とんきゅう株式会社 代表取締役社長 矢田部 淳氏 | |
生年月日 | 1988年6月15日 |
プロフィール | 高校卒業後、母の母国であるイギリスに渡り、料理の修行を開始する。23歳で、帰国。高級イタリアレストランで勤務したのち、父が経営する「とんきゅう」に入社。父のもとで、経営者としての修業を積み、営業部長を経て、2023年、35歳で社長に就任する。 |
主な業態 | 「とんQ」「赤牛」「アルゾーニ・イタリア」他 |
企業HP | https://ton-kyu.com/ |
ゴールデン2匹とイングリッシュ・シープドック、猫、鶏、アヒル、インコ、ウサギが庭を走り回っている。仕事の合間をぬって、父が庭いじりをしている。
この父が、とんきゅう株式会社の創業者、矢田部武久さん。この「飲食の戦士たち」にもご登場いただいている。
「私が、生まれた時はもう『とんQ』は創業しています。私は『とんQ』といっしょに育ったというイメージです」。
姉が2人いる。
「私たちの母はイギリス人で、姉2人はハーフだってことにコンプレックスがあったようです。茨城の田舎ですから、ハーフがめずらしかったもんですから」。
<ところで、犬や猫は?>
「あ、そうですね。母は、むかしから動物園をつくりたかったらしいんです。それで、動物を飼い始め、300坪あった庭は、動物であふれていました」。
「人にも、動物にも愛情をそそぐ人だった」と矢田部さんは語っている。「とんQ」が、ロケットスタートできたのも、実は、母のおかげ。「『妻の存在が、話題になったおかげで新聞にも取り上げられた』と、父の武久さんが、前回のインタビューを答えている。
外国人が多くなった今でも、夏になると毎年のペースで、イギリスに向かうファミリーはそう多くないだろう。「私は小学校4年くらいまで、毎年、夏になると2ヵ月くらいイギリスで暮らしていました」。
イギリスには、もちろん、親戚たちがいる。
ちなみに、矢田部さんは小学4年生の時に空手の大会で全国3位になっている。茨城では敵なしだったそうだ。母はもちろん、仕事漬けの武久さんにとっても、さぞ、自慢の息子だったにちがいない。
「高校は千葉の私立麗澤高校に進み、寮生活をはじめます。道徳教育を重んじている学校で、規則正しい生活はもちろんですが、両親に対する感謝の気持ちを育む機会となりました」。
厳しい寮生活も、矢田部さんの人生にとってプラスとなる。父母には感謝したが、だからといって、矢田部さんの心は動かない。とんきゅうは、やはり父の会社だった。
「私は料理人になりたかったんです」と矢田部さんはいう。
<料理人ですか?>
「高校2年の時に『アルゾーニ・イタリア』をオープンすることになって、私も両親といっしょにイタリアンを食べ歩きました。六本木のサルバトーレに行った時です。シェフの姿を観て、鳥肌が立ちます。なんて、格好いいんだって」。
心が動きだし、頭の中は、シェフ一色。
「大学に行かないと言っても、父や母は反対はしませんでした。日本の専門学校に行くつもりだった私に、母は『どうせならもっと広い世界をみなさい』と諭してくれました。料理ですから、王道で言えば、フランスか、イタリアなんですが、白状すると1人で行くのが怖かったので、慣れ親しんだイギリスの学校に行くことにします」。
「イギリスに渡り、最初は専門学校に通います。学校では、私にぴったりの授業が行われます。だから、楽しくて、だれよりも早く教室に入り、準備もします」。
周りは、イギリス人ばかり。
「ミシュラン三ツ星のレストランではたらけるという知らせがあって、幸いなことに私は300人の生徒のなかから、選んでいただけました」。
当初は、1週間くらいという話だったが、けっきょく2年勤務している。
イギリスでも日本とかわらず修業はきつい。厳しい環境の下、だれよりも矢田部という日本人は勤勉だった。そのあと、矢田部さんは、一つ星レストランに移る。父から、小さなレストランではたらくことを勧められたからだ。
「父の一言で、ロトランという一つ星に転職するんですが、そのおかげで今があります」。「前菜、メイン、パン作り、ソースに至るまで、吸収することができたから」と矢田部さん。父の言葉は、やはり金言だ。
「ロトランも2年くらいですね。そのあと、二つ星ですが、イギリスではトップと言われているハイビスカスに転職します」。
ロトランではスーシェフも打診されているから、実力は、すでにそなわっている。
