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第936回 株式会社マックスフーズジャパン 代表取締役社長 西田勇貴氏
update 23/05/23
株式会社マックスフーズジャパン
西田勇貴氏
株式会社マックスフーズジャパン 代表取締役社長 西田勇貴氏
生年月日 1983年4月21日
プロフィール 玉川大学卒。卒後、食品メーカーの大手企業に就職し、香港で勤務。国際感覚を身に付け、帰国。香港在住時と合わせ7年間勤務したのち、父親が経営する「マックスフーズジャパン」に入社。専務を経て、2019年、現職の代表取締役社長に就任する。
主な業態 「やきとん まこちゃん」
企業HP http://macksfoodsjapan.com/

香港で始まった理不尽な生活。

目が覚めると上司がいた。
「40歳後半の、日本で言えば本部長にあたる役職の方です。香港に渡ると、その方の家に放り込まれ、1年弱、共同生活です」と、今回ご登場いただいたマックスフーズジャパンの2代目社長、西田勇貴氏は笑う。
大学を卒業し、大手の食品メーカーに就職した西田氏は、入社1年目から香港に赴任。しかも、本部長との共同生活。想像しただけできついですね?
「今では1部上場もしている会社ですが、当時は香港のオフィスを立ち上げたばかりだったし、お金もなかったんでしょうね。それに、香港の住宅事情というのも特殊で、とにかくマンションが高い。60階、70階とかあって。背が高いぶん、家賃も高い(笑)」
6畳に3畳がくっついただけの住まいの家賃が日本円にして月30万円。物価は日本と変わらないが、住まいだけが異様に高かった。日本より土地が狭いからというのが西田氏の見解。
3畳の部屋はお手伝いさんが住む部屋なのですが、そこに住むこととなった。小柄な女性一人がやっと。かろうじて小さなベッド一つ置けるかどうか。体の大きい西田氏にとっては、足も延ばして寝れない広さだった。とにかく狭い。しかも、隣部屋には、本部長。
物理的にも、精神的にも息苦しいですね?
「ですねぇ。でも、1年くらい経った時かな、さすがにもうやばいと思って、本社に直訴です。なんとかしてくれ!って」。
どうでした?
「OKです」。
よかったですね?
「20万円くらいならいいぞって。だから私も最初は歓喜したんですが。うん? 20万円で借りられるか?って。日本だったら、いいところに住めますよね、でも、ここは、香港だぞ、と(笑)」。
香港には日本人など、外国人が住む高級なマンション街がある。本部長と暮らしたマンションは、その一角にあった。ただ、30万円。20万円では話にならない。西田氏は覚悟を決める。本部長の隣にもどるか、20万円で借りられるところで、我慢するか。
「香港にもスラム街のような雰囲気のところがあるんです。そのなかでも、とくにごちゃっとした下町のエリアがある旺角(モンコック)という街。ここは地元の人が住む場所で、女人街というコピー商品を売る露店が軒を連ねるど真ん中で私の第二の生活がスタートします」。
とにかく、匂いがきつかったと西田氏。
「臭豆腐という腐った豆腐のような食べ物があるのですが、その専門店が家の下にあったんです。毎朝5時頃にその匂いで起きるんです。最悪の目覚めです。それだけではありません。夜、帰宅して電気を点けるでしょ。そしたら100匹のゴキブリが一斉に姿を消すんです」。
なんともはや、ですね?
「でもね。仕事は面白かったし、向こうでラグビーを再開して、日本人ですが、年齢も企業も役職も違う人とラグビーができましたし。何より、本部長の隣じゃなかったから(笑)」。
ちなみに、配属された香港支社には本部長を含め日本人4名と、現地採用の社員、合計10名程度のスタッフがいたそうだ。本部長から逃げ出す格好になったが、じつは今も時に酒を酌み交わす関係がつづいている。西田氏いわく、「初めて出会った尊敬できる人」だったそうだ。

「やきとん まこちゃん」と西田氏の誕生と。

さて、時を遡ることになるが、西田氏の生い立ちに話を移す。西田氏が生まれたのは1983年。すでに父親が経営する「やきとん まこちゃん」は創業済。
ホームページを参照しながら当時を振り返る。
父親でもある創業者が「麻布十番 あべちゃん」で修行を開始したのが1966年のこと。2年後の1968年11月10日に「やきとん まこちゃん」を創業。1970年には現在の本店である「やきとん まこちゃん」をオープン。その翌年に、貿易事業を開始。1976年にはカナダ・バンクーバーで生雲丹の加工を行い、日本への輸出を開始。西田氏が生まれた翌年の1984年には、現在は休眠中だが、米国・ロサンゼルスに「MACK’S FOOD L.A.」を設立。立派な国際企業でもある。
つまり、西田氏の父親は、「やきとん」のオヤジであり、同時に国際派の事業家だった。
今では、日本屈指の「サラリーマン&のんべぇ」の聖地と謡われるようになった新橋だが、創業当時は、今ほどでもなく、苦労もされたようだ。ただし、西田氏が生まれる頃には、海外事業もされていることからも推測すると、すでに今のような大人気店になっていたのかもしれない。
「私が小さな頃には、海外へもよく出かけていましたね。『まこちゃん』も好調だったと聞いています。私自身ですか? そうですね。私には、2つ違いの妹がいるんですが、そのせいか、小学校の頃は女の子と一緒に遊んでいた気がしますね。サッカーとかスポーツもやってはいたんですが」。
中学から私学に進まれていますよね?
「そうです。中学受験で玉川学園に進学しています。別のクラブに入る予定だったんですが、結局ラグビー部に入部します。体が大きくなっていたからでしょう。先生に勧められたんです」。
それがきっかけで大学まで?
「わからないものですね。内部進学で玉川大学工学部に進学します。そこでもラグビーは続けていました。もっとも、中学からラグビー漬けだったので、大学3年時に籍は残していましたが、一旦リタイアして、遊びに比重を移します(笑)」。

