1935年7月16日、和歌山県生まれ。
6人兄弟(男3人 女3人)の末っ子。
高校在学中に母が病に倒れ、17歳で家業のよろず屋を継ぐ。兄が戻ったこともあり、経営を兄に任せ、同志社大学に入学。
卒業後、遅れを取り戻すために飲食業と心に決め、寿司の名店で1年間修業。
1963年、大阪十三にて4坪半の寿司店「がんこ」を創業する。2年後に106席の大型寿司店を開店し、注目を浴びる。
現在は、がんこフードサービスの会長を務める傍ら、大阪「平野郷屋敷」や京都「高瀬川二条苑」、三田大原「三田の里」、和歌山「六三園」といった貴重な文化的遺産を生かす事業も行っている。
社団法人日本フードサービス協会理事、社団法人大阪外食産業協会相談役理事ほか公職を多数兼務。
商人の家系で育ったとはいえ、若干17歳。かじ取りはうまくできたのだろうか?
「分からんことだらけです。いちばん分からへんかったのは、なんでウチで商品を買うてくださるかです」。答えを探すために、少年店主は、質問魔になった。
「商品を買うてくださるお客さんに、なんで買うてくださるんですか?って、失礼な質問をするんです。だけど、聞かへんかったら分からへんでしょ。だから、次から次に尋ねまくるんです。ときには、じっとお客さんの動きを観察したりしましてね」。「で、なるほどなと、ようやく合点がいったのは2年後のことです。『どこよりもいい物を、どこよりも安く』。それがウチで買うてくださる理由やったんです。これが商売の鉄則や、と腹に落ちました」。たしかに、シンプルな答えだが、このとき気づいた鉄則は、小嶋氏の生涯の財産となる。
「コンサルタントに頼めば、効率はたしかにいい。『2年もかけてそれか』といわれるかもしれません。でも、誰に教わるでもなく、自ら導いた答えです。だから、からだ全体で納得できたんです」。いうまでもなく、この意味は大きい。
だが、鉄則をみつけたとしても、それで終わりではない。学者ではなく、商売人はそこからがむしろ本番である。質の高い物をいかに安く売るか。小嶋氏は、行動する。
「西日本の商人が集まる卸問屋に何度も出かけました。すると、どこが安いか分かるようになってきました。嗅覚が動くんでしょうな。少しでも安い品をと必死に探し回っていると、生産工程まで理解できるようになっていくんです」。少しでも安くと、小嶋氏は大和の王寺まで出掛けている。当時、王寺で履物がつくられていたからだ。問屋を通さない分、安く仕入れることができた。
それでもまだ満足できなかった。どうすればもっと安くできるか。現金で仕入れることができれば、掛けより安くなる。だが、そのためには、仕入れ資金が必要だった。「それでね。仕入れ資金というか、運転資金ですな。これを貸してもらおうと銀行へ行くんです」。高校生と変わらぬ小嶋氏が、銀行の扉をたたく。むろん門前払いを覚悟していたそうだ。
「それが思いもよらず、支店長自ら対応してくれたんです。長い間、こちらの話を黙って聞いてくれてね。それで、君はしっかり商売をしている。わかった。無担保で融資しようっていうてくれはったんです」。天から声が降ってきたような気分ではなかったか。
ちなみに、このときの支店長は小嶋氏が「がんこ」を出店した後も、「しばしば足を運んでくれた」という。支店長は若き店主に何をみたのだろうか。
小嶋氏は商品の幅も広げた。化粧品なども置くようになった。大手化粧品メーカーが主催する美容講習会にも出かけていった。周りを見渡せば、男性はもちろん小嶋氏ただ一人だった。