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第41回 「株式会社バイタリティ」代表取締役・岩田浩さん

バラエティに富んだ鶏料理に合わせて、ハイボールが飛ぶように売れていく―。不況下でも圧倒的な強さを誇る「鳥番長」で独立を果たした株式会社バイタリティ代表取締役・岩田浩さん。前職の外食企業株式会社ラムラでは、坪月商40万円以上の繁盛店を次々と生み出し、社員で初めて業態開発も担当した。その類まれなる発想力とマネジメント力は、どこで培われたのだろうか。

プロフィール

1971年東京・浅草生まれ。
中学卒業後、東京・八重洲の中華料理店「東竜」で約5年間勤務。1997年、株式会社ラムラに入社。08年12月に退社し、株式会社バイタリティ設立。現在、「鳥番長」2店舗と「日本焼肉党」を展開。いずれも超満員の繁盛店だ。

リンク

ブログ/http://ameblo.jp/toriboncho/

岩田浩さん 大衆肉酒場 日本焼肉党
住所 東京都台東区浅草橋1-10-12 ヒロセビル1F・B1 F
TEL 03-3865-5225
営業時間 平日11:30〜翌1:00(ランチ11:30〜15:00)、日・祝24:00閉店
定休日/無休
規模/20坪
客単価/3500円
初店長ながら130坪・月商5000万円を達成した敏腕店長
株式会社バイタリティ1
中学を卒業後、八重洲にある中華料理店「東竜」で5年ほど働いていたのですが、そのときはまだ「飲食で生きていこう」とは思っていませんでした。その後、営業など別の仕事を経験したのですが、26歳のときに「このままではだめだな」と感じ…。「飲食なら、頑張れば自分の店を持てるかも」と思い、ラムラに転職しました。
当時のラムラはまだ20店舗くらいの規模で、今の主力業態である「鳥元」も「土風炉」もありませんでした。入社して半年くらいで、「土風炉」のオープニング調理スタッフとして入り、その後は4〜5ヵ月おきに新店舗へ移動する感じでした。
「土風炉」は和食業態で、肉も魚も塊からさばいていたので、調理面でいろいろ覚えられたのは大きかったですね。新店に行かされるのはきつかったですが、店を作っていく過程を見られるのはいずれ自分がやる時にも参考になると思いました。
4店舗目に行った「鳥元 西新宿店」で、店長として2年ほど勤務し、130坪で3000〜4000万だった月商を5000万円まで引き上げました。その後、当時、赤字店舗だった600席の店舗の改善を任され、1年で健全経営に建て直してからは、当時の花形であった銀座店の店長に抜擢されました。ここでは、200坪で月商7800万を売っていました。
ヒット業態を次々と開発し、大繁盛
株式会社バイタリティ2
その後、エリアマネージャーに昇進して10店舗くらいを統括していたのですが、実はこれがあまり面白くなくて(笑)。独立前に別の会社も見てみたいと退職を考え始めた頃に、新業態の立ち上げの話が出たのです。すぐに立候補して、料理長と一緒に立ち上げたのが、04年12月にオープンした韓国料理業態の「土古里」の1号店です。
ここがヒットして、以後4年間、45坪で月商1600万をコンスタントに売っていましたね。その直後に、今度は新橋店のリニューアルで、サムギョプサルの専門店「韓豚屋」を立ち上げ、300万円だった月商を800万円に引き上げました。
そしたら、今度は銀座で「韓豚屋」をやれと言われて。93坪の銀座店は、「韓豚屋」のコンセプトに合わないと言うのに押し切ってオープンしたので、案の定、最初は客足が伸びませんでした。そこで、近くにあった韓国の芸能事務所と組んで、深夜にコンサートの後の貸切営業をしたりしているうちに、韓国の芸能人が来る店として有名になりました。
結局、4年間で新業態を中心に11店舗出店しました。当時は、業態を作るのは社長だけ。社員では初めてのことでした。
37歳で独立、多彩な鶏料理の「鳥番長」が大ヒット
株式会社バイタリティ3
退職前に、独立後の1号店の物件を見つけて、会社登記をしたのが08年12月。開業資金はかき集めても1000万円くらいでしたが、もう行くしかないと決意。銀座の店長時代からの部下も、今はうちで専務として働いています。
1号店を居酒屋にしたのは、前職でできなかった、自分がやりたいと思う業態をやってみたかったから。以前、業態開発で丸鶏を使った韓国料理の業態を考えてボツになったことがあって。それをベースに、1羽丸ごとを使った「鳥丸やき」と「鳥丸なべ」を開発して、09年2月に1号店の「鳥番長」をオープンしました。
アルコールは、当時まだ都内で数店舗しかなかった「ハイボールタワー」を導入したのが大きかったですね。ハイボールは今でも1ヵ月に3500杯くらいは出ています。また、ランチが強い立地なのもわかっていたので、開業当初からランチ定食には力を入れて、現在は15種類を用意しています。ランチのオペレーションも前職で鍛えられてますから(笑)。結局、25坪70席で、月商1300万を売ることができて、初年度は売上も落ちなかったですね。
新感覚の焼き肉酒場も絶好調
2010年4月に「鳥番長」2号店を上野にオープンして、3号店は新コンセプトで「日本焼肉党」を立ち上げたのが2010年8月のこと。焼肉店ではなく、居酒屋メニューの中に牛がある、という感じの業態です。
山形牛を"1頭買い"で仕入れていますが、普通に焼肉を出せば赤身が大量に余り、逆にカルビなどの人気部位はパーツで買い足すことになるのがわかっていたので、「盛り合わせ」のみの売り方にしました。
単品がない代わりに、4つの部位で計200g・1500円という内容にし、どこにも負けないコストパフォーマンスにしています。赤身はランチで消費できているので、逆に足りないくらい。余ったサーロインとかを盛り合わせに入れているので、夜のお客さんにはいいと思いますよね。
会社としては、今はまだ組織の基盤づくりの段階です。ラムラから一緒に来た店長が5人いるので、とりあえず5店舗は出したいですが、店舗数にはこだわりたくない。それよりもいろいろな業態を作ることに興味があって、例えば他の外食企業の社長と組んで業態開発もやってみたい。こだわって手間暇かけて、他が絶対にまねできないような店を作っていきたいですね。