃ、主食がふりかけご飯ですから(笑)」。
母と8歳上の兄の3人で生活。
「兄とは、父親がちがいます。ゲンコツを食らったこともありますが、大好きな兄でした。学校ではムードメーカーというか。何度も転校はしているんですが、母からは調子乗りって言われていました。大阪でいうとイチビリって奴ですね(笑)」。
実は、ホームページに「西田少年記」というコンテンツがある。そのなかで、当時のことが紹介されている。「ラムネ貯金や、鬼ごっこにならない鬼ごっこ」。時間があれば、そちらもご覧いただきたい。
経済的には恵まれていなかったが、母にはむろん感謝している。
「母が亡くなったのは、私が中学2年生のときです。兄はもう独立していましたし、うちには私1人です。最初は、養育費というか、母の知人がいくらかだしてくださっていたんですが、長くはつづかず、家賃の督促状が届き、電気も止まりそうになったりもしました」。
「母に高校には行ってくれと言われていたので、兄に塾に通わせてもらってなんとか高校にも進学しました。もちろん、兄にすべて頼るわけにはいきません」。
高校生になるとバイトを3つ掛け持ち。
「日払いのバイトに、居酒屋に、ラーメン屋です。生活のためですからね。苦になるわけがないです。この頃になると、身長が20センチ伸びて。案外、モテたのも、この時期ですね(笑)」。
「当時いちばん辛いと思ったのは、ともだちの家で、ご飯をいただいたときです。家族だんらんも、知らないわけですからね。でも、楽しくやんないといけないでしょ。だから」。
いったん、美容師を目指すが、兄に反対され、断念している。
「卒業してからですか? いっときですが、タレントプロダクションの日本放映プロのオーデションを受け、合格したんで、半年ほど、そちらで活動していました。バイト先だった飲食店のオーナーから店長にならないか、というオファーをいただき、社員としてスタートしたのが、19歳のとき」。
大阪にある「ゑびす」というお店らしい。
「むちゃむちゃ仕事していましたね。今なら、ヤバイです(笑)」。
話を聞くとたしかに、ヤバい。月の労働時間は400時間だったそう。
「でも、今でも感謝しているんです。大学生は、お金を払って教えてもらっているわけでしょ。でも、私は逆で、お金を稼がせてもらいながら学べていたんですから」。
睡眠時間は、1日数時間。
「辞めようとは思わなかったですが、25歳で独立しようとは思っていました。でも、25歳の時に、タイミングよくというか、スーパーバイザーに昇進するんですね」。
西田社長がいうスーパーバイザーは、スケールがでかい。20数店舗を統括していたという。
「数店舗を管理していたエリアマネージャーの時とはまったく違う勉強ができました。スーパーバイザーになって初めて着手したのが、生産者との交渉です。物流も、新たなにデザインします」。
「生産者と交渉し、半年間のロットで買い付けたり、空輸か、海上輸送かで価格と時間がちがってきたり。今までしたことがない経験をさせていただきました。そりゃ、むちゃくちゃ面白かったですね。メニューもそうだし、マニュアルも作る。そして、全店に導入するとお客さんが、すぐに反応してくださって。大ヒットです」。
<それはやみつきになりますね?>
「そうです。エリアマネージャーの時も頑張ったんですが、いくらやっても、数百万でしょ。今度は億単位の結果が出てくるわけですからね」。
その後、フランチャイズの指導も西田社長の仕事になる。突っ走った20代も、そろそろ後半に入る。
「25歳で独立しようと思っていましたが、今お話ししたように面白い仕事ができるようになって。でも、27歳のときですね。結果と比較して、給料が安いことに気づいて。これはもう独立するしかない、と(笑)」。
西田社長が27歳というと2013年ごろですね。
「そうです。最初は、ありがたいことにフランチャイズのお店を譲っていただき、ノーリスクでスタートすることができました。もちろん、業績がふるわずオーナーが辞めたいとおっしゃっていたお店だったんですが」。
むろん、店のことは知り尽くしている。翌月からいきなり前月比180%。「給料も過去の5倍〜6倍は取れるようになりました。こちらをのちに直営に戻して、2016年、心斎橋に『アソビバー』をオープンします」。
<今や、マスコミからも注目されていますよね>
「ありがたいことですね。でも、創業当時は、集客にも苦労しました」。
「もともと飲食店の給料って私もそうでしたが、限界があるじゃないですか。従業員の給料を上げるには、付加価値を高めていくしかありません。じゃぁ、具体的にどうすんだ、ってなった時に、思いついたのが、『であい』というもう一つの価値をコンセプトにしたエンターテインメント性のある飲食店です」。
「もちろん、アソビバーは、ダーツや卓球などのゲームも楽しめます。フードも、いっさい手を抜いていません。ゲームを楽しんで、旨い食事を楽しんで、『であい』を作る。カラーでつながるという、もう一つのあそびも付加して、『であい』を楽しめるようにしています。カラーでつながる、これもコンセプトです」。
現在は、東京にも広がっている。「大阪、兵庫、名古屋、東京ですね。新宿の様子をみてからですが。東京を舞台にして出店していく予定です」。
遊びも、であいも、世界共通。ASOBIが、つなぐ、未来がある。
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