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第966回 株式会社どろまみれ 代表取締役 礒部剛宏氏
update 23/12/19
株式会社どろまみれ
礒部剛宏氏
株式会社どろまみれ 代表取締役 礒部剛宏氏
生年月日 1974年7月17日
プロフィール 小学6年生まで海外生活を送る。飲食での独立を志し、ダイナックに就職。31歳で退職し、35歳で起業。2009年9月、「どろまみれ」をオープンする。
主な業態 「焼鳥串焼どろまみれ」「キッチンどろまみれ」「大衆酒場どろ六」「どろ山」他
企業HP https://doromamire.co.jp/

エルサルバドルと、インドネシアと。

所沢の農園から毎週新鮮な野菜を運ぶ。泥がついた採れたての野菜は、格別に旨い。これが「どろまみれ」のネーミングの由来。さて、今回、ご登場いただくのは、「どろまみれ」の代表、礒部剛宏さん。父親の仕事の関係で3歳から小学6年生の夏になるまで、ほぼ海外で暮らしている。
「父親は建築系の仕事をしていました、私が3〜5歳の時はエルサルバドル、小学3〜6年の時はインドネシアです」。
エルサルバドルで暮らしていた4歳の頃は「スペイン語がペラペラだった」そう。「もちろん、今ではぜんぜんしゃべれない」と笑う。
インドネシアではメイドさんも、ガードマンさんも、運転手さんもいた。住まいは父の会社のご配慮もあり、豪邸。
「インドネシアでは、裕福だった」と目を細める。
「ただ、TVが映らない。電話も簡単にはつながらない。友達と遊ぼうにも、運転手さんにお願いして、車で30分です。だから兄弟は、私を筆頭に4人いるんですが、だたっ広い庭でやきいもを焼いたり、木に登って果実を獲ったり」。
なにもないぶん、創造力が鍛えられた。
「物価は日本の1/10。暑いのは暑いですね。毎日、Tシャツ、短パンです」。
祖母が日本から送ってくれたキン肉マンの消しゴムは、今も記憶に残っている。

日本での暮らしがスタートする。

「小学6年生の夏に帰国します。インドネシアで通っていたのは日本人学校だったので、それほど困った記憶はないです」。
<気候とかはちがいますよね>
「気候だけじゃないですね。インドネシアは日本と比較すれば、まだまだ衛生管理は行き届いていないし、交通も不便です。だから、日本のほうがいいって子もいたんだと思いますが、私は気候も含めて、インドネシアが大好きでした」。
「勉強も問題なかったですね。実は勉強に関しては向こうのほうが進んでいるんです。生徒たちが優秀だからでしょう。もっとも親は心配していたんでしょうね。中学ではスパルタな塾に放り込まれます(笑)」。
<そのおかげですか? 高校は進学校に進まれていますね>
「スパルタでしたからね(笑)。自由な校風に惹かれ、日野台高校に進みます。この高校時代に居酒屋を知って、ハマってしまいます。もちろん、お酒は飲めないので、数回しか行っていないんですが」。
「自宅に友達を招いて、居酒屋ごっこをした」そうだ。
<それが、今の原点ですか?>
「ですね(笑)」。

ダイナック、入社。

「独立をいつ頃から考えていましたか」と聞くと「大学時代にはもうそれしか頭になった」と礒部さん。「昔からサラリーマンは無理だなって思っていたんです。就職はサントリーのダイナックです。サントリーグループだったことと、多彩なブランド構成に惹かれて」。
<独立のためですね?>
「そうです。ただ、多くの人のように何歳で独立とは決めていません。十分なスキルをマスターすることが、第一に私がめざすところでした。ダイナックには8年います」。
<いかがでしたか?>
「勉強になりましたし、人との出会いもありました。『飲食の戦士たち』にも登場していますが、絶好調の吉田は同期で、今も付き合っています。彼とは、いい意味で、昔から刺激し合う間柄です」。
ダイナックでは同期のトップ2だったようだ。
「私は新宿のダイナミックキッチン&バー響で、ダイナックの全店舗のなかで最高の売上、利益をだしています」。
ボーナスは破格だったが、礒部さんにすると物足りなかった。独立するための、食べ歩きだけでもかなりの額を遣う。そういうことには、まったくケチらない。
「料理人とも、毎晩、朝までです。そうやって、コミュニケーションを取りました」。コミュニケーションの総量をあげていく。心が動き、目標に向け、一つになる。
「私らは、料理人と歳も離れています。当時の料理人の世界はハンパじゃなかった。ホールのスタッフだってなかなかのもんです(笑)。彼らと呼吸を合わせていかないといけません。最終的には、アイコンタクトだけでこちらの考えが伝わるまでになりました」。
礒部さんは、実践を大事にする。
「料理も私がわからないと意味がありません。だから、食べ歩きもしました。食べてないものを、料理人にとやかくいうこともできませんからね」。
食べることもたたかいだったんだろう。絶好調の代表、吉田将紀さんとは、戦友だ。2人して、食べ歩いた記憶は今も鮮明。

