40年前、勘当された父とも、いつしか酒を酌み交わす間柄になったと、中川はいう。2人で飲んでいるときに、その父がしみじみといったことがある。「公務員の俺と、お前とどちらの人生が楽しかったかといえば、あれほど反対したけれど、結局は、お前のほうかもしれないな」と。中川はそのとき、改めて父への感謝を示すのだが、一方で、己の半世紀を振り返り、父の言う通り「なかなか味わえないおもしろい体験を積み重ねてきたな」と思ったのではないだろうか。この「おもしろさ」こそ、いまからの若者に、中川が一番、伝えたいことかもしれない。フードビジネスはたしかに熱くて、おもしろい、と。
株式会社日本ケンタッキー・フライド・チキン
取締役執行役員専務 中川達司氏
父は公務員、母は教員。小学生の頃に父の転勤に伴い、豊橋市に移転。そこでわんぱくな少年期を過ごすことになる。
中学はバレーで県大会に。高校はハンドボールで県大会に出場している。両親の勧めに従わず栄養士の専門学校に進学。将来はコックというのが当時の夢だった。
就職を控えた2年の11月。会社説明会で日本のケンタッキー第1号店長、大河原氏と出会い、1号店の開店に尽力する。翌年、5月正式に社員となり、東京で1号店となる青山店などを任される。
後に社長になる大河原氏の懐刀として、獅子奮迅の活躍を見せていく。
2006年、取締役執行役員専務に就く。
店舗数は11月30日現在1,136店(直営354店、フランチャイズ店782店)。
40年間かけ、ケンタッキーが、中川が、辿り着いた数字でもある。