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第48回 コーキーズインターナショナル株式会社 代表取締役 佐藤公紀氏

生チョコ、生キャラメルに次ぐ、北海道の“第3の生スイーツ”とされる「生(レア)クッキー」。北海道・長万部で開発された口溶けなめらかな新食感のスイーツで、いま全国の催事場などで販売され、完売する日もあるほど人気が沸騰している。世界で活躍するプロサーファー・割鞘ジュリさん(http://blog.goo.ne.jp/ichigojuli)やミュージシャンKATさん(http://katmusic.jp/)、お取り寄せ研究家aikoさん(http://www.petit-asterisk.com/)など、有名人や専門家の中にも“コーキーズファン”が多い。なぜこんなに人気なのか。累計販売数100万枚以上を突破したヒット商品はどのように生み出されたのか。

プロフィール

1977年、北海道生まれ。
高校を卒業後、地元の菓子メーカー (有)青華堂に入社し、菓子の製造から商品開発・企画・営業・総務・取締役までを経験。会社のナンバー2のポジションとして、数億円あった会社の借金を6年で完済する。2009年6月にコーキーズインターナショナル株式会社を設立。新商品を日々開発しながら、海外への菓子製造の技術コンサルティングなども行なう。

リンク

http://cowkeyscookies.com/

佐藤公紀氏
大失敗したら、突然、神様が降りてきた!
コーキーズインターナショナル
今でこそ「生(レア)クッキー」はテレビや雑誌などでも取り上げられ、Twitter(アカウント @cowkeyscookies )などでも話題になってたくさんのファンの方々にご支持いただいていますが、実は商品化までの道のりはかなり厳しかった。前の会社にいる時にチーズケーキがとても流行った時期があって、当社(前職)でもそのトレンドを意識しつつチーズケーキのような新商品を開発しようと思案していたんです。

しかし、札幌市から車で3時間の場所にある小さなローカル企業だったので、出来上がったチーズケーキを保管しておくための大きな冷蔵庫すらなかった。そこで苦肉の策として、常温でもある程度、日持ちするようにベイクドタイプのケーキを作ったのです。でも何度も試作していったら、ある日、生地がオーブンの中でパンみたいに膨れ上がってしまった!私を含め製造メンバーは「また失敗した。しかも大失敗!」と肩を落としました。

しかし、しばらくたって粗熱が取れた生地(=クッキー)を食べてみたら、これまで味わったことがないようなしっとりとした食感で、味のクオリティも高かった。「アメリカで親しまれているような、手作り感のあるクッキーを北海道のクッキーとして売ってはどうだろう」と、その時、ひらめきました。生(レア)クッキーは実は大失敗から生まれたヒット商品なのです。突然、神様が降りてきました。

それから生(レア)クッキー商品化に向けて、私は約1ヶ月、工場にこもりっきりでした。ヒントは得たものの、いろんな観点から微調整が必要でした。まずはお客様の目線に立って魅力的な商品になっているかどうかを吟味。次に菓子職人としてクオリティの高い商品になっているかどうか。最後に経営者として有望な商品になっているかどうか。

これら3つの目線で、試作しては一口食べ、納得がいかなければ吐き出して、また作る・・・を何度も繰り返しました。できるだけ客観的に、常に“3Dの目線”で商品価値を高めていきました。その結果、現在の生(レア)クッキーにたどり着いたのです。
一人の限界に気づき仏門に入った。そしたら世界が開けた。
コーキーズインターナショナル2
20代前半の頃は、私は独学でお菓子のことを学びました。製菓学校を卒業したわけでもないので、卵黄と卵白の凝固温度から小麦粉の種類、基本的なお菓子の作り方、いろいろなレシピなど、パティシエ向けの技術本などを読んで勉強しました。お菓子の専門知識がゼロのところからのスタートでしたが、今では逆にそれがよかったのかもしれないなと思っています。既成概念にとらわれず、新しいお菓子の開発にまい進できましたからね。

お菓子作りに限ったことではないかもしれませんが、商品を生み出すということはとてもエネルギーのいることです。そして粘り強さも求められます。20代前半まで独学で突っ走ってきた私でしたが、24歳の頃、自分に限界を感じ、スランプに陥りました。「これ以上、一人でお菓子を追求していくのは億劫」と感じるようになったのです。奇しくもそんな時に仕事中に怪我をしてしまい、入院することになりました。