ダイナック、退職。

30歳、ダイナックから独立する上司に誘われ、スタッフとして参加する。
「焼き鳥です。私自身は焼き鳥を焼きたかったんですが、なかなかさせてもらえませんでした。いっしょにスタートした料理人がすごい人だったので」と笑う。
「店じゃさせてもらえないんで、店で覚えて、うちで料理を作ってみるの繰り返しです(笑)」。
ダイナックというバックボーンがなくなると、様々なものが変化する。離れて初めて、わかることも少なくなかった。資金繰りも、その一つ。ただ、それだけではなかった。「色々なことを経験し、怖いものがなくなった」という。
そして、35歳で独立。正確には、35歳になった2009年の9月。今の四谷本店。18坪30席の空中席。今では、食べログ「焼き鳥百名店」にも名を連ねている。
「ダイナック時代の部下だったスタッフ(現専務)と2人でスタートします」。
閉店は、朝3時。専務と2人、アルバイトは2名。「朝3時にクローズして、お客さんがいなくなって、片付けしてから2人してバイクで帰ります」。オープンが9月だから、朝はもう寒い。
<いかがでしたか? 四谷は飲食にとって厳しいエリアと聞いています>
「ですね、お客さんからも『泥だらけは来年まであるかな』って。『お客さん、違います。泥だらけじゃなくって、どろまみれです』なんていいながら。でも、私自身は最初にみた時から、インスピレーションですが、ここならと。何より四角い箱っていうのが飲食にはいいんです。空中階でしたが、専用の階段もあって。ただ、オープンして2ヵ月は厳しかったですね。お金はなかったんですが、飲食サイトにも広告をだして。中学・高校・大学時代の友達も、親戚も、ありとあらゆる人に連絡して来てもらいました(笑)」。
12月の宴会シーズンを経て、ようやく軌道に乗り始める。常連さんも1人、2人と。「8ヵ月経った頃に満席になり、以来、コロナ禍をのぞき満席がつづいています」。

どろまみれが、いちばん、旨い。

「最初は、金もありません。今の専務といっしょに、ご挨拶をかねて、ある鮨屋さんに行った時の話です。何になさいますか、と聞かれ、専務が、『じゃ、カワハギのポン酢を』っていうんですね。横からちっちゃ声で『おい、大丈夫か、値段書いてないぞ』って、私が言います」。
<どうでした?>
「ぜんぜん大丈夫じゃなかった(笑)。私らは、いっても、ちっちゃいあてくらいを想像してたんですが、立派なもんが現れて。親父さんが『キモもついている』って。もはや、お酒も飲めません。だって財布には2人で1万円。どうみたって、このカワハギは…」。
今では定番の笑話。2人のきずなが、笑声の中に浮かびあがる。
<厳しいエリアにもかかわらず、もう10年以上です。店舗数も7店舗になっていますね?>
「私たちがいちばん大事にしてきたのは、何よりも味です。サービスは、スタッフのモチベーションが高いと、いいサービスができます。味はそうはいきません。料理人はもちろんですが、食材が大事です」。
<食材の一つ、野菜は農園から直送なんですよね?>
「そうなんです。それが、どろまみれ、の由来です。実は専務の実家が所沢で農園をされていたんです。それを聞いて、いっしょにやらせてもらっています。休みには、スタッフみんなが農作業です」。
「皆、良いスタッフばかりで、もう10年以上続けてられています。本当に人は宝です」と礒部さんは嬉しげだ。
「どろまみれ」。ユニークなネイミングだと思っていたが、深い意味があった。どろにまみれた人が、料理する。たしかに、旨い料理になりそうだ。
現在、どろまみれは、7店舗。コロナ禍も乗り越えた。
「今後も、店舗数だけを追いかけることはしたくないですね。やりたいっていえば、たとえば1日に7名様までで、響、山崎が飲み放題、なんて店をやりたいですね。今日は私がやって、翌日は専務とか。『どろ吉』ってワンオペのブランドもいいかな、と。スタッフにとっていい刺激になると思っています」。
ホームページを観ると7店舗いずれのお店にも行きたくなる。
ただし、営業日は要注意。
「そうですね。うちはスタッフも月8日は必ず休みますし、店自体、月の営業は22日。夏休みとかは20日です。だから、お休みを確認していらしてください」。
インドネシア、広い庭。樹を登ると果実があった。今の日本では、そうないシーンだ。だからだろうか、なぜだか、それが「どろまみれ」の、原点のような気がした。何はともあれ、どろまみれが、いちばん、旨い。

思い出のアルバム
思い出のアルバム 思い出のアルバム 思い出のアルバム
エルサルバドルの自分の家の庭で。
弟の誕生日会。
ダイナック入社して2年。
主任時代。
2010年9月23日、初開店時。
左は石井専務。
 

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