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第895回 株式会社エスエルディー 代表取締役社長 有村 譲氏
update 22/08/23
株式会社エスエルディー
有村 譲氏
株式会社エスエルディー 代表取締役社長 有村 譲氏
生年月日 1976年10月28日
プロフィール 調理専門学校卒。イタリアン・フレンチレストランでホールを務め、サービスを極める。シェフの紹介で、新店に移り、エージェントの目に留まる。フードスコープに入社したのち、ダイヤモンドダイニングに転籍。同社での要職を経て、2018年、株式会社エスエルディー、取締役COOに。2020年5月に現職の代表取締役社長に就任している。
主な業態 「kawara CAFE&DINING」「HangOut HangOver」「ワイン酒場 GabuLicious」他
企業HP http://www.sld-inc.com/

小学生の勲章、マラソン1位。

「ちょこまかしていて落ち着きがないとよく叱られていた」と笑う。今回、ご登場いただいた有村氏の小学生時代の、思い出の一つ。有村氏は1976年、墨田区に生まれ、船橋市で育つ。姉弟は2人。山口県の祖父の家まで、姉弟2人で出掛けたこともある。
背丈は低かったが、運動は得意だった。長距離走がとくに得意で、小学2年生から5年生まで学年1位を獲りつづけている。
「2年生の時から断トツの成績を残していたんですが、6年の時にサッカー部のキャプテンに負けちゃいます。私だけでなく、周りも『え?』って感じだったそうです」。
今なら笑えるが、当時は相当ショックだったんじゃないだろうか。
ただ、それを含めても少年の勲章だったに違いない。
「中学でも1年の時は1位だったんですが、だんだん周りのスピードがあがってきて。バスケットボールも同じ。周りがだんだん巧くなっていきます」。
有村氏は、バスケットボールを4年生から始めている。
チームの成績はどうだったんだろう?
「2つ上は全国大会に出場しています。ただ、私らの代は県大会ベスト8が最高。高校でもバスケをつづけますが、だんだんスポーツより仲間とあそぶのが楽しくなってきた、そんな頃ですね。高校は県内でも有数の進学校でしたが、私は大学に行っていません。あの年、大学に行かなかったのは、私を含めて3名だけ」。
1年、浪人したが、父親のアドバイスもあって調理師の専門学校に進んだ。
「専門学校では和・洋・中からお菓子づくりまでひと通り勉強しました。魚をさばくとかは、けっこう楽しかったですね」。
学校は楽しかったが、料理にのめり込んだわけでもない。まだ、人生のスイッチは入らない。

飲食の世界にハマる。

調理師学校を卒業した有村氏は、学校から紹介された銀座のレストランに就職する。なんでもシェフの鶴の一声で、キッチンではなく、ホール配属になったそう。
「キッチンはもういるからって(笑)」。
断る選択肢はない。だが、ホールといっても、最初はホールにでられない。料理を運ぶのも、サービスステーションまで。
「お客様と会話もできません。私のような新人が、間違ってオーダー取ったら怒鳴られる、そんな世界です(笑)」。下積みの時代。
ただ、有村氏本人は、「下積みといっても仕事は楽しかった」と言っている。
何より、シェフがかっこよかったそうだ。
「業界では、有名なシェフでした。私はソムリエの資格を取得しているんですが、これも、シェフの影響ですね」。
有村氏は、このレストランに5年勤めている。
「シェフの知り合いが銀座でレストランをオープンするということで、私を推薦してくれたようです」。
とにかく「フリーハンドだった」と有村氏。
「利益をだせば、極端な話、何をしてもいいというオーナーだったので、シェフといっしょに朝から築地に出かけ、これはという食材を仕入れてきます。私はワインを次々試飲して」。
毎日が新鮮。「この仕事をつづけてきてよかった」と思うような日々がスタートする。
「どちらかというと、カジュアルなレストランです。空中階だったこともあって、スタートダッシュは決まりませんでしたが、当時は、フードメディアの効果もテキメンでしたし、内装にお金をかければかけるだけ、お客様に来ていただくこともできました」。
30坪程度。ちょうど1人でみることができる。有村氏は、ホールを駆ける。
「何かをすればすぐ結果がでましたから、面白くて仕方なかったですね。飲食の世界にどっぷりハマったという意味で、私の最大のターニングポイントです」。
有村氏は、こちらで29歳までの4年間を過ごしている。飲食の奥深さ、楽しさに出会い、人生のスイッチが入る。