当時、会社には数億円の借金がありました。だから早くヒット商品を生み出さなければならなかった。そのために、これまで自分にできるすべての努力はしてきたつもりでした。でも今の自分ではどうしても乗り越えられない壁がある――そこで私は新しい自分を探さなくてはと思い、仏門に入ったのです。朝6時に起床し、師匠の身支度を整え、一日中ずっと拝みっぱなし。そんなシンプルながら深くて静謐な時間を約3年間過ごしました。

すると次第に、新しい世界が開けてきました。それまで私は、ビジネスマンとしてテキパキと効率よく生きてきました。でも道場ではテキパキよりも“しなやかさ”が大切だということを学びました。また、「一番」よりも「中庸」を叩き込まれました。私の中で思考のパラダイム転換が起こったわけです。自分も含め、人間のおろかさのようなものが見えるようになってきました。そしてあっという間に3年が過ぎました。本当はもっと道場で学びたかったけれど、会社の存続・成長のためにも、後ろ髪をひかれながら私は現場に復帰しました。
過酷な現状を悲観せずに、力強く生きていく!
コーキーズインターナショナル3
仏門から戻った私はまた必死で働きだしました。さまざまなメーカーを回って専門知識や理論を貪欲に吸収し、すぐに自社でそれを導入してみました。まだ私は20代後半でしたが、会社ではすでに経営幹部。若くて経験が少ないのに、自分に教えてくれる人は誰もいません。だから自分からメーカーさんや大先輩の懐に積極的に飛び込んでいきました。毎日、昼飯の時間はたったの10分、睡眠時間は4時間。そんな生活を5年くらい続けたある日、生(レア)クッキーの神様が降りたというわけです。

しかも生(レア)クッキー開発前夜は、本当にしんどい状態だった(笑)。当時は私はアルバイト以下の給料だったので、友人に飲みに誘われても出かけられない。100円パンを買うのにも、じっと考えてしまうほど。金欠で2日間も水だけ飲んで暮らした日もありました。背水の陣で、思い切ってなけなしのお金をはたいて往復の航空チケットを購入し、東京の大手菓子メーカーにいらっしゃった有名な製造技術の専門家(=私の師匠)に来てもらい、会社の相談にのってもらったのです。

師匠はあまりにも小さい会社に自分がわざわざ訪れたことに、最初は驚かれたようでしたが、私の状況をすぐに理解してくれ、優しくこう言ってくれました。「佐藤くん。私で良ければ、無料でお手伝いしますよ」と。“実力も経験もある人が味方になってくれる!しかも無償で!”――こう思うと、これまでの苦労が少しだけ癒された気がしました。お菓子の仕事をしていて泣いたのは、これが初めてでした。師匠の無償の愛が私の心にグサリと響きました。

そして師匠からはこんな言葉もいただきました。「上には上がいる。でもね、佐藤くん。下には下がいるよ」と。「上には上がいる」という言葉はそれまでにも聞いたことがありましたが、「下には下がいる」は聞いたことがなかった。確かに、こんな今の私よりももっと過酷な状況にある人が世の中にはたくさんいる…。

そう考えると、「いまの自分を悲観していても仕方がない。いまの自分のポジションでできることを全力でやって、自分でここからはい上がっていくしかないんだ!」と前向きに思えるようになりました。そして師匠が自ら行動で示してくれたように、自分より苦しんでいる人には慈悲の心で接するという生き方。菓子の技術はもちろん、師匠からは人生の正しい生き方も学びました。

こんなすばらしい出会いがたくさんあったおかげで、生(レア)クッキーが生まれたのです。その師匠は残念ながら昨年、永眠されましたが、今の私があるのは道場の師匠とお菓子の師匠のふたりのおかげ。その恩返しのためにも、これからも地元・北海道に貢献しながら会社を大きく育てていきたいと思っています。

そろそろ生(レア)クッキーに次ぐ、斬新な新商品も発売されますし、ユニークなお中元キャンペーン(http://cowkeyscookies.com/user_data/2011nurie.php)もスタートします。当社の(生)クッキーのギフトセットの箱の上面は北海道の牛をイメージした塗り絵になっているのですが、その塗り絵や生クッキーを頬ばっているフォトのコンテストを開催する予定です。また家族でも職場でも、みんなで楽しく食べられるおいしいお菓子を、これからもみなさんにお届けしていきたいです。