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「エノテカバール プリモディーネ」バリスタ 篠崎好治さん

サッカー好きなバリスタ・篠崎好治さんは、少年時代の夢をかなえてイギリスにサッカー留学。ところが、ヨーロッパで出会ったカフェ文化に感動し、一転してバリスタを目指す。サッカー仕込みの集中力で一気に技術を習得し、念願の“自分の店”を持つに至った。次なる目標は、バリスタという職業の確立とカフェ業界の発展に役立つことだという。

プロフィール

1979年、神奈川県生まれ。
97年、高校卒業後、サッカー留学の資金を貯めるために三菱電機に就職。99年、イギリスへサッカー留学。2000年帰国し、紳士靴チェーンに就職し、カフェ巡りをスタート。01年、「セガフレード・ザネッティ」二子玉川店に就職。03年、二子玉川にあるベネチア発のバール・カフェ「デル・ドジェ」に転職。飲食関連の専門学校「レコールバンタン」の講師も始める。04年、デル・ドジェを退職。07年6月、セガフレード時代の仲間と目黒区にバールスタイルのカフェ「エノテカバール プリモディーネ」をオープン。08年1月、「おうちでデザインカプチーノ」(ソニーマガジンズ)を出版。現在、2号店出店を計画中。

リンク

http://espressoacademy.blog96.fc2.com/

篠崎好治さん エノテカバール プリモディーネ
住所 東京都目黒区東が丘2−11−20駒沢テラス1F
TEL&Fax 03-3410-8810
サッカーの挫折でバリスタの夢が生まれた
プリモディーネ1
私がバリスタの道に進むなんて、周囲の誰も思っていなかったでしょう(笑)。じつは、子どもの頃から典型的なサッカー少年で、サッカー留学をするのが幼いころからの夢でした。
高校を卒業後は、留学資金を貯めるために三菱電機に就職しました。それも、芝生のいいグラウンドがあったから三菱に決めた(笑)。会社では人工衛星を組み立てる仕事をしながら、やはりサッカー三昧の2年間を過ごしました。
そしてようやく留学資金が貯まり、念願のサッカー留学を果たしました。20歳の時でした。留学先はイギリス。しかし、世界の壁は厚かったですね(笑)。自分はただサッカーが好きなだけで、世界に通用するほどの才能はなかったと思い知らされました。
でも、これが人生の良い転機ともなったんです。遠征でフランスなどのヨーロッパ各国をまわった時にカフェ文化と出会い、「これだ!」とひらめきました。「食をとことん楽しむ」というヨーロッパならではの文化に触れたのが、とても衝撃的だったのです。
それまでは、僕にとって「食」というものは、あくまでもサッカー選手として身体をつくるためのものでした。食べることを楽しむなんて考えたこともなかった。そこでサッカー留学は約1年間弱で切り上げ、バリスタになろうと固く心に決めて帰国したのです。
サッカー経験が接客業に役立った
プリモディーネ2
ヨーロッパのカフェで出会ったバリスタたちはコーヒーの技術だけでなく、フレンドリーで心を和ませる接客サービスが素晴らしかった。でも、カフェで働こうと決心して帰国したものの、私にはサービス業のなんたるかがさっぱりわからない。なにしろ、それまではサッカー一筋の人でしたからね。
そこで、まずは「接客を学ぼう!」と紳士靴のチェーン店に就職して販売を担当しました。意外なことに売り場では、留学経験が役立ちました。言葉が通じないヨーロッパの選手たちの表情や雰囲気から相手の心の動きをつかむ技、それが大いに役立ちました。サービス業にも、サッカーにも共通するものがあったんですね。
この頃から、休日になるとひたすらカフェ巡りをしていました。そのひとつが「セガフレード・ザネッティ」。入店するとすぐにピンと来ましたね。外国人がゆったりとオープンテラスでエスプレッソを楽しむ姿が、まさにヨーロッパで私が出会ったカフェとそっくりだった。「絶対ここで働きたい!」と思っていたところ、タイミングよく募集があり、「セガフレード・ザネッティ」二子玉川店に転職することができました。
何事も“一意専心”という生き方
プリモディーネ3
セガフレードに店長候補として入社したのは、2001年の春。会社も多店化を推し進める時期だったので、技術やサービスだけでなくマネジメント能力まで叩き込まれ、わずか1年弱で社内最年少の店長となりました。2年間で3店の店長を務めました。
サッカーに対してもそうでしたが、僕は職人気質というのか、ひとつのことにがむしゃらにのめりこむタイプなんです(笑)。だから、これと決めたら休みもとらずに集中して働く。それに、もともと人に使われるのはいやなので独立志向もありました。
 その後、03年にベネツィアのバールカフェ「デル・ドジェ」が日本に初進出するので、マネージャーとして業態を立ち上げて欲しいという話しをいただき、転職しました。イタリア人オーナーと一緒に働くことによって、イタリア人の考え方とか、文化について直接教えてもることができ、とても有意義な経験となりました。
 この時期、専門学校の講師も始めたのですが、「教える」ことに目覚めるきっかけともなりました。生徒から返ってくる手応えに、教えることの大切さを学びました。そこで、04年には「デル・ドジェ」を退職して専任講師になりました。
平行して「やがて自分の店を持ちたい!」という想いも抱き続けていたので、07年6月には、セガフレード時代の仲間と会社を立ち上げ、東急田園都市線駒澤大学駅から徒歩2分ほどの自由通り沿いに「エノテカバール プリモディーネ」を開店しました。
やはりここではヨーロッパのカフェの文化を伝えたいと思い、昼はエスプレッソ、夜はお酒を楽しめるバールスタイルにしました。16坪25席の規模で、お客さまとコミュニケーションを図るには手ごろな広さの店です。
 そして現在は、店を経営するかたわら、「レコールバンタン」など複数の専門学校で非常勤講師を勤めたり、講習会指導、コンサルティングなどの仕事で飛び回っています。前述のように、教えることが好きだからというのもありますが、「バリスタを1つの職業としてきちんと世の中に確立していきたい」と思っているためです。
お店でバンコの内側に立っているだけでなく、次世代のバール・シーンを動かすバリスタを育てていかなければ、と思っているところです。私の次なるゴールは、この業界を発展させるための牽引役になること。後進のバリスタをきちんと育てて、社会にカフェ文化を普及させることが私の使命だと考えています。
2号店目オープンも考えている最中です。もっと日本のカフェ文化を盛り上げていきますよ!