就職したら辞令が降りた。香港へ行け。

1単位足らずで、留年されたと聞きました。
「そうなんです。まだまだ遊びたくて確信犯的に1単位落としたんです(笑)」。
大学時代は深夜のコンビニバイト、宅急便など色々なアルバイを経験している。卒業旅行では仲間と一緒に海外を回った。
ただ、それにしても、就職していきなり「海外勤務」とは。抜擢かどうかの、判断も難しい。
香港時代の話は冒頭でも触れたが西田氏はどんな思いで、異国の香港で暮らしていたんだろう。はっきりしているのは一つだけ。父親の会社を継ぐ気はまったくなかったということ。
香港ではラグビーを再開し、現地のコミュニティで可愛がられ溶け込んでいった。進んで帰国するつもりはなかったが、2年経った頃にラグビーで怪我をして帰国している。
結局、その会社に在籍していたのは計7年。「親父同様、人の下で働くことができないタイプなんでしょうね」。
ついに、会社を後にする。

2代目、「まこちゃん」の大ファンになる。

「社会人になってからですね。『まこちゃん』を評価しはじめたのは」と西田氏。
「学生時代は、あまり好きになれず、友達にも話してなかったです。だって、3Kの代表みたいな仕事だったし」。
社会人になると、たしかに飲みに行く回数もアップしますからね?
「そうなんです。サラリーマンになってから『まこちゃん』に飲みに行くと、『なんかいいなぁ〜』と(笑)。味はもちろん昔からいいんですが、雰囲気がね。疲れが癒され、『あぁ、いいなぁ。もう一杯ください!』みたいな(笑)」。
店舗をみれば、その話にも頷ける。昭和「レトロ」のあったかさ。サラリーマン全盛期のぬくもりがある。
「社会人になってからも父親の会社を継ぐつもりはさらさらなかったんですが、私自身が離職したこともあるんでしょうが、当時、父親も60歳くらいになっていて」。
気持ちが変わった?
「そうですね。だんだん継ぐのは私しかいないと思うようになっていきます。この味、この雰囲気を残していかなければいけない。社会に出て、苦労もして、組織の窮屈さを知って、いつのまにか、私自身が『まこちゃん』の大ファンになっていたのかもしれませんね」。

令和のアップデート。

ところで、社長業を引き継がれるのは、2019年のことですよね?
「ええ、そうです。10年近く前から専務で仕事をしていて、2019年に先代と交代です。もちろん、交代した時は、新橋が、まだのんべぇの聖地だった頃です」。
「当時、新橋に5店舗あり、私は本店で2〜3年間、下積みを経験します。長年、父親についてきた職人が多いというイメージでしたね。平均年齢も、いい感じに高い(笑)。コロナ禍が始まるまでは業績もずっと右肩上がりで。本店の月商は900万円、いい時は1300万円でした」。
ところが、2020年からコロナウイルスが猛威をふるいだす。
新橋から「のんべぇ」がいなくなった。というよりも、在宅ワークが推奨され、東京のど真ん中からサラリーマンがいなくなったといったほうが正しい。
「普通なら相当悩んでしまうところですが、私は逆にチャンスだと思って人材の採用に投資します。ただ、採用に注力する一方、離職者も多く、そのおかげで、社内の空気はこの3年で一変しました」。
コロナ禍の下で大胆な採用を実行できたのは、内部保留が潤沢にあったからだが、人材への投資に踏み切るのは資金があってもなかなかできないことである。
「今ある新橋の数店舗でいいなら問題なかったかもしれません。ただ、10年後、20年後をイメージすると、今の組織ではいけないと専務時代から悩んでいたんです。だから、言葉は悪いですが、私には、いい人材を採用するチャンスに映ったんです」。
結果は、どうでしたか?
「リターンはデカかったんじゃないですかね。彼も、そのうちの1人です」。そういって紹介されたのは、大手の飲食店で経験を積んできたデザイナーだというスタッフ。ほかにも、十数名の人材が新たに入社している。
新たな仲間とともに行う、未来づくりはもうスタートしている。それを象徴するのが、「まこちゃん ナカメグロ」。「レトロ」と「おしゃれ」をいい塩梅で融合させた、西田氏の言う「おしゃレトロ」も頷ける。
「もともとうちは新橋でドミナント経営をしてきたわけですが、今後は、他のエリアへも進出します。中目黒はその始まりとなる、令和の時代の快進撃の一歩ともなる1号店です」。
50年以上に渡り、サラリーマンの聖地で鍛え上げられてきたノウハウと、西田氏のマーケティング力とクリエイティブな発想が、一つになる。
それが、「まこちゃん ナカメグロ」の正体であり、令和の時代の名店づくりのエンジンでもある。
「実店舗以外に、催事も、うちの本流になりつつあります。その一方で、高級路線や、EC、また海外もキーワードに入れて、事業の幅を拡大していきたいです」。
「食」を軸に事業を拡大。世界もまた、行動半径に入れつつある。いつしか父親のスケールを越えた経営者になるに違いない。進化するのは、店舗だけではない、これも、令和のアップデート。

思い出のアルバム
 

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