私の父(右写真)は以前、日本郵船の豪華客船で料理長を務めていたことがあり、天皇陛下などにも料理を召し上がっていただいた経験がある、とても腕のいい料理人でした。
 父は晩年、病床でこう言いました。
「もしあと3年生きられるとしたら、いったいあと何回食事ができるんだ? 俺はこれまで、人に作ってばかりだった。おいしいものをまだぜんぜん食べていない」。
 それから父は後悔しないように、おいしいものは何でも食べ尽くしてから逝きました。食に対しての探究心は生涯燃え尽きることなく、父は料理人として人生を全うしたのだと思います。そういう意味では、私の中で父は永遠に天才料理人として刻み込まれています。
 ちなみに私の兄は現在、名古屋の有名店「シェ・コーベ」のオーナーをしています。また、私の店で提供しているカニコロッケやカレーライス、ハンバーグなどの洋食のレシピは、父のレシピを受け継いだもので、兄弟揃って少なからず父の影響を受けているのです。

両親がレストラン経営で忙しかったので、もっぱら私は祖母に育てられました。両親とも住居を構えた豊田市ではなく、店のある名古屋市で働いていたので、父とは一ヶ月に2回ぐらい、母とは1週間に2回ぐらいしか顔を合わせませんでした。
 そういう環境で育ったので、就職活動の時に「僕も商売をはじめたい」と自然に思いはじめました。大学3年までは無銭旅行で23ヵ国まわったりしていたのですが、大学4年でまず兄の店に入って、飲食を基礎から学びました。そして大学卒業から半年後の22歳の時、5坪の洋食店を開業しました。料理はタンシチュー、マカロニグラタン、ハヤシライスなど。当時はハイカラな料理として注目されたこともあり、儲かった資金で今度は30坪の広さのしゃぶしゃぶとすき焼きの店をオープンさせました。

その後、メニュー変更や業態転換などを経て、現在の「和牛焼肉&RESTAURANT 神戸屋 山之手本店」や本格フレンチ・レストラン「ル・ポミエ」が誕生しました。約800坪という広大な敷地に2店舗を構え、さらに両店はキッチンでつながっているというユニークな造りで、地元でも有名な巨大なレストランを開店させることができました。
 次に「しゃぶしゃぶ・すきやき・ステーキ神戸屋 八事店」や「焼肉・しゃぶしゃぶ 神戸屋 丸山店」、「焼肉・シーフード 神戸屋 五ヶ丘店」を出店し、現在は5店舗を展開しています。

店名の「神戸屋」は父の店の名からもらいました。戦火の中、沈没した船から脱出した経験が2回あり、死ぬ思いを2度も経験したという父。船が無くなってしまった終戦後の神戸では職も無かったので、故郷の豊田市に戻ってきました。「神戸屋」という店名は、母の故郷でもある神戸への愛着を父なりに表現したのでしょう。そういう想いを引き継ぎ、店名も料理のレシピも、いまだに父の時代の伝統を生かしながら営業しているのです。