「でも、1年くらいでクビになってしまいます。もともと出入りが激しいレストランだったんですが、ある日、前菜のシェフが突然、退職されて、私がピンチヒッターに選ばれました。それ自体は、問題なかったんですが、前菜の仕事が終わったので、帰ろうとしたのがいけなかったんでしょう。総シェフの逆鱗にふれ、クビだと(笑)」。
何がなんだかわからない。謝ったが、許されなかった。荷物をまとめている矢田部さんの横にスーシェフが立つ。
「とってもとよくしてくれた人で、挨拶に来てくれたんだと思います。そして、一言、『辞めることができて、かえってよかったじゃないか。辞められない俺からすればうらやましいくらいだ』って。そして、『やめられたんだから、夢を目指せ』って」。
修業時間終了。もう一つの時計が回り始める。これが、23歳の時。
イギリスと日本で違いはありますか?と聞いてみた。
「修業という意味では、お国のちがいは、そうないですね。同じ料理人ですから。イギリスに渡ってから、ハイビスカスをクビになるまで、寝る間もなく仕事をしていました。クビになって初めて、イギリスの公園でボケ〜とすることができて、その時ですね。あ、イアリアンを忘れていたって(笑)」。
イギリスでの修業が終わり、帰国した矢田部さんは、高級イタリアレストランで2年間、修業。パスタなど基本のイタリアンをマスターしたのちの、2015年の4月に「とんきゅう」に入社する。
「会社を継ぐつもりはありません。経営者より料理人が私の目標だったんです」。
ただ、周りはそういう目ではみない。
矢田部さんの心境も変化する。
「営業部長にもなると、経営方針で、親父と衝突することが多くなりました。その時ですね、試練の一つだったのでしょうが、『アルゾーニを経営してみろ』と言われます。私がオーナーとなって、どこまでできるか、試してやろうということだったんだと思います。しかし、コロナもあって、うまくいきません。そんな時、ただしくは2022年の12月にイギリスで暮らしていた姉がイギリスから帰国します。今まで帰国しても、時間を取ってやれなかったんで、たまには旅行に連れて行ってやろうとしたところ、それが父親に知れて、何をやっているんだ、と」。
もうすぐ、クリスマス。イタリアレストランにすればかき入れどきだ。
武久さんが怒鳴る。
「父が『もう継がせない』と言って、私も『継ぐか』と言ってとびだします」。
言い合ったが、お互い、心が離れたわけではない。「とんQ」という、接着剤がある。
「もともと継ぐつもりはなかったんですが、営業部長になって部下もできると、そういうことばかりは言っていられなくなりました。ちょうど、そういう心境の時でした」。
喧嘩別れして、1ヵ月後。父から最後通告がとどく。
「4月までにお前の力でアルゾーニの月商を1000万円にしろ。できなければ、会社は売却する」。いつもより、冷めた口調だった。
オーナーシェフという言葉があるが、「とんきゅう」は、1人のオーナーが経営するレベルではない。複数のブランドもある。従業員数も、少なくはない。
シェフではなく、経営者がいる。
武久さんにすれば、息子が次期経営者となれるか、どうかの最後の試練。もし、この試練を乗り越えられなかったら、潔く、M&Aの話に乗るつもりだったに違いない。
「2月はギリギリですが、とどきませんでした。私も、初めて、経営者の目線で、できることはすべて行いました」。
目標は、1000万円。試練を課した武久さんも、気が気でなかったのではないか。奥様と、ゼロからつくった「とんQ」がかかっている。
「あの試練を乗り越えることができた。それが、私にとっては自信となり、父にとっては、信頼になったのではないでしょうか」。
3月、矢田部さんは1000万円を軽くオーバーし、なんと1200万円を叩き出している。そして、2023年、父から息子にバトンが渡される。
「親父の時代とは、ちがいますからね。経営もアップデートしていかないといけません」。
労働環境にもメスを入れた。「3月まで月6日だった休みを4月から月8日にしました。8月には全店3連休にしました。逆に売り上げが上がります」。
9月から営業時間を変更したが、それも、功を奏している。スクラップ&ビルドも、行っていかないと行けない。父から残された宿題は少なくないようだ。
「いつか、イギリスに、『とんQ』をだす。これが、今のいちばん大きな目標ですね」。
父ができなかったことをやる、これも、父の仕事をひきつぐということだろう。ちなみに、父の武久さんは、この夏、アメリカ横断の旅に出かけられるそうだ。すっかり、息子に「とんきゅう」を託した証かもしれない。
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