フードスコープ、有村氏の心を射止める。

「4年目のある日、エージェントから電話をいただきます。店に来られた時に、私のサービスを評価してくださったようです」。
すでに、ソムリエの資格も取得していた。
「ちょうど新しいことに挑戦したいなと思っていた時だったので、アタックいただいたタイミングは、申し分ない時でした。いくつかご紹介いただいたなかからフードスコープに決めます」。
当時のフードスコープは何もかもが破格。
「もう、唖然とするくらいでした。恵比寿にゴールデン・タンというお店があったんですが、内装だけで3億円かけていますから。ワインセラーにも梯子をつかって登っていくんです。何もかもが破格で、格好いい。写真をみせられただけなのに、一目ぼれです」。
店長候補からスタートし、3ヵ月後には店長となり、恵比寿のゴールデン・タンをリスタートさせたオイスターバー「MAIMON」を任される。いうまでもなく、フードスコープの旗艦店である。
このフードスコープは現在、ダイヤモンドダイニングの傘下に入っている。
「フードスコープは、今井浩司氏が創業され、鶏業態の『今井屋』をはじめ、オイスターバー『米門(MAIMON)』などを出店し、注目されていました。いったん旧グッドウィルグループになり、2008年、ダイヤモンドダイニングの傘下に入ります」。
有村氏自身の沿革を正確に記すと、2006年、株式会社フードスコープに入社。2009年、株式会社シークレットテーブル(2013年に株式会社ダイヤモンドダイニングに吸収合併)に入社。2011年、株式会社ダイヤモンドダイニングに転籍し、第八事業部事業部長、2016年、同社 営業本部副本部長、2017年、取締役営業本部副本部長。そして、2018年、株式会社エスエルディー、取締役COOに、2020年5月に現職の代表取締役社長に就任している。
ヘッドハンティングされ、当時の注目企業にスカウトされたことが、有村氏の背中に羽をはやしたのかもしれない。エージェントはある意味、恩人なのかもしれない。

池袋に、神降臨。

2011年、ダイヤモンドダイニングに転籍してからの話も少し。
「2011年に転籍して、いちばん初めに池袋エリアを担当しました。当時、ドミナントでこのエリアには10くらいの店舗があり、いずれの店も業績が低迷していました。だから、『有村、やれ』と(笑)」。
「最初はカルチャーショックを受けた」という。「今までとは世界観が違います。シャンパンやドンペリだったのが、ジョッキビールでしょ。ジョッキをトレーに乗せて運んでいたら、アルバイトくんに『有村さん、間違っています』って(笑)。正直、最初は下にみていました。価格帯も違いますしね」。
ただ、それでは仕事にならないし、業績低迷からむろん抜け出せない。
「だから、私のほうから目線を落として。ただ、知らないことを教えてあげると、学生のアルバイトくんもちゃんとついてきてくれました」。
主にチェンジしたのは、オペレーションだそう。
「アルバイトを含め、彼らの意見を聞き、スタッフたちが動きやすいオペレーションに組み直していきます。当時は、オープンラッシュということもあって店長たちの教育まで手がまわってなかったんでしょうね。たとえば、ビールのジョッキが充分にないんです。なぜ?と聞くと、買って貰えないというんですね。会社に買ってもらう方法しか知らなかったんです」。
有村氏はすぐにビールメーカーに連絡する。
「電話1本ですぐにジョッキが届けられたもんですから、神がきたーっ!と(笑)」。サービスステーションを設け、業務が効率化すると、再度、神と謳われる。
「ブライダルの二次会などを強化したりして」。もともとドミナントで、店の距離はちかい。スタッフ同士のチームワークも動き出す。
「半年くらいで業績が前年越えのペースになって、その頃から社長や役員からも注目されるようになったんじゃないでしょうか」。
池袋に、神降臨。衝撃的なデビューだったに違いない。そのあとはもう記した通り。

コロナ禍での社長、就任。

「エスエルディーにジョインしたのは、2018年です。エスエルディーは、飲食サービスとコンテンツ企画という2つの柱をもっています。コラボやイベントなども得意で、コンテンツ企画では世界的に有名なアニメのカフェのオペレーションまでを受託しています」。
コロナ下でEC事業もスタートしている。
「社長に就任したのが2020年の5月ですから、社長に就任してからずっとコロナ禍です。なんとかしないといけないのでECもスタートしたわけですが、2022年の上半期は、『ようやく2019年頃にもどってきたかな』というイメージです。得意なイベントや催事などで実績を示し、我々のコンテンツがより評価されれば、業績は加速するのではないでしょうか。このあたりは期待いただきたいですね」。
先頭を走るここちよさは、昔から知っている。ただし、そのむずかしさも。だが、昔と違ってもう抜かれない。名店の数々で、サービスを極めてきた有村氏が行う経営は、今からどんな結果を残していくのだろうか。

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