
ダイエーを辞めるときは、会社全体として辞めさせないという動きもあった。自分も、若かったんで判断が早かったか?とも思ったけど『違う』という自分の感覚を信じて辞めました。居場所がなかったからじゃなくて、目指す道の違いや社会の壁。当時、店長になれる年齢が35歳からだったから、僕が同期で1番出世しても35歳にならないと店長になれなかった。おまけに等級制度だったから等級を持ってる人の順番待ちという現実。さらに感じたのは、一つの会社の経営者じゃなく1店舗の責任者ということ。学生時代あんなに楽しくのびのびやってたのに会社に入ったら、組織はでかい、人も派閥も多すぎて。派閥を変わったら会社を辞める?これが社会か・・・愕然としました。
現役を続けていてもリミットだった35歳。僕は働くことを決めたわけだから、これからの13年間をどう過ごすかをもう一度選んだんです。大学時代にいろんな業態の飲食事業主に出会って、この業態で働く楽しさを伝えたかった。だったら、作る側になろう、事業を始めようと思ったんです。でも飲食業をはじめるには調理師免許も取らなきゃダメだし、修行もせなあかんって新聞見てたら“がんこ”が載ってて。炉辺焼きなら、初心者からでも学びやすいかな?って応募して面接に行ったとき初めて小島社長(現会長)とお会いしたんです。
<出会いの瞬間>
当時の“がんこ”は、1階が店舗、2〜4階が事務所で脇に上から下まで長い階段あって、そこを猛ダッシュで駆け降りてくる人がいた。僕を社員だと思ったのか「オハヨー!」と声かけてくれた。この人が今の社長(笑)。ええ会社やなーっ、が第一印象。小島社長(現会長)は当時50歳ちょっと。とにかく腰の低い、偉ぶらない人で、「この人、社長?」って思わせる人でした。会話から優しさを感じました。2時間の面接のほとんどを社長が話しているはずなのにそういう気にさせない。僕が「話を聞いてくれた」って思ったんだから聞き出すのがめちゃうまい!会う人、会う人をファンにする。商売の神だと思いました。この方から全てが始まった。小嶋淳司という人に出会えたことは、僕の『運』です。入社したら社長号令で【鬼塚を育てる!】が始まった。今の社長ご夫妻は仲人だし、小島現会長の(亡くなられた)奥様も影ながら応援してくださった。“がんこ”にいた19年、本社総務管理部門以外の現場と人事、出店、店舗開発を経験しました。29歳のとき東京出店を任されたとき総務関係も全てやりましたよ。約10億の売上目標と商品から総務まで全てに携わった。このゼロからの立ち上げが後に起業する際、非常に役立ちました。