生まれは名古屋だけど3歳〜20歳までは金沢で育ちました。繁華街に住んでいたので小学生の頃は兼六園で遊んだり、夏は川でウナギをとったり、冬には家の前でスキーをしていました。それにたくさんイタズラもしましたね。

僕自身覚えてないんですけど、卒業文集に「将来の夢はレストラン」と書いてあったらしいです。

金沢で一番大きい料亭の息子が友達だったり、立派な日本庭園で流しそうめんを食べさせてもらったりと、飲食業は身近に感じていました。だから今思えばですけど、飲食業に対するフィーリングみたいなものはあったかもしれないですね。

中学の頃は普通に悪かったです(笑)だからスポーツ推薦で高専に入ったんですよ。中1の時だけバスケ部に所属してたので、試しにトライアウトを受けてみたんです。そしたら、100人中10人くらいしか受からないんですが、思惑通り見事合格でした!!

ただ高専に入ってから監督と合わなくて、またバスケ部を辞めてしまうんですけどね。でもスポーツ推薦だったので辞めたりはできない。そんなある日、陸上部の奴等が100mのタイムを計っていたので競争したんですよ。向こうはスパイクとスターティングブロック。こっちはバッシュだけ。でも勝っちゃったんですね(笑)
 それを見ていた陸上部の監督に誘われて、陸上部に所属しました。あんまり練習はしてなかったけど、北陸地区大会も勝って、インターハイや国体に出場してましたね。

ちょうどその時期にバイトしてたのが、ファッションビルの中の喫茶店でした。僕にとって初めての飲食業だったんですが楽しかったですね。
 カウンターに座る大人の人との会話。仲良くなったキレイなお姉ちゃんやイケてる兄ちゃんと、街でバッタリ会うと声掛け合って話したり。そんないろんな人とのコミュニケーションが本当に楽しかったんです。

高専卒業後は名古屋の芸大に進学。自らサークルをつくったりして、学生生活を思いっきり遊んでいました。それと同時にバーテンダーのバイトをやっていました。飯が食えるっていう理由もありましたが、やっぱりコミュニケーションの場としての酒場が好きだったんですね。僕にとってはとても居心地が良かったんです。

大学卒業後は東京の商社に就職しましたが、名古屋に戻りデザイン事務所に就職しました。昼はデザイン事務所でしたが、夜はここでもバーテンダーやってましたね。

デザイン作成に便利なMacを利用して、知り合いから相談を受ければ店舗デザインを含めた企画書を作っていました。そのうちオーダーが増え、協賛を得る事が出来たりと結果が出てきたんです。それなら自分でやってみようと思い、ビアガーデンの企画書を作りました。実際にひと夏だけ開店したんですけど大盛況だったんです。それがレストランビジネスのきっかけですね。

僕は「独立したい」とか「社長になりたい」とは全く無かったけど、当時の名古屋はチェーン居酒屋ばかりで、オープンカフェで飲める店が無かったんですね。どうしても作りたいものがある。だけどそれにはお金がかかる。個人じゃとても借りることの出来ない額。だから会社を始めたんです。

僕の場合は学生時代の友達と起業した訳だけど、あくまで「ものづくり」の延長なんです。料理がしたいとか、プロデュースがしたいとか、そういう細かく分けた考えは無くて、何かおもしろい事をやりたいとか、街を変えたいとか、足りないものを作りたいとか。
 当然の欲求を形にしていった結果、今という現状があるだけなんです。今でも社長なんて肩書きは嫌なんですよ(笑)