株式会社すぎうら 代表取締役 杉浦茂樹氏 | |
生年月日 | 1968年3月5日 |
プロフィール | 若くから料理人の世界に入り、26歳で独立。京都の花街、宮川町「京味」で3年間、務め、修業している。独立したのは、料理の世界に入り、10年後のこと。2024年現在、京都、大阪、東京に5つのブランドを展開している。 |
主な業態 | 「すぎうら」「酒と魚とオトコマエ食堂」「ぽんしゅ杉」「ネタとシャリ」「マグロマニア」 |
企業HP | https://www.sugiura-kyoto.jp/ |
ひょうきんで明るい少年だった。
「どちらかというと落ち着きがない、そんな小学生だった」と笑うのは、今回、ご登場いただいた京都の名店「すぎうら」の代表取締役、杉浦茂樹さん。
「小学校ではサッカーをしていたんですが、中学校では帰宅部です。帰宅部といっても当時は不良がたくさんいて。私もどちらかというとそちらのグループにいました。その結果、高校は通学時間がめちゃくちゃかかる、遠く離れた学校の農業科です。とてもじゃないが、普通科に行けるレベルじゃなかったです(笑)」。
ただ、入学しても高校に通ったのは、たったの3ヵ月。
「遊び呆けて、父親に家を追い出された」とも言っている。
「私も家をでたいと思っていましたからね。これ、幸いです。ただ、お金もないし、寝床もない。それで、求人誌を買って、駅のホームで片っ端から電話をして仕事を探します」。
公衆電話しかない。10円玉がすごいスピードで落ちていく。
「なんでもよかった」と杉浦さん。
「とにかく、住まいと、お金」と笑う。
次から次に断られるなかで、面接をすると言ってくれたのは、宇治の仕出し屋さんだった。無事、採用され、兄弟子と5人の寮生活がスタートする。兄弟子といっても年は離れている。最年少の杉浦さんは、玄関でからだを丸めて眠った。
面接のその日にパンチパーマは刈られている。
「初任給ですか。今のみなさんには想像できないと思いますよ。額面6万円、手取りはたった3万円です(笑)」。
遊ぶ暇もなかったから、それでもなんとかなった。
「お世話になった会社は仕出し屋、活魚料理屋を経営されていました。社長さんには可愛がっていただいて、ヨットで和歌山から沖縄まで、1ヵ月かけ連れて行ってもらったこともありました。船酔いがひどくて。経営も、ヨットもおなじで、いったんスタートしたら簡単にはもどれないってことを身をもって教えていただきました」。
器用だった。仕事をすると、それがわかる。21歳、兄弟子を抜いて店長になる。料理もする、仕入れもする。店長というより、店主。「13坪、月商500万円くらいのお店でした」。これが、人生、初めて任されたお店。ただ、「昨日までの先輩が部下になったので、やりにくかった」と苦笑いする。
実家との関係はどうなっていたんだろう?
「就職が決まった時に、連絡をして出入りが解禁されました(笑)」。
「とにかく、父親は褒めず、母親はからだを心配してくれていました」。
たぶん、どちらも愛の証。
「7年ほど勤め、独立する専務について退職します。ただ、専務の下ではたらいたのは1年くらいでした。給料が出たり、出なかったりで。こちらを辞めたあと、京都の有名な料亭で仕事を始めます。この料亭での3年間勤務するんですが、私を料理人に育ててくれた3年間でした」。店名は、京味。名前を聞いただけで、3年間が想像できる。
独立には、お父様も一役買っている。
大手企業を早期退職し、開業資金をつくってくれたそうだ。
「父の援助もあって、独立したのは26歳の時です。平成6年。四条烏丸に『すぎうら』をオープンします」。
物件の取得価格を聞いて、驚いた。さすが、四条烏丸。「土地・建物込みの居ぬき物件で4000万円だった」と杉浦さん。大きな投資である。
「客単価で言うと6000〜7000円を想定していました。居酒屋以上、割烹未満がコンセプトです」。
<いかがでしたか?>
「それが、なかなかうまくいかず、苦戦しました。京都は認めていただくまでがしんどいですね。とにかく、知っていただこうとビラを撒いて、チラシのポスティングもしました。ただ、風景がかわるきっかけは、ランチです。700円で1種類の日替わりです。原価率50%。一つの賭けだったわけですが、そのおかげでだんだんと『すぎうら』が認知されて行きます」。
<軌道に乗るわけですね?>
「そうです。でも、実は一波乱あります。私は料理に専念して、ほかすべて家族に任せていました。父親も経理のような仕事をしてくれていました。新たに出店したい私と、堅実な父親は、やはり衝突してケンカが絶えませんでした。最終的には、両親に出ていってもらいます」。
今度は、杉浦さんが、お父様を追い出す格好になる。ただそれは、息子である杉浦さんの成長の証だったのかもしれない。
現在、「すぎうら」は、京都、大阪、東京に5つのブランドを展開している。
板前クオリティの創作料理を楽しめる「すぎうら」、板前がつくる本気のバル「酒と魚とオトコマエ食堂」、大衆酒場「ぽんしゅ杉」、東京・小虎小路の大衆寿司「ネタとシャリ」、マグロ専門店「マグロマニア」。
板前のクオリティを気軽に楽しめる、いずれの店でも、これが「すぎうら」のストロングポイントである。
「46歳まで、ずっと現場にでていました。経営という観点がおろそかになっていたかもしれません。私自身が経営について考え、勉強させていただいたのは、居酒屋甲子園です。それまでは、外部の経営者とのお付き合いもなかったのですが、現場を離れ、積極的にお付き合いするようになりました」。
2018年にはセントラルキッチンをオープン。店舗数の拡大を進める。
「組織づくりも、まだまだこれからですね。この1年、組織をフラットにすることに取り組んできました。その結果、風通しのいい、仕事が楽しい組織になった気がします」。
京都駅前店の店長は25歳。8年前、「すぎうら」のとびらを叩いた女子高生だ。最近では、大卒者も入社している。現在、杉浦さんは、飲食経営者が参加する「京都 ツバス会」の会長を5年間も務めていた。
「周りには若い経営者も増えてきました。そういう若手経営者からも刺激を受けています」。
料理人、杉浦は、いつの間にか経営者、杉浦になっている。人材という素材をもちいて、組織をつくる。これもまた、素材を大事にする、板前クオリティで進められている